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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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敵の力

 一行は馬を走らせる。

 目的地であるヘルドはニダベリルの中でも南に位置している町で、グランゲルドとの国境からは馬を急がせて三日ほどかかる。

 流れていく景色は相変わらず殺伐としていて、面白味の欠片もない。


「ねえ、バイダル」


 馬を休ませる為に速度を落としたところで、フリージアは先頭にいるバイダルに声をかけた。彼は肩越しに振り返ると、二人の間にいたウルと入れ替わり、彼女の隣に馬を並べた。


「何だ?」

「あのさ、ヘルドって武器とか作ってる町なんだよね?」

「ああ」

「それって、武器職人が集められてるってこと?」

 首をひねりながら、フリージアは尋ねる。


 グランゲルドでは、武器職人は大きな町でも二、三人いる程度だ。それも、包丁やら鍬やら、日常で使うものも作りながら――いや、むしろそちらが本業で、武器は要望があれば手がける、という程度である。武器職人、というよりも鍛冶職人、と呼んだ方がいい。『武器を作る為の町』というものが、フリージアにはどうにも想像できないのだ。


 畑を耕す者も、家畜の世話をする者もおらず、武器職人だけで、どうやって生きていくのだろう。


 彼女の疑問にバイダルは一つ頷くと、答える。


「この国とグランゲルドとでは、何もかもが違う。国の在り方が違うのだ」

「在り方?」

「グランゲルドでは、各村で生活の輪ができている。村の一つ一つが独立していると言っていい。だが、ニダベリルでは、国全体で一つの塊だ」

「?」


 フリージアには益々解からない。眉間にしわを寄せてバイダルを見ると、彼は更に続けた。


「グランゲルドの各地で採れた、あるいは他国から徴収した食糧は、国が統括し、そこから、各町村に分配される」

「何でそんなめんどくさいことするの?」

「国外から得るものの方が多いからだ。村ごとに生活していたら、飢饉やら災害やらで潰れてしまう」


 そう言われて、フリージアはニダベリルが突き付けてきた条件の一つを思い出した。そして、グルリと馬上からの風景を見渡す。確かに、この土地では充分な作物は見込めそうにない。


 フリージアは、ふと呟いた。

「……蟻みたいだね」

「蟻?」

「そう。『国』っていう女王蟻の為に、『国民』っていう働き蟻が頑張ってる感じ。何だか、国と民とどっちが大事なのか、判らないや」


 フリージアの小さなため息に、バイダルは肩を竦めて頷いた。

「グランゲルドにおける王は皆の支柱だが、ニダベリルでは支配者だ。常に、力を見せ続けなければならない。そして、国民もまた王が――自国が強いからこそ、決して豊かとはいえない生活にも粛々として従うのだ」

「王様が怖いから?」

「恐怖だけではないだろう。負の感情だけでは、これほどの求心力は持たない」

「怖い王様でも、好きなんだね、きっと」

「好きかどうかは判らんが、崇拝はされているのだろうな」


 好きでもないのに尊敬できるものなのだろうかと、フリージアは眉をしかめた。その二つは、どちらかだけでは成り立たないと、彼女は思うのだ。

 そんなフリージアの表情に気付き、バイダルは言う。


「自分と同じ尺度で見ようとするな。国の在り方も、国民性も、全く違う。それを見に来たのだろう?」

「うん……そうだね」


 フリージアは頷き、自分の国の王、フレイに思いを馳せる。彼は、グランゲルドの誰からも慕われている。あんなにも優しく温かな人なのだから、当然だろう。このニダベリルの王はどんな人物なのかまだ判らないけれど、聞く限りでは、強くて怖そうだ。


 正反対の二人だけれど、上に立つものとして、民からは同じくらい慕われている。


 ふと、フリージアは自分の母親のことを考えた。


 ――母さんは、どうだったのだろう?


