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第9話

 

 カネは儲けた人間を狂わせる。六本木ヒルズのレストラン、そのVIPルームではシャンパンタワーが、カクテル光線で虹のように輝いていた。信也とヒルズ族の三谷、堀田はモデルの女たちを侍らせて密度の濃い儲け話を検討していた。

 法改正で手数料は激減した。にも関わらず航平が株屋を始めたのは、より金になる情報が手に入るからだ。信也は社長の意図をしっかり理解していた。何よりも信也自身が金儲けが好きだったからだが。三谷と堀田の会話を、何気なく盗み聞く。

(堀田くん、どうやら上村さんが動くみたいだよ)

 上村ファンドの代表は、孤高の相場師でもある。

(放送局でしょ。おいしい話だよね…)

 囁き声をしっかりと脳にインプットして、信也はピンクのドンペリを飲み干す。ヤマト放送だな、と推測する。他社の情報はインサイダー取引には当たらない。彼らには見返りに、経営するグループの株を顧客に売りつけてやる。これはそういう暗黙のトレードなのだ。

 今夜はこのネタだけで十分だったので、信也はコースターに何か書き堀田の前にさりげなく置いて、パーティールームを出た。堀田は「23時 玄関先ワゴン」と書かれたコースターのメモを見やる。今夜のお礼がしたい、というのだろう。


 指定の時間。六本木ヒルズの玄関先に待機していたスモーク貼りのワゴンが出発する。車内には前戯が用意されていた。堀田と三谷は慣れた手つきで、当時まだ“脱法ドラッグ”と呼ばれていたクスリを歯茎にすり込んだ。

「信ちゃん。これ、違法じゃないよね?」

 訊いてくる堀田に、助手席の信也がルームミラー越しに答える。

「抗うつ剤だから、れっきとした医薬品。ま、来年には違法になるけどね」

「ドラッグと法律は、永遠のイタチごっこだねえ」

 独り言のように堀田が言う。三谷の方は少し目が怪しくなっている。

「今夜は何?俺、癒し系キボンヌ」

 希望する、という意味の当時流行ったオタク言葉だ。堀田もリクエストする。

「俺はバリバリのウルトラハードで頼む」

 信也はふたりの希望に添った秘密クラブを、自分の情報網から引っ張り出した。


 そこでは退廃的な空気漂う乱交パーティーが催されていた。ステージ上では、米軍女兵士が拘束されたイラク兵にセクハラをしている。実際に報道された事件のパロディらしい。裸の女たちに囲まれた堀田は、どんよりした目でそのステージを見ている。辱められているイラク兵が、突然拘束服を破って吠えた。

「そうだ、イラク頑張れ!ファックユー、USA!ファッキュー」

 掘田の叫びに応えるかのように、イラク兵が米軍女兵士を逆にレイプし始める。IT界の寵児は嬌声を上げてステージに上って行った。また別の部屋では、三谷が巨体の女たちの乳房に埋もれて甘えていた。

「ママ、ママ…ぼくがきっと、ママを楽にさせてあげるからね」

 癒しが欲しいとリクエストした大の男が、幼児のような甘え声で女にすり寄る。

「ケ。ガキが、生意気言うんじゃないよ!」

 巨体の女が自らの乳房で三谷を窒息させようとし、平成の信長と呼ばれる男の恍惚がブルーライトに照らされた。

 信也はこの秘密クラブの管理室で、彼らの様子をモニター・チェックする。この店自体がWGIの管理下にあるから容易い。お得意様に変事があってはならないとの配慮だったが、今の信也に変事と常時の区別はつきかねている。

