知る為に
今、オルディンは切り立った崖の上に立ち、荒涼たる大地を見渡していた。隣にはフリージアがいて彼と同じように前を見据えており、少し後ろに離れたところにはバイダルとウル、そしてラタがいる。
この事態を予感はしていたとは言え、実現するとは思っていなかった。
……いったい、どうしてこんなことになったのか。
オルディンは深々とため息をつく。
「どうかした、オル?」
全ての元凶である少女がきょとんと彼を見上げてくるのへ、彼はじろりと睨み返した。
「俺たちが何でこんな所に立つ羽目になったのか、考えてたんだよ」
「そんなの簡単だろ? あたしが来たがったからだって」
フリージアがケロリと答えてヘラリと笑う。だが、オルディンが何か言おうとする前にその笑顔を消すと、また目の前の景色へと視線を向けた。
そして、小さな声でこぼす。
「ホントに、全然違う」
何と違うのか、というのは確かめなくても判った。
グランゲルドの北の山を抜け、国境を越えた時、彼らの前に広がっていたのは、茶と灰の世界だった。
そこは、埃の舞う赤土と、ゴツゴツとした大小の岩と、雲の多い低い空――そんなものばかりで埋め尽くされている。フリージアの脳裏には、グランゲルドの豊かな森や滔々と流れる河が映っているのだろう。
「あたし、こんな景色見たことなかったよ」
「そうかもな」
「グランゲルドは、真冬でももっと、こう……優しい感じだよね」
「あっちは気候が温暖だからな」
「……こんなに、違うんだね」
フリージアの手が上がり、オルディンの袖を握る。彼はその小さな手を握り返すでもなく、ただ彼女のするがままに任せておいた。
彼らは、今、ニダベリルの痩せた大地に立っている。
一国の将軍――それも最も位の高い――がろくな兵も連れずに何故敵国にいるのかと言えば、事の起こりは十日と少しほど前にさかのぼるのだ。
*
しばしの会議延期を言い渡されたその翌日に、フリージアは会議室に皆を集めた。彼女が何を言おうとしているのかは聞いていなかったが、その場にオルディンも呼ばれた時に、すでに彼には嫌な予感があったのだ。
卓に着くフレイ、サーガ、ミミル、ビグヴィル、スキルナ、そしてオルディンの顔をぐるりと見回すと、フリージアは何のためらいもなく宣言した。
「あたし、ちょっとニダベリルを見てきたいんだ」
まるで「ちょっと近くの湖に」とでも言うようなその口調に、一堂は互いに顔を見合わせた。オルディン以外の者は、彼女が放った言葉が母国語だとは思えなかったに違いない。
「それは……おっしゃることがよく解からないのですが? 不条理な条件を突き付けて宣戦布告をしてきた隣国に、その国に、『行きたい』、というように聞こえたのですが、私の耳がおかしいのですかな?」
表情を変えることなく、嫌味なほどにゆっくりと疑問の形を取りながらそう言ったミミルに、フリージアは真面目な顔で答える。
「おかしくないよ。あたしはそう言ったの」
「ならん」
フリージアの台詞を殆ど遮るように放たれた、却下の声。断固とした響きのそれは、ミミルから出されたものではなかった。
椅子を倒して立ち上がっていたのは、王だ。
皆の視線を一身に浴びて、彼はもう一度繰り返す。
「それは、余が許さぬ。あまりに危険だ。いったい、そなたは何を考えておるのだ?」
いつも穏やかな風情を崩さぬフレイの険しい口調に、フリージアは瞬きを一つ二つした。そして答える。
「大丈夫だよ……です。ここに来るまではオルとずっとあちこち旅してきたんだし、二人だけならあっちにも怪しまれない筈です」
「二人……?」
「そう、オルと二人だけで行くんだ」
平然と頷いたフリージアに、フレイは絶句する。見れば、他の者も目を丸くして彼女を凝視していた。
フリージアと十年以上も共に過ごしているオルディンからすれば想定内の彼女の言動だったが、普通の感覚を持っている者ならば彼らのように反応するだろう。何となく、彼らが気の毒になってくる。
我に返ったフレイが、再び頭を振った。
「言語道断だ。なおのこと、認めることはできぬ」
「でも、このままじゃ、相手のことが見えてこないんだ。ニダベリルの人たちが何を考えているのか、何で戦いたいのか、何が欲しいのか!」
「彼らは、ただ、己の国を富ませたいだけだ。その為に、略奪し、搾取する。他に、どのような理由があるというのだ?」
厳しい声音で、フレイは断言する。
恐らく、他の重臣たちも王が声を荒げるところなど見たことがなかったのだろう。誰も口を挟めずにフレイとフリージアのやり取りを見守るだけだ。
「その理由を、知りたいんです。ホントに、ただ欲しいから取るだけっていうんなら、それはそれでいい。でも、相手のことを知ったら、もっと何か解かるかもしれないじゃないか。ただ、攻めてくるからやっつけるっていうだけじゃ、これからも何度もやってくるだろ……でしょう? そんなのきりがない。何か他にできることがないのか、探したいんです」
使い慣れない改まった言い回しに四苦八苦しながら、フリージアは懸命に王を説き伏せようとする。だが、彼は、眉間にしわを刻んだまま、また、首を振るだけだ。
「では、誰か他の者をやって、その報告を聞けばいい」
「人から聞いた話じゃ、ダメです」
「そなたが行くのは、断じてならん!」
「王様!」
二人とも、自分の主張を撤回するつもりはないようだ。睨み合ったまま、微動だにしない。
フリージアの性分、彼女の頑固さは昔から変わらない。だが、穏やかに見えるフレイがここまで強い姿勢を見せるのには、オルディンは意外さを覚えていた。確かにフレイは許可しないだろうとは思っていたが、もっと、困ったように苦笑しながらやんわりと説く彼の姿を想像していたのだ。
彼らは緑の眼差しを絡め合って、他の者のことは全く眼中にない。
いずれにせよ、この国の将軍となったフリージアがそう簡単に国外へ出るわけにはいかないだろうから、彼女を説き伏せるしかないのだろうが。
二人とも、一歩たりとも譲歩する気はなさそうだ。これは長くなりそうだとオルディンが欠伸を噛み殺した時、ようやく仲裁に入る者が現れた――彼が望まぬ方向で。
「ロウグ将軍のお言葉にも一理ありますね」
割って入った物静かな声は、スキルナのものだ。彼は穏やかな眼差しをフレイとフリージアに交互に向けた後、続けた。
「確かに、ロウグ将軍を間者だと思うものはいないでしょう。一見したところでは、ただの少女です。その髪の色は少々特徴的ではありますが、まさか、一国の将軍が単身敵国に潜入するとは思いますまい」
想定外のことを言い始めた彼に、オルディンは内心で「オイオイ、ちょっと待てよ」と呟いた。ここは、満場一致でフリージアを引き止めるところの筈だ。
そんな彼の心の声が届いたかのように、スキルナはオルディンの方へと顔を向ける。
「オルディン殿であれば旅も慣れておりましょうから、下手に人を増やすよりも目立たずに行けるのではないでしょうか」
「大丈夫、絶対、大丈夫!」
スキルナの後押しに、フリージアは卓に両手を突いて身を乗り出して、勢い込む。
「だが、ザイン将軍……そのような暴挙、あまりにも危険過ぎる」
「王のお気持ちはお察しいたします。けれど、ロウグ将軍であればきっと心配はいらないでしょう。何しろ、十年以上も旅暮らしだったのですから」
「しかし……」
「そのように反対なされるのは、ロウグ将軍が年端もいかない少女だからでしょうか? しかし、それでは彼女を『将軍』として尊重されていないようにも見えます。ロウグ将軍を信じるからこそ、私はこのように申し上げているのですが」
まるで、王はフリージアを軍人として信じていないのかと言わんばかりの内容だが、スキルナの表情も口調も穏やかで、その言葉の裏に何かがあるようには全く感じられなかった。心の底からフリージアのことを信じているから、自由にさせるのだと、それがスキルナの本心のように聞こえる。
王もさぞかし反論しにくいことだろうと、オルディンが胸中で苦笑したところで、別の方向から声が上がった。
「しかし、戦の準備をせねばならぬかもしれないというこの時に、将軍が不在というのもいかがなものか。兵や民は不安に駆られましょうぞ」
ミミルだ。冷ややかな青灰色の彼のその目はスキルナの心中を見通そうとしているかのように、すがめられていた。スキルナは静かに微笑んで、老宰相に返す。
「ロウグ将軍が戻ってこられるまでの間くらい、私とラル将軍だけでも大丈夫です。そうでしょう、ラル将軍?」
「ええ、まあ、確かに」
唐突に水を向けられて、ビグヴィルは滑舌悪く頷いた。
スキルナとミミルの間に火花が散っているわけではない。だが、どこか穏やかならざるものが漂っている気がして、古参の者は皆、口を挟めずにいた――が、そんな中で、能天気な声が響く。
「あ、じゃあさ、あたしは国境の様子を見に行ったっていうことにしたらどうかな?」
一斉に向けられた一堂の視線に、フリージアはニッと笑い返す。そして、得意げに続けた。
「ほら、戦いになる場所の下見っていうか」
「おお、それはいい口実です」
「でしょ?」
賛同してくれたスキルナに胸を張り、フリージアは真面目な顔つきになって再びフレイに向き直った。
「王様、お願いです。行かせてください」
深々と頭を下げられ、フレイは視線を揺るがせる。そして、しばしの逡巡の後、口を開いた。
「やはり、許可はできぬ」
「王様!」
「駄目だ……余は、そなたまで失うわけにはいかぬ……失いとうない」
終盤は、囁きのような声だった。だが、そこに織り込まれた想いの深さに、フリージアがハッと息を呑む。
彼女は一度俯き、唇を噛むと、クッと顔を上げて立ち上がるとグルリと卓を回った。
フレイの隣に立ったフリージアが、彼の手を取る。そうしてその若芽の色の目を真っ直ぐに覗き込みながら、言った。
「王様、ごめんなさい。あたしは行きます。反対されても、閉じ込められても、行きます。ここに来る前に、決めたんです。知ろうと思ったことは、ちゃんと知ろうって。知らなかったっていうことを、言い訳にしたくないんです」
「何を言おうと、こればかりはそなたの望むようにはできぬ」
「聞いてください、王様。あたし、この国が好きなんです。あたしが好きな国のままでいて欲しいから、ここに来たんです。何一つ、変えたくない。その為なら何でもする――戦うことでも。けど、だからって言って、戦争をしたいわけじゃないんだ」
部屋の中はシンと静まり返り、フリージアの声だけが響いている。彼女の高く澄んだ声は、皆の耳に、そして頭に滲み渡っていく。
「あたしはこの国のことしか知らないから、ニダベリルの連中が何を思っているのか、どんなふうに考えて喧嘩を吹っかけてきているのか、いまいち、よく解からないんだ。ミミル宰相が言うことには納得いかないけど、でも、戦わなくて済むなら、確かにその方がいいとも思ってるんです。あっちが何を考えているのか解かったら、もしかしたら、あの条件を鵜呑みにしない、戦わなくてもいい、そういう道も見つかるかもしれないでしょ?」
「フリージア……」
いつものように穏やかな声で、フレイが名前を呼ぶ。それに応えるように、フリージアはパッと笑みを浮かべた。光がこぼれるようなその笑顔に、フレイが微かに目を細める。
「大丈夫、絶対に、あたしはちゃんと帰ってくるから」
フリージアに握られていない方のフレイの手が上がり、彼女の頬を包む。愛おしそうにそれを撫で、彼は呟いた――殆ど囁きのような声で。
「そなたは、本当に――」
近くにいたフリージアにすら最後まで聞き取れなかったのか、彼女は小さく首をかしげる。が、フレイはすぐに手を放すと一度深く息を吐き出し、瞼を閉じた。そして再びその柔らかな新緑の色の目を開くと皆を見渡し、宣言する。
「明日よりひと月の間、ロウグ将軍は国境沿いの砦へ視察に行く」
「王様!」
嬉しそうに顔を輝かせたフリージアに向き直り、フレイは苦笑に近い笑みを浮かべた。
「そなたの翼は、余にはもげぬ。だが、くれぐれも、気を付けるように。決して無理はせず、必ず無事で帰ってくるように。供も、オルディンの他に付けること、良いな?」
「うん! ありがとう、王様!」