 そして、自分は、どうあるべきなのだろう、と。


 黙り込んだフリージアをバイダルはしばらく見つめていたが、やがてまた前へと戻っていった。彼女はそれに気付かず自分の考えに没頭する。


 フリージアが紅竜軍の前に立った時、兵たちは諸手を上げて歓迎してくれた。

 彼女の生まれについて、あらかじめミミルが『説明』しておいてくれたから、その素性に疑問を抱く者はいなかった。フリージアは若い頃にゲルダが一時だけつながりを持った流れの男との子どもであるとし、父親のはっきりしない者ではロウグ家の後継ぎとしてふさわしくない為、王都から遠く離れた地で将軍家とは関係のない者として育てられていたと、伝えられていたのだ。

 ただ、『ゲルダの娘』だということだけで、彼らはフリージアを受け入れた。それくらい、ゲルダの存在は大きかったのだろう。無条件に、フリージアのことを認めてしまえるほどに。ゲルダに対する彼らの全幅の信頼は、そのまま、フリージアに移ったのだ。


 不意に、フリージアの身体には震えが走った。

 今更ながらに、背負ったものの大きさに直面した気がする。


 自分には、彼らの上に立つだけのものがあるのだろうかと、彼女は自問する。けれど、とてもではないが自分がそれを持っているとは思えなかった。


「どうした?」


 俯いて唇を噛んだフリージアの背後から、声がかかる。オルディンだ。

 彼はフリージアの隣に来ると、彼女を覗き込んできた。


「寒いのか?」

 ひどく単純なオルディンの問いに、フリージアは小さく笑って首を振る。

「平気」

「じゃあ、何なんだよ?」

 恐らく『平気』には程遠い顔をしていたのだろう。オルディンが重ねて訊いてくる。


 フリージアは少し迷った後、答えた。

「なんか、ちょっと、怖くなった」

「はあ?」

「あたし、やれるのかなって」

「何を、今更」

 ズバッと言われ、鼻白んだフリージアは顎を引く。


 確かに、今更と言われれば、今更だ。まだ『逃げ出せない』というところまでは来ていないが、それでも、今更全てを投げ出すことは、フリージアにはできやしない。それには、王都の人々を知り過ぎてしまった。フレイやサーガ、ビグヴィルにスキルナ、そしてバイダルやウル――紅竜軍の兵士たち。あの癪に障るミミルでさえ、彼女の後ろ髪を引く。


「逃げたいのか?」


 静かな声で、オルディンが問う。そこには、そう望むなら叶えてやろうという色がにじむ。フリージアは一瞬――ほんの一瞬だけ固まり、そして首を振った。


「逃げたい。でも、逃げない」

「……そうか」


 きっぱりと言い切ったフリージアに、オルディンは短くそう返す。しばらく彼女を見つめていたが、不意に片手を伸ばすとフリージアの頭を撫でた。ぐしゃぐしゃと、いつものやり方で。


「俺は、お前の隣にいるからな」

「そんなの、言われなくたってわかってるよ」


 乱された髪を直しながら、フリージアはニッと彼に笑い返した。


   *


 目的地に辿り着いたオルディンたちは、ヘルドの町から少し離れた場所で馬から降りてしばらく歩き、その町が見下ろせる高台に身を隠していた。


 フリージアの目立つ赤毛は、暗色の布で巻いて覆ってある。


 ヘルドの町自体はそれほど大きくなく、山を切り拓いて作られた土地に、作り付けの家屋は十軒ほどしかない。一軒一軒は大きく、恐らく、住居と武器の製作所を兼ねたものだろうと思われた。となると、普段ここに住んでいるものは数十人程度なのかもしれない。

 建物よりも目立つのは、いくつもの天幕だった。整然と張られた天幕は、ざっと数えただけでも二十はある。時々、そこに兵士と思しき影が出入りしていた。


「兵士がここに常駐しているというわけじゃなさそうだな。どこか別に本部があって、一部の兵士がここに演習に来ているのか」

 オルディンは誰にともなく、そう呟く。


 ニダベリルは徴兵制の国だ。所謂『軍人』は一握りで、戦時になると国中からいつもは鍬を持つ手に剣を携えたにわか兵士が集まってくる。天幕の数からして、ここに臨時で来ているのは百人程度か。正規の軍人としては少な過ぎるから、恐らく軍の一部が来ているだけなのだろう。


「あれ、何……?」


 眼下に広がる光景の一つに目を留めて、フリージアが指差した。


 フリージアと同じように覗き込んだオルディンもまた、そこで目にしたものに眉をひそめる。


 ひらけた訓練場と思しき場所で、ビシッと、一糸乱れぬ行進をする兵士たち。

 これは、いい。

 紅竜軍とはだいぶ違うが、彼らも練習させればできるだろう。


 問題は、ヒトではなく、モノだ。

 だいぶ遠目だから細かいところはなかなかはっきりとは見えないが、それでも、グランゲルドの一行が首をかしげるような物が目に入ってくる。


 居並ぶ兵士たちが手にしている、モノ。

 あれは、何なのだろう。パッと見は、横にした弓のようだ。グランゲルドで普段目にする弓は、弧を描く弓の部分とその間に張られた弦だけの単純な構造で、立てて使う。弦を引くにはかなりの力がいるし、力を溜める必要もある。

