記事にできない話を一つ、ここに放流しておくことにする
職業ライターたるもの、常に身の回りの全てに目を光らせ、話題性を感じるものは調べ尽くしてありとあらゆるものを記事にする。だが、時々はそうした努力が実らないこともある。記事にできない情報というのは往々にして存在する。
今回の話もそういう類のものだ。だからこうして、たわいもない小説の形で書き起こしている。どうせ世に出しても信用されないような話だ。暇つぶしで書いた小説をぽつぽつ投稿するだけのなろうアカウントに放流しておくくらいがちょうどいい。
だからこの話は創作として受け入れてもらってかまわない。ので、あとは淡々と書き起こしていくだけだ。もし興味があるようならお付き合い願いたい。
さて、皆さんは沈んだ潜水艦がどうなるか、ご存じだろうか。
海底探索に失敗した文明の利器の末路。意外というか当然というか、これは世間には全く知られていない。実は世の中にはそういう領域がいくつもある。だがその大半は一部のライターや専門機関の人間しか知らない。あるいは都市伝説として流布しており、それを起点とした創作領域と化してしまうのが常だ。
では、そういう領域の問題はなぜ広く知られることがないのか。
答えは簡単だ。証拠が不十分で、なおかつ口外が禁じられているからだ。前者だけならまだいい。判明した事実からいくらでも推測なりなんなりが立てられる。だが後者まで揃うと駄目だ。全てが一気に信憑性を失う。
まず、そういう「知られるべきでない領域」の情報は当然、機密情報だ。俺のようなライターがそれを知る時は必然的に、漏れた機密情報を聞いていることになる。ここからが問題だ。機密情報を漏らした人間は専門機関から排除される。だから情報元の信憑性が揺らぐ。しかも、排除の原因はその人間の精神異常に帰せられる。そうなると、証言はことごとく異常人物のたわごとということになり、その情報の価値はゼロになる。令和の今、そんな不確かな情報を載せてくれる媒体などない。その情報は必然的に、闇に消えることになる。
とまあ、こんな経緯で覆い隠されている事実が世の中には山のようにある。俺のような一般のライターにも噂が流れてくるくらいだから、せき止められた情報がどれだけあるかなんて想像したくもない。
本題に戻ろう。皆さんは、沈んだ潜水艦の末路をご存じだろうか。もちろん、破砕した船体は海底にとどめ置かれるわけだが、そこに起きたとある出来事を知っているだろうか。
これは、海上自衛隊を退官したある男性から聞いた話だ。あくまで証拠不十分な異常男性のたわごとなので、話半分で聞いてくれると助かる。
深海には、得体の知れないものがいるのだそうだ。
このままでは抽象的過ぎてリアリティがないので、もう少し正確に言い換えよう。
日本海溝の底には、火を使う何かがいる。
ありえないだろう、とその男性は言った。その通りだ、どう考えても荒唐無稽としか思えない。
だが、その男性はあくまで正気に見えた。数秒間、俺の表情を確認したのち(反応次第では話を切り上げて帰るつもりだったのだろうか)、ビール片手に男性は続けた。一応は取材という体だったが、白状すれば、その時点で俺は録音機を取りだすのを諦めていた。
海上自衛隊は今までに二度、非公開の潜水を決行しているらしい。一度目は1987年、二度目は1989年。どちらも日本海溝への潜水だそうだ。
なぜその情報は一般に公開されなかったのか。戦後、しかもバブル絶頂の時代に。情報保護などウハウハでユルユルの時分だろう。
これには単純な理由があった。まず、一度目の潜水は相当にリスキーだったから。有名な潜水艦「しんかい6500」の完成は1989年。1987年はその試作段階にあった。
当時、試作段階のしんかい6500は、実に7000メートルにまで潜ったのだという。男性はその地点の座標を言ったが、どうせ記事にはできまいとすでに諦めていた俺はメモを取らなかった。千葉県銚子半島の沖合らしい。
そして、第一の潜水は失敗に終わったのだそうだ。艦内マイクは爆音を捉えた。それは艦体が破砕し、一瞬のうちに乗組員が全滅したことを示していた。
だが、艦外カメラと通信装置はしばらくの間生きていた。およそ15分。地上、東京本部のモニターには暗黒の海底がひたすらに映り続けた──そのはずだった。
ところが、と男性は言い、また俺の顔をじっと見つめた。
信じがたいことだが、カメラは光を捉えたのだ。闇が支配する7000メートルの海底で。モニタールームはどよめいた。その光の色は潜水艦に搭載されたものとは明らかに違っていた。
初めは誤作動かと思われた。海溝の水圧で予期せぬエラーが起きたのだと。
だが、その光は近づいてきた。映り始めた瞬間は小さな点でしかなかったものが、だんだんと大きく、鮮明に見えるようになってきた。
そうなのだ、それは遠くから現れ、近づいてきたのである。海溝の底に住む得体のしれない何かが、潜水艦を見つけて接近してきたのだ。
そこまで言って、男性は今までより大きく息を吐いた。ふうう、という音はかすかに震え、自分を落ち着かせようとしているのだと分かった。
「でも、チョウチンアンコウとかかもしれませんよね」と俺は尋ねた。チョウチンアンコウの生息域は広く、少数だが太平洋にもいるとされる。生息できる限界深度は分かっていないから、7000メートルの海底にもいる可能性はあるはずだ。
すると男性はこう切り返した。「オレンジ色だったんだ」
火のように見えた、と男性はうなだれた。