大きく頷くと、足音も軽く駆け出した。
そんな彼女を見送って、ミミルが眉をしかめながらフレイに問う。
「本当に、よろしかったのですかな? この国の中を旅するのとかの国を行くのとでは、雲泥の差ですぞ?」
「仕方があるまい。あの子は――ゲルダの娘だ。余の手の内には、とうてい納まっていてはくれぬ」
「ふむ……まあ、そうですな」
薄く微笑みながらのフレイの言葉に、ミミルはいかにも不承不承という風情で首肯する。かつて、会議の場で彼とやり合うのは常にゲルダだった――今のフリージアと同じように。ある意味、天秤の皿の一対のようなものだったのだ。欠けていた何かが戻ったような心持ちが自分の中にあることを、ミミルは否めない。
「本当に、よく似ている。……年を数えてみれば、ゲルダ殿が彼女を身ごもったのは、今のフリージア殿とそう変わらぬ年頃ですな――あの問題が持ち上がっていた頃で」
不意に、ミミルが言った。フレイはフリージアに向けていた静かな眼差しを彼に移す。
「……」
王からの応えはなく、ミミル自身も彼の言葉を待つことなく続けた。
「ご存知ですかな。フレイ様もそうですが、ニダベリルの王もまた、緑の目をしているとか」
「……そう、耳にしたことはある」
フレイの返事に、ミミルは無言で頷いた。しばらく二人の間には沈黙が横たわる。
オルディンの隣に立つフリージアを見つめながら、不意に、ミミルはフレイに問いかけた。
「あの娘の父親について、ゲルダ殿から何かお聞きで?」
フレイは、しばらくは何も言わなかった。が、ふと小さく息をつくと、口を開く。
「彼女からは、何も。しかし、余は、恐らくその男を知っている。いずれ、話そう――そう遠くないうちに」
「……承知いたしました」
それきり、二人は口を閉ざす。
フリージアの知らない間でのそんなやり取りをよそに、オルディンの元に戻った彼女は、彼に晴れやかな満面の笑みを向ける。
「ニダベリルに行けるよ。許してもらった!」
「もぎ取った、だろ?」
胸を張る彼女に、オルディンは呆れ半分に返した。
「ちゃんと、『説得』したもん」
確かに、最後まで相手を説き伏せようとしたのは、以前の彼女から考えれば大した成長だ。少し前のフリージアであれば、説得など半ばで諦めて、夜中にこっそり抜け出していたことだろう。
褒めどころがあまりに甘い気もしたが、オルディンは小さく息を一つつき、彼女の髪を掻き回すようにして撫でてやった。手荒い彼の『ご褒美』に、フリージアは猫のように目を細めて首を竦める。
「フリージア?」
親子のようなじゃれ合いをする二人に、涼やかな声がかけられる。名前を呼ばれたフリージアは、クルリと振り返った。
「サーガ様」
両手を胸の前で組んだ佳人は、その優美な眉を歪めている。その隣には、ビグヴィルもいて、サーガと同じ表情を浮かべていた。
サーガはジッとフリージアを見つめた後、組んだ指を解いて彼女の手を取った。そして、両手でしっかりと握りしめ、フリージアの目を覗き込みながら、噛み締めるように問う。
「どうしても、行くの?」
「うん。行きます」
一分の迷いも見せずにきっぱりと断言したフリージアに、サーガは小さく息を呑むと、次いで苦笑した。
「あなたは、本当に、ゲルダ様の娘ね。『こう』と決めたら引かないところなんて、そっくりでしてよ」
「そうなんだ?」
「ええ。もう、無鉄砲なことをなさるのに、でも、ちゃんとやり遂げておしまいになるの」
だから懲りてくれなくて、困るのよ、とサーガが笑う。そこは血筋なのかと、オルディンはこっそりと頷いた。
クスクスと忍び笑いを漏らした後、ふと王妃は真面目な顔に戻る。
「あなたには、まだゲルダ様のことを全然お話していなくてよ。たくさん聞かせてあげたいことがあるのだから、絶対に帰ってきてね?」
「もちろん」
「約束ね」
そう念押しをして、サーガはフリージアの両頬に口付けた。
「絶対に」
迷いのない声で確約するフリージアにサーガはもう一度微笑むと、踵を返して去って行く。残っているのは『心配だ』という気持ちが嫌というほど伝わってくる顔をした、ビグヴィルだ。
