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第3話

怖いけど覗いてみたくなる裏社会。平成の水面下に蠢く経済ヤクザどものノワール・クロニクル(暗黒年代記)。


 ウォームアップと己への気合注入を終えた後、自宅に戻った信也は改造剣を作り始めた。まず、どこにでもあるビニール傘を用意し、ラジオペンチで傘の中軸を抜き取る。フェンシングの剣はブレード(刀身)、ガード(鍔)、ヒルト(柄)に分解することができる。偽装するために目立つガードを取り外し、ブレードとヒルトを傘の中軸代わりに仕込んだ。慎重に受け骨の中心を通し針金で固定した。傘を開いてみる。問題なし。これで傍目にはビニール傘にしか見えない改造剣の出来上がり。


 目的地に着いた頃には、折しも雨が降り始めていた。信也は比嘉経営コンサルタントの入るオフィスビルの向かいの庇を借りて、ビニール傘で顔を隠しながら目立たぬように佇んだ。

 一時間ほど待っただろうか、ビルの中から数名の人影が現れ、玄関先に並んだ。どの男も身なりはスーツ姿だが、目つきがサラリーマンのそれではない。ボスの帰りを迎える黒服のマフィアか。黒塗りの車が玄関先にすべり込み、中から運転手の男とターゲットらしき者が出てきた。信也はプリントした顔写真を確認する。間違いなくHPに載っていたあの男だった。

「プレ」

 針金を外し、ビニール傘から改造剣を引き抜く。フルーレのヒルトを握り締め、比嘉航平目がけて走り寄る。五感が冴えているのか周りの動きはスローになり、地に張った雨水を蹴散らす自分の足音がうるさかった。思いのほかスムーズに通行人たちの脇をすり抜けた。不意を突かれ、黒服の男たちが立ち往生するのが見える。間隙をついて、剣を突き出す。剣筋よし。

(トゥシュ!)

 だが、突きは決まらなかった。ターゲットは一瞬顔をしかめはしたが、信也が最後の一歩を踏み込む刹那、部下であろうひとりの体を楯に使った。剣先はその肩に突き刺さっただけだった。

(ち。パラードか)

 パラード、防御されたということだ。失敗。

「取り押さえろ」

 冷静な反応だった。くそ、慌てさせることすらできなかったか。三秒後には航平の部下たちに襟首をつかまれ、信也は雨に濡れた石畳の上を引きずり回された。だが取り押さえられてなお、航平を睨みながら言った。

「何が企業舎弟だ。愛人を寝取られて親を脅すなんて、ただのチンピラだろ!」

 航平は襲撃者の言葉が理解できず

「は?何言ってんだ。この…」

 ガキ、と言いかけて周囲を感じ取る。人が見ている。

「お客様」

 信也を立たせ、その肩を抱いた。

「ここではなんですから、事務所の方へお越しください…」

 ませ!と続けると同時に、信也の鳩尾にショートフックを入れた。周りに悟られないよう慎重に的確に、そして強力な一撃。

(り、リポスト)

 突き返された、という意味。それにしてもプロのパンチとはこういうものか。自分の体にこれほどの衝撃を受けた経験はなかった。ドラマや映画の安い演出のように、呻き声すら上げられず信也は失神させられた。代表取締役は部下たちを見回し、吐き出した。

「戻れ。緊急会議だ」

 会議は荒れる。そこにいる者たち全てが予感した。


 信也は事務所の中の応接室に放り込まれた。手足を縛られアイマスクと猿轡をかまされている。隣の会議室からはゴンゴンと鈍い音がする。窓の内側に血が飛んでへばり付く。航平が皮手袋を嵌めて部下たちを殴りつけていた。

「こういうとき進んで盾になるのが、てめえらの仕事だろうが。なんのために飼ってると思ってやがる。穀潰しどもが!」

 運転手の渡辺が、折れて血が止まらない鼻を押さえながら航平にすがる。

「か、堪忍ひてください、ひゃちょー」

 航平は聞く耳を持たず、渡辺を蹴り上げた。全治二週間の見せしめだ。椅子に座って手袋を外す。

「お客様を丁重におもてなししろ」

 殴られた部下たちはわれ先に会議室を飛び出していく。残された航平が改造剣を弄ぶと、切っ先が指に刺さった。

(つっ。針みてえな剣…フェンシングか?だが、こいつはスポーツに使うような健全な道具じゃあねえな)

 指から出た血を見つめる。フェンシングの事はよく知らないが、確か切っ先はゴムカバーで覆われているはずだ。そうでなければ毎試合怪我人が出るだろう。対してこの切っ先には、やすりで研いだ跡が見受けられる。

 大真面目の襲撃ってか?だがプロでもない。本職ならもっと手っ取り早い道具を使う。俺なら日本刀だ。とち狂ったド素人ならせいぜい包丁かナイフだろう。狂ってもいないのにこの素人は、自分にみ合った武器で俺を襲ったわけだ。気色わりいな。信也の財布の中を調べると東西銀行の社員証が出てきた。「投資部 武田信也」とある…そうか…あの武田の息子が同じ会社にいたはずだ。航平は応接室に向けて叫ぶ。

「おい!ちょっと待て」

 本当にお客様のようだ。航平が応接室に入ると、部下たちはソファに寝かせた信也を囲んで立ち尽くしていた。

「どうした?」

 静まり返った中、かすかに寝息の音が聞こえる。航平がアイマスクを取ると、襲撃者の寝顔が微笑んでいた。

「ハ、こいつ面白えな。面白えわ」

 笑いながら航平は、向こうから飛び込んできた獲物をしばらくは大事にしてやらねばと思った。


 そのあと航平は信也を自分のマンションに運びソファに寝かせた。応急処置をして顔や体中に包帯が巻かれている。航平自身は陽海の膝枕で耳かきをされながら、スクラップブックを確認する。小さな囲み記事の見出しは『大手銀課長自殺―民暴絡みか?』とあり、宗太郎の顔写真が添えられている。

「おい」

「はいさ」

 気の抜けた返事が返ってくる。この女のネジは少しゆるんでいる。

「ハル。お前は股さえ開きゃ、男が思い通りになるとでも思ってんのか?」

「や、ワンはよかれと思ってサ」

「くんフラーさ」

 沖縄の言葉で(大馬鹿だ)と言ったため、陽海はむっとして耳かきを奥に突っ込んだ。

「いて!」

「ニイニイこそワンをいつまで…」

 陽海が怒り始めたところで、信也が呻き始めた。

「おい」

 目配せされ、陽海がキッチンからビールといくつかのグラスを運んできた。目覚めた信也は、まだ状況がつかめずあたりを見回す。

「はい、気つけ薬」

 陽海がコップのビールを目の前に置いたが、やはりそこにいる人物もビールという飲み物すら認識していないようだ。

「まさかタマ取ろうとした奴の顔、忘れたんじゃねえだろうな?」

 少しずつ記憶が戻ってきているのを見計らい、航平は陽海を抱き寄せて見せた。

「こいつの愛人のヤクザだ」

 陽海は航平の手をつねってから、信也に両の手を合わせた。

「ごめん、嘘。うちの兄貴」

 記憶を取り戻した信也が身構える。

「お前、解答は満点だが、名前を書き忘れるタイプだな」

 航平は呆れたような顔で、自分の名刺を放り投げた。

「経営コンサルