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第6話


 平成九年~平成一二年


 東京地検特捜部が東西銀行を家宅捜索してから、しばらく新聞紙面は関連ニュースで賑わった。『東西銀行頭取以下24名そろって退陣』『供出額125億円!時効前にも300億超―裏には大和田組フロント企業社長N氏の存在』等々。

 長尾が会長を務める経世研究会に捜査の手が伸びたのは、信也が東京地検に出頭したひと月ほど後だった。普段は物静かなインテリ風の長尾だが、連行されていくシーンだけはふてぶてしく居直った表情に見えた。それは報道各社がそういう瞬間を切り取ったためだろう。企業舎弟とは見るからに悪でなければいけないのだ。『特捜部、大和田組も視野』の記事はさらにそのひと月後だった。スクープゲッターの某週刊誌は『捜査の決め手は武田メモ』として、武田宗太郎と女の情事の現場写真まで掲載した。『これが経済ヤクザの手口だ!』と、大衆受けを狙う見出しで美人局という死語をよみがえらせた。


 東京郊外にある精神神経科専門の私立病院に、信也の母親が入院した。週刊誌ショックで心を病んだのだ。

 病室には屈強そうな男性看護士に付き添われた車椅子の皆子がいた。息子が入ってくると「ああ、ああ」とうめき声を上げて涙を流した。だがすぐに彼女は「あなた」と言い、信也は言葉を失った。

「やっぱり、やっぱりあなたは生きてた。信也なら大丈夫よ。あの子はすやすや寝てるわ。今日は運動会だったから疲れたのね」

 自分を夫だと誤認している。見ると母の目は濁り、心なしか吐く息すら臭いと感じた。そして、この人の面倒を見ていかなければならないのか、と信也は一気に憂鬱になった。相手もそれを感じとったのかもしれない。皆子の表情が急にこわばった。

「違う。違う、あんた武田じゃないわね!」

 徐に信也の首を掴んで締め始める。

「長尾!あんた長尾ね。私の夫を、私の生活を返しなさい!」

 看護士が皆子を取り押さえ首に鎮静剤を打ってからも、信也の憂鬱は増幅する一方だった。航平が運転する車の中でも黙り込んだままだった。

「まあ、ショックだわな。罠とはいえ、旦那のあんな写真が日本中に出回ったんだからな」

 言われて信也は首をさすった。母の手の感触が残っている。本当に殺されかねなかった、というえも言われぬ恐怖が今になって浮かび上がってきた。

「お袋さんのことは俺が面倒見てやる。お前はアメリカできっちり勉強しろ」

 こっちの気も知らぬ航平が恩着せがましく説く。右も左も鬱陶しい人間だらけだ、と信也は顔を伏せた。

「言ったろ?家族同然って。俺はな…」

 航平の言葉が耳をすり抜けていく。言われるまでもない。面倒なのはゴメンだ、とっととNYに行こう、と信也は決心した。


 次の週から「世田谷土地開発」に対する小島の攻撃が始まった。店内には客に応対する日常の光景が広がっていた。が、玄関先に街宣車が乗りつけてからは一変する。迷彩の軍服を着た男がマイクをオンにする。

「我々は、旭日烈風隊世田谷支部です~ご通行中の皆様~加えて世田谷土地開発に~ご来店のお客様」

 その伸びる声に、店内の客や社員たちが一斉に振り向く。

「この会社が~巷間、噂の経世研究会の~関連企業であることは~ご承知でしょうか?」

 店内に動揺が走る。世田谷土地開発は土地転がしに不良債権の差し押さえ、そんな業務を裏の日常とする不動産屋だったからだ。

 同時刻「スマイル」というローン会社に対しても、街宣車によるアジ攻撃が繰り広げられた。「あなたのスマイルがわが社のスマイル」と、アイドルを起用したテレビCMを打つ消費者金融から笑顔が消えた。

「この会社こそは~広域暴力団大和田組の資金源なのであります。すなわち~ここで、お金を借りることはあ~生き血を吸われる!ということなのであります。女性は~特殊浴場に~売り飛ばされる!ということなのであります」

 言葉を信じたというよりは、関わり合いになりたくないATMの利用客たちが顔をしかめて離れていく。小島はその様子を喫茶店のテラスから確認していた。

(こんな古くせえ手は何年ぶりだかな)

 いや昔より今の方が効果はあるはずだ、という確信もあった。社会はよりナイーブで脆弱になっているからだ。金融会社の二階ではサラ金の社員たちが手を止めて、外から飛び込んでくる拡声器の声に耳をすましていた。

「我々は~社会正義のために~暴力団の~報復を恐れることなく~ここに立ち上がった~愛国の士!なのであります」

 この会社は不動産屋など他のフロント企業に比べて、より濃い目のブラック企業だった。課長らしき男が電話で指示を仰いでいる相手は、大和田組本部にいる幹部だ。

「はい。はい、わかりました。そのように」

 営業課長は電話を切って

「絶対に手を出すな!無視して、通常業務に専念しろ」

 と一喝したが、社員たちは窓の外が気になってしょうがない。

「社員の皆さんも~転職をお考えになってはいかがでしょうか?」

 自重を求めた課長の方が無視できなくなった。

「おい、おまえら。転職でもなんでもしていいぜ。ただ、本当に怖いのはどっちか、わかってんだろうな!」

 さらに引き締めるつもりのセリフは萎縮しか産まなかった。ビリビリした雰囲気の中、「お母さんが泣いてますよ~」というのんきな声が社内に流れてきた。


 都内で比較的穏健な抗争が繰り広げられていた半年ほどの間、航平は温泉旅館に滞在した。『膿を出す!特捜部政界にも言及―前政権大臣級の関連示唆』『橋本内閣支持率73% 参院選へ手ごたえ』などといった見出しが躍る週刊誌も冷静に読んだ。

(へえ。政治家ってのは何でも票に替えるもんだな)

 と、感心したものだ。だがそろそろわかりやすい事件でも起きてくれるといいが。そう航平が思っていた矢先に、ターゲットのひとつ「帝都証券」でこんな事件が起きた。店頭にレインコートを着た不審な男が入ってきて「店長!店長はいるか?」と騒ぎ始めたのだ。何かが起こる、そこにいた全ての者が予感した。

「俺はな、お前らに騙されて、東西銀行の株買わされてなあ」

 男はコートの内から火炎瓶を取り出した。

「破産しちまったんだ!」

 火をつけられた凶器数本が事務所内に投げ込まれた。あちこちで火の手が上がり、店内がパニックに陥る。男は興奮状態で踊り始めたのだという。

「燃えろ燃えろ~」

 現場にいた客のひとりは、火よりも男の陶酔した表情の方が恐ろしかったとのちに語った。やがていかついグレーゾーンの社員が、消火器で男の頭を殴って倒した。

 

 この事件はテレビでも大々的に報じられて、航平はすぐに小島に電話を入れた。それを受けた小島は組事務所を出るところだった。

「違う違う。あんなド派手なこと俺がやらせるわけねえだろ。こっちはこっちで、おまえの仕込みかと勘ぐってたんだぜ」

 そう小島が弁解していた頃、本人と彼の取り巻きは気づいていなかったが、大和田組の刺客ふたりが電柱の陰から見張っていた。

「ああ。暴対法の手前、目立つことは厳禁だと若いモンにも口酸っぱく言って…」

 ふたりの刺客が電柱から飛び出し

「大和田組なめんなや!」

 と、ポケットから何かを取り出した。

「おやっさん!」

 小島が伏せ、組員たちがかばう。と、刺客たちは道端で拾ったであろう石を投げるだけ投げて一目散に逃げて行った。小島たちがあっけにとられていると、放り出された携帯電話から航平の声がした。

―おい、頭!どうした、なんかあったのか?おい!

 小島は立ち上がって、電話をとった。

「へえ、おまえに心配されるとはな。何でもねえよ、ああ」

 通話を終えた小島は、深いため息をついてひとりごちた。

「素人が火炎瓶で、ヤクザが石ころかよ。暴対法さまさまだな」

 それから石を拾い上げ、「警官立ち寄り区域」と書かれた看板に投げつけた。


 マスコミで一躍闇経済の象徴とされた長尾は、東京拘置所の面会室で顧問弁護士と話した。すでに年は替わって平成十年(1998年)である。拘置されてから半年以上が経っていた。仮釈放の許可は降りなかった。証人となりうる人物との接触を断つと同時に、彼らの安全を確保するためだ。つまり航平の用心は杞憂で、信也はアメリカまで行く必要はなかったとも言えるのだが。

「結局、俺はとかげの尻尾だったってわけか」

 自嘲気味に言う長尾を弁護士が宥める。

「まあ、そう言うなよ。こうやって顧問弁護士をつけてくれてるんだから、大和田さんもきみを見捨てているわけじゃないよ」

 だが長尾は白けた顔で床に唾を吐き、それを見た刑務官が気色ばむ。

「二〇八番!そういう態度をとるのなら、打ち切るぞ!」

 何も言わない長尾の代わりに弁護士が慌てて刑務官に謝った。そして小声で

「うまく立ち回れば五年で出られるんだから、短気起こすなよ」

 と諭したが、長尾は黙っていた。

(五年?ふざけるな)

 長尾は決断した。

「じゃ、私はこれで。会社に伝えておくことあるかい?」

 帰りかける弁護士に事務的に伝えた。

「そう言えば長いこと、比嘉コンサルタントの社長に不義理をしているな。ウチの総務部に、今年は新賀祝いを倍にして贈るよう言っといてください」

 弁護士は頷いて「それで、わかるんだね?」と返した。長尾も笑みを浮かべて頷いてみせた。喧嘩両成敗だろ?笑みの裏で長尾被告はつぶやいた。


 温泉旅館で妹母子を待つ航平は、露天風呂を見下ろす窓際で、五年前にも彼女たちとここに来たことを思い出していた。まだ四歳の瑠奈とこの風呂につかった。水鉄砲で航平を撃ちながらキャアキャアはしゃいでいたものだ。

「お前は本当に、女の子なのか?」

 航平はしばらくなすがままにさせていたが、抱きしめて落ち着かせた。瑠奈は航平の頬にキスして言った。

「ニイニイは、今日から瑠奈のターリー(お父さん)にしてあげる」

「…おい。俺はお前のニイニイでも、ターリーでもないぞ。叔父さんだ」

「おじさん?」

 瑠奈には意味がわからないようだ。そこへ裸の陽海が入ってきた。

「誰が見ても親子サ」

 湯を背中の観音菩薩にかけながら言った。

「わんはニイニイ、瑠奈はターリーでいいサ」

「バカ野郎、そうはいくか。あと、お前ウチナーグチ(沖縄弁)やめろ」

「あ、出てた?ヒヒ」

 陽海が前も隠さず、湯船に飛び込むように入ってきた。飛び散る飛沫に瑠奈は大喜びだ。

「ぬう、フラー!(この馬鹿)」

「ニイニイもウチナーグチ」

 陽海はケラケラ笑いながら、航平をうしろから抱きしめた。その姿は幸せな夫婦と娘にしか見えなかったはずだ。

(もう少し…だからな)

 航平は回想を打ち切って、瑠奈の好きそうな子ども用の惣菜を注文するため電話に向かった。




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