「儂も共に――」
「ダメ」
皆まで言わせず、フリージアがピシャリと遮る。
「ビグヴィルはここでやることがあるでしょ?」
「しかし」
「第一、そんないかにも『軍人』って人が一緒じゃ、怪しまれちゃうよ。将軍はどうひっくり返っても軍人にしか見えないんだから」
あっけらかんと笑いながらのフリージアの台詞に、ビグヴィルは反論できずにいる。
「大丈夫、あたしとオルディンの『旅歴』、十年以上、だよ? 大船に乗った気分で、どぉんと構えて待っててよ。あっという間に行って帰ってくるからさ」
「では……くれぐれも無理をせずに、ほんのわずかでも危険を感じたらすぐに戻ってくるように」
「もう、みんな心配性だなぁ」
誰も彼もが同じことを口にする状況に、フリージアは嬉しさ半分、呆れ半分といった風情だ。そして、オルディンを振り返る。
「明日、出発しよう」
いつになく真剣な眼差しで、彼女はそう告げたのだった。
*
そうして、王都グランディアを出発してから十日が過ぎ。
バイダルとウル、ラタの三人を連れて、フリージアとオルディンはここに来たのだ――緑のない、ニダベリルの地に。
バイダルを供にしたのは、ここに来るにあたってビグヴィルが出した条件のうちの一つだった。
彼なら、一人で十人の腕利きの兵士に勝る。オルディンと併せれば殆ど向かうところ敵なしとなるだろう。
ウルは、彼のような『いかにも人畜無害』な『普通』な少年がいれば、何かの際に使えると見込んだからだ。
ラタを同伴させるように言ったのはミミルで、恐らくこのエルフィアの遠隔転移の力故だろう。フリージアには伝えていないが、万が一の場合はラタが彼女を連れて逃げることになっている。
「そろそろ行こうか。いつまでもここを眺めているわけにもいかないから。目指すのはヘルドっていう町だったよね?」
「ああ、そうだ」
ヘルドはニダベリルの中でも武器の開発と生産を担っている町だ。ある意味、王都ニダドゥンよりもニダベリルらしい、この国の要とも言える。当然警備も厳しいだろうし、そこに近づくということは、相当な危険を伴う。
「引き返すつもりはないのか」
オルディンは喉元まで出かけたその台詞を辛うじて呑み込む。訊かずとも、フリージアが何と答えるかなど、判っているのだ。
ビグヴィルが迎えに来た時、さっさと行方をくらましていれば。
フリージアを預かった時、どこか一ヶ所に腰を落ち着けて『普通の少女』として育てていれば。
いや、そもそも、ゲルダの願いを聞いていなければ。
どこまでさかのぼって道を修正すれば、今頃こんな所には来ずに済んでいたのだろうか。どうしていれば、フリージアをこんな危険な状況に置く羽目にならずに済んでいたのだろう。
考えたところで、どうにもならない。時間は巻き戻すことなどできはしないし、第一、これまでの過去無くして、今のフリージアは作られないのだ。おとなしい、可愛らしいだけの彼女など、オルディンには想像すらできない。
結局、彼にとってこのフリージア以外のフリージアなど有り得ないのだから、今の状況も受け入れざるを得ないのだ。
「オル、早く!」
内心でため息をついたオルディンの隣でそう声をあげて、フリージアはバイダルたちの方へと走っていく。そうして、馬の鐙に足をかけるとヒラリとまたがった。スレイプの翼ならあっという間だろうが、今回はバイダルたちと足並みを揃える必要があったから、スレイプのことはグランゲルドに置いてきたのだ。
馬の脚で、王都からここまで十日を要した。復路にかかる時間を考えると、ニダベリル国内で過ごすのは、七日ほどになるだろう。その七日は、これまでの十二年間を全部合わせても比較にならないほどの危険を孕んでいる。
だが、その危険をフリージアに近付けさせはしない。
オルディンには、小さなかすり傷一つでさえも、フリージアに付けさせる気はなかった。
馬上から、フリージアがオルディンを呼んでいる。彼はもう一度目の前の風景に目を走らせて、彼女の元に向かった。