 ピンクの酒に粉ドラッグを溶かし

「ああ、もっと。もっともっとだ」

 と一気飲みして、グラスを壁に投げつけた。銀行員にもトレーダーにも、ましてヤクザにもなれない自分を呪った。


 ようやく経営収支が上向きになった頃。航平は穂高を接待する席に、信也を連れて行った。銀座の高級クラブは、その日一日貸し切りだった。

「会長。長らくお待たせしました。ようやくお借りした事業資金、返済できそうです」

「そんなもん、いつでもええのに。比嘉ちゃんは律儀な男やな」

 穂高は荻原組の中で唯一、この比嘉航平を信頼していた。筋モノのくせに、やたら真面目なこの男を。

「企業としての信用問題ですから。それと利息代わりと申しては何ですが…」

 航平は穂高に耳打ちした。先日信也が得た情報を伝えたのだ。

「TOB(公開買い付け)でっか。ほな、今のうちでんな」

 はやる穂高に、航平はプランの一端をちらつかせる。

「今はまだ。ひと月お待ちください、ガクンと値が下がりますので」

 やはりこの男は真面目だ、と穂高は感心した。

 内ポケットからバイブ音が鳴る。

「信也。会長のお相手を頼む」

 携帯で部下に指示するために、航平は廊下に出た。

「ああ…創業者一族のスキャンダルを他のメディアに流せ。足を引っ張りたい連中が飛びつくはずだ。それからな…」

 その間、信也は穂高と雑談した。いい機会。興味の尽きない相手だ。

「個人資産?知らんなあ」

「噂では、一兆円を超えるとか?」

 聞いていたホステス達が驚声を上げる。

「かもしれんし、百万程度かもしれんし。どっちゃにしろただの数字や。数字いうんは、追っかけとるうちだけの華や。摘んでもうたら尻も拭かれへん」などと言いながら、隣に座るママの尻を撫でている。

「凄いです。自分も、会長のようなフィクサーになりたいです」

「ああ、やめとけ。仙人になりたがったナンチャラみたいなもんや」

「…杜子春?芥川の、ですか?」

「カネなんぞ、人の心失くしてまで欲しがるもんちゃうわ」

「そうよお。世の中で一番大事なものはやっぱり『家族』よ」

 ママが尻を撫で続ける穂高の手をつねる。

「奥様に言いつけるわよ。メ」

 場が笑いに包まれる中、信也は期待外れの答えに失望していた。まるで、坊さんか教育者が宣う綺麗ごとだ。

「ま。顧問くんは、わしより比嘉ちゃんを目指すこっちゃな。喧嘩が強うて頭も切れる、見た目も申し分なし」

 周りのホステス達も頷いている。この女たちもあの男のフェロモンを感じているのか、と信也は軽く嫉妬する。

「何より、真面目にヤクザやっとるんがええわ。なんかの贖罪みたいにな。それが哀愁や色気を生む。わしはな、顧問くん」

 どうやら名前も覚えてもらっていないのか、とイラつく。

(武田、だよ!ジイさん)

「彼が望むんやったら、穂高ローンの後継者にしてもええ思うとるんや」

「こ、後継者?」

「男が男に惚れる、いうやっちゃな」

「あらやだ。BLの世界ね」

 若い女子達の間で流行り始めた新語で、ボーズ・ラブとかいう理解に苦しむ世界だ。嬌声を上げる女たちにも、信也は八つ当たり的にイラつく。

「BLは知らんが、男の子はみんなヤクザもんに憧れるもんやねんでえ。ガハハ」

(憧れ?)

 グラスを持つ手が止まる。フルーレで航平を襲撃した自分の姿がフラッシュバックしたのだ。

(俺も心のどこかでアウトローに憧れて、この世界に引き込まれたのか?)

「会長。失礼いたしました」

 航平が恐縮しながら席に戻った。

(だが、あれ以来俺はこの男の言いなりで、その上…引き立て役?どこがアウトローだよ。パシリじゃねえか!)

 自分に芽生えた感情が嫉妬以上のものだと気づかぬまま、信也は酒を呷った。

 

 数日後からヤマト放送局前の公道に、右翼の街宣車が日参した。古い手だが効果的、と小島が評したあのやり方だった。

「旭日烈風隊、であります!天下の公器であるはずの放送局が~創業者とテレビ局の派閥争いに振り回され~あろうことか、ハゲタカファンドまでが便乗し~自ら、その魂を売ろうとしておりまあす。我々はあ~愛国の士なのであります。もはやこの状況をお、看過できないのであります!」

 右翼然とした男のアジに通行人たちが立ち止まる。警官たちも取り囲んではいるが、険しい顔で手をこまねいている。思想の自由を盾にする以上、彼らを取り締まれるのは「騒音に関わる環境基準」を超えたときだけなのだ。やつらも選挙時の街頭演説と同じデシベルでしかアジってはいない。

「言論の自由!そう、言論の自由が~今まさに~侵されようとしているのでありま~す」

 どの口が言ってやがる。警官の一人が舌打ちする。

 前代未聞のマスメディア買収劇が始まろうとしていた。ただ歴史が示すこの事件の顛末は、銃弾カネの浴びせ合いからの泥沼の法廷闘争に帰結する。誰もが得をしなかったかに見えるその陰で、荻原組と穂高邦夫個人だけは莫大な利益を手にした。表と裏の顔を使い分けて、闇はより深く濃くなっていった。

 


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