 だが、ニダベリルの兵士たちが手にしているものは、弓に長い棒のようなものが付けられていた。彼らは一度それを下に向けると、弓の弧の頂点につけられた輪に足をかけて固定し、棒の先端の方にある取っ手を胸元でクルクルと回し始める。しばらくそうしていたかと思うとそれを持ち上げ、構えた。と、弦を引いたわけでもないのに、矢が放たれる。


 ずいぶんな飛距離だ。


「あれ、何で飛んだの? 弦、引いてなかったよね?」

 フリージアは他の四人に念押しをする。


 ウルは彼女と同じように目を丸くしていて、あんぐりと口を開けている。その彼の隣で、バイダルは隻眼を細めて事を見極めようとしているようだ。オルディンもさっぱり解からず、眉をひそめるしかない。


「昔、この国に来たことはあるが……俺は見たことねぇな。この十年でまた何か作り出したのか」


 オルディンがこの地に赴いたのは、フリージアと出会う前のことで、十年以上前のことになる。どうやら、グランゲルドの技術は、その十年で更に進んだようだ。

 呆気に取られる四人だったが、答えを持っていたのはラタだった。


「あれも弓だ」

 何の感慨もなく、淡々と彼は言う。

「弓? あれが?」

「そう。ゲルダに言われて、私は時々この国の様子を見に来ていた。彼らは五年ほど前からあれを使い始めている。仕掛けを使って弦を引く弓だ。命中精度は普通の弓よりも落ちるけれど、威力はある。矢の強さによっては、黒鉄軍の重歩兵の鎧も貫くかもしれない」

「ウソだぁ」


 まさか、そんなと笑ったフリージアに、ラタは肩を竦める。その様子が「信じるも信じないもフリージア次第」と言っていて、彼女は笑いを引っ込めた。そうして真顔になると、もう一度、遥か下方での演習を見つめる。


 確かに命中率は低いらしく、矢はなかなか標的に当たらない。が、命中したものは、分厚い木の板に深々と突き刺さっていた。


「じゃあ、じゃあさ、あっちのアレは何?」


 フリージアは『弓兵』から目を放し、今度は他の一画に三つほど並んだ物体を指差した。

 人が二十人は乗れそうな台車に、木枠と、何故か大きな匙のような物が付いている。少なくとも、荷物を運ぶためのものではなさそうだ。


「あれは投石器だ」

「何、それ」

「あの匙のようなものに、ヒトの頭よりも大きい石を載せて、飛ばす」

「そんなの、絶対無理だよ」

「今から、飛ばす」


 ラタの台詞に、一同は目をその『投石器』に戻した。


 銀色のエルフィアの言葉通り、数人の兵士が何かをすると垂直に立っていた匙が動き、下がってくる。そこに石が載せられたかと思うと、直後、それは放り投げられた。大きく弧を描いた石は、遠く離れた地点に、ドコン、と大きな音を立てて叩き付けられる。


 あんなものが当たったら、ヒトなんてひとたまりもなく潰されてしまうだろう。いや、兵士の集団に放り込まれたら、当たらなくても大混乱に陥る。


「戦では、石の代わりに火薬の球を使う」

「火薬……まさか、そんな。そんなたくさん、無いだろ?」

「この国では、採れる。食糧は採れないけれど、鉱物や火薬は豊富だ」

「……」


 あまりに圧倒的な差を見せつけられて、フリージアは言葉を失った。いつもは血色のいい頬が、わずかに血の気を失っている。多分、彼女の頭の中では様々な考えが巡っているのだろう――迷い、恐れ、ためらい、そんなものたちが。


 無理もない。


 オルディンは内心で独りごつ。

 元々、彼女は何の心構えもないただの少女だ。剣の腕は磨かせたから、彼女個人が戦うことはできる。だが、軍を率いるということをまだ漠然としか理解できていないだろうし、戦の何たるかも知らないだろう。ましてや、こんな型破りの相手が敵だとは。