チョウチンアンコウの放つ光は青白い。それはたいていの発光性深海生物も同様で、火のような色合いで光る種など聞いたことがない。少なくとも俺は知らない。
そう、だから説明がつかないのだ。そんな光を生み出す存在が深海にいるなど。
地上のモニターには、近づき続ける光の主が4分ほど映っていた。それが近づくにつれ、火らしき光の右下に何やら黒い腕のようなものがあるのが判別できるようになった。
だが、光はまだまだ遠かった。そしてとうとう、光の主はこちらに到達せぬまま、カメラは停止してしまったのである。
ここまでの話も十分荒唐無稽に違いない。しかし、本当に意味不明になるのはここからだ。
物的証拠が出てきたのである。海底の謎の存在者を裏付ける証拠が。
第二回の潜水もやはり極秘で行われた。1989年、とうとう完成した「しんかい6500」の試運転と、前回の不可解な光の検証を兼ねていた。
強度を増した新たな潜水艦は、前回と同じ地点をできるだけ正確に下降していった。それでも全く同じ地点にたどり着けるかは運次第だったが、彼らは奇しくもそれを引き当てることになったのである。
7000メートル、正確には7014メートルの海底に一号機は沈んでいた。巨大な鉄の塊がたった二年で朽ちるはずもなく、そこには少々苔むした残骸が明らかにそれとわかる形で発見できたそうだ。
水圧で無惨に折れ曲がった船体の横に書かれた「7000」の文字が二号機に照らされ、漆黒の水中に白く浮かび上がった。
ここからなんだが、と男性は重苦しく言った。もはや俺の表情すら見ていなかった。
「7000」の数字の周りに、これを囲むような〇が書き加えられていたという。大きなクレヨンでゆっくり書いたような少々よれた線が数字を一周りしていた。
どう見ても明らかに作為的なものだった。乗組員は息を呑み、うち一人が軽いパニックを起こした。その音声と船外の映像の一部始終が地上のモニターに映し出されていた。
線自体も問題だった。線は船体をえぐっていた。しかも線そのものが、わずかながら船体を溶かし、爛れさせていた。線の色は熱で変色した金属のものだった。
男性は大きなため息をついた。「これが私の知っている全てです」
まとめると、火のような光を放つ何かが深海7000メートルにいて、金属を変色させるレベルの熱を操る(おそらくは光=熱源)。それは潜水艦の名称を丸で囲むような高度な知能を持っている。
「私も信じたくないんですがね」と男性は付け加えた。困ったような笑顔が引きつっていた。
「でもね、話せてすっきりしましたよ」と彼は伸びをした。海上自衛隊を退職してから、誰にもこの話をしたことはなかったという。50代での退職で、今が68歳だそうだから、実に10年ほども隠し通してきたことになる。聞いて見れば、妻にさえ話していないそうだ。
その理由はやはり単純だった。
彼は、このことを口外したために退職に追い込まれたのだ。7000メートルの海溝に住まう生物の情報は、紛れもない国家機密だった。
1987年以来、その事情を知る者たちは箝口令を敷かれ続けている。そして、上層部は人の口に戸が立てられないことを知っている。だから、話してしまった者には退職を強いることでその言説の信憑性を奪うのだ。その者に対する問い合わせがあれば精神異常が持ち出される。そういう決まりになっている。だから機密が世に広まることはない。
男性はこの話を、酒場で酔った拍子に真偽不明のネタとしてぽろっと話してしまったという。次の日、出勤してみると、書いた覚えのない退職届が受理されており、その日のうちに退職が決定したそうだ。
これこそにわかに信じがたい話だが、ここまで聞いてもなお、男性が「精神異常」とは到底思われないのだった。彼は自分の見たことだけを話した。たまたまそれが、一般的な常識による解釈を拒むような内容であったというだけに見えた。
話し終えると男性は満足したようだった。彼も俺も、これが記事にできない類のものだと承知していたので、そこで一時間にも満たない会合はお開きになった。紹介してくれた友人にお礼のメールを送ると、俺は別の居酒屋に入ってぼんやりと酒を飲んだ。
オレンジ色の炎。おそらくは人間だけが持っている光だ。それが深海でも観察された。そんな場所に人間がいるはずはないのに。つまり人間以外の何かが、高度な知能を持つ何かがそこにいるのか。それも、海溝の底で、水圧に耐える炎を操る「何か」が。
思考は止まることもなければ、到達することもなかった。今さっき見聞きした出来事が一般常識にぶつかり、それをライターの想像力が拾い上げ、論理的抜け道を探し、また常識にぶつかる。その繰り返し。
そういえば、と思い出したことがあった。かなり前にネット掲示板で見た噂だ。「しんかい6500の開発プロジェクト名は元々しんかい7000だった」というものだった。都市伝説にしてもあまりに杜撰で、思わず笑ってしまったのを覚えている。
意外とそういう噂も辿ってみればどこかの機密にぶち当たるのかもしれない。
とまあ、こんなところだ。事実としては受け入れられなくとも、リアリティだけはあるから読み物としてはそれなりに面白いのではないか。
ただ一つ問題があるとすれば、これがおそらく事実だということだろう。俺にはそうとしか思えない。これがもし証明され、広く知られたら、世界は揺らぐ。俺たちの常識が負の方向に塗り替えられ、排除か共存かの二者択一がやってくる。もし彼らが深海にとどまってくれるなら、当分の間はそっと口を閉ざしておくのがいいのかもしれない。などと、とりとめもなく考える。
もちろん、あの男の話をまるごと信じたらの話だが。