 噛み締められているフリージアの赤い唇が今にも血を流しそうで、オルディンは無意識のうちに手を伸ばしそうになった。

 が。


 ハッと周囲を伺いバイダルに目を走らせると、彼も無言で頷いてよこす。

 オルディンは地面に耳を付けて、そこから響くものに意識を尖らせた。


「オル?」

「シッ!」

 怪訝な眼差しを向けてくるフリージアを制して、数える。一……二……三……全部で、五つ。

「五人来るぞ」

「え?」

「歩き方からして、皆、軍人だ」

 地面を伝って聞こえてくるよどみのない、規則正しい足運びは訓練されたもののそれだ。


「下が騒がしくなっていないということは、気付かれたわけではないということだ。恐らく、定時の見回りなのだろう」


 唐突なオルディンの言葉に理解が及ばず首をかしげたフリージアに、バイダルが補足した。彼の目は、葉を落とした裸の木々が茂るその先に注がれている。


「まだ、見られちゃいない。さっさとずらかるぞ」


 オルディンの号令に我に返ったフリージアとウルが、頷く。だが、ほんのわずか、遅かったようだ。バイダルが見つめている方向にチラチラと人影が見え始めたかと思うと、誰何の声が上がる。


「行くぞ!」


 いつの間にやら姿を消していたラタを除く四人は、同時に駆け出した。相手は徒歩だから、馬のいる場所まで行ってしまえば、事を構えることなく逃げ切れる。


 オルディンたちは木々の間を抜け、走った。乏しい下生えが妨げになることはないが、大小の石がゴロゴロとして、しばしば足を取られる。


 ほどなくして、一行は馬まであと一歩というところまで来ることができた。相変わらず背後からの声は追いかけてきているが、何とか逃げ切れそうだ。


 そう思ったオルディンだったが、直後大きな石を踏んでしまい、転びかけてたたらを踏む。少し前から左手は切り立った崖になっており、不安定な足元には更に注意が必要になる。


 ――危ねぇな。

 内心でそう呟き、気を引き締め直したオルディンが崖の遥か下に見える川にチラリと目を走らせた、その時だった。


「あ!」


 響いたのは、フリージアの声。

 振り返ったオルディンの目に映ったのは、崖から落ちようとしているウルと、その彼に手を伸ばしているフリージアの姿だった。


 細身とは言え、ウルの方が重い。

 フリージアに彼を支えられる筈もない。


「やめろ!」


 オルディンの制止は間に合わず、フリージアの手がウルの腕を掴んだ。

 そして、直後、二人の姿が消え失せる。


「ジア!」


 咄嗟に彼女の名を叫んだが、もう遅い。その姿があった場所に駆け寄り崖下を覗き込んだオルディンの目が捉えたのは、水面に爆ぜた水飛沫のみだ。


「くそ!」


 一も二もなく川に飛び込もうとしたオルディンの肩を、グイと掴むものがあった。

「何をする気だ!?」

「放せ、バイダル!」


 川面を睨み据えながら肩に置かれたバイダルの手は振り払ったが、今度は腕を取られる。カッとなって振り返ったオルディンに、隻眼を強く光らせた彼は険しい声を飛ばしてきた。


「頭を冷やせ! ラタに追わせろ。その方が確実だ」

「ざけんな!」


 頭に血を昇らせて闇雲にバイダルを殴り飛ばそうとしたオルディンの拳はかわされ、代わりに彼自身の頬に強い衝撃が走る。一瞬のめまいの後に、胸倉をつかんで揺さぶられた。オルディンの目を見据えながら、バイダルが軋むような声で言い含める。


「同じ場所から飛び降りたからといって、捕まえられるわけではない。見つからずに彷徨うのが関の山だ。だが、ラタならすぐに追える」


 頭が冷えたわけではない。冷えたわけではないが――オルディンにもバイダルの台詞が正しいものだということは、解かった。


 追手の声は、もう間近まで来ている。

 奴らと悶着を起こせば、フリージアを探しに行くこともできなくなるかもしれない。あるいは、警戒が強まって、オルディンの知らないところで彼女が捕らえられてしまうかもしれない。


 オルディンの身体から力が抜けたことを感じ取ったのか、バイダルは彼を掴んでいた手を放した。そして、姿を見せたラタに目配せをする。ラタは小さく頷いて、すぐに消え失せた。


 オルディンが再び川に目を向けても、そこには滔々とした流れがあるだけだ。

 彼の肩に手を置き、バイダルが言う。彼自身にも染み渡らせようとしている響きを込めて。


「フリージアなら、大丈夫だ」

「……当たり前だ」


 呟き、オルディンはギシリと音がするほどに奥歯を噛み締める。そうして身を翻し、走り出した。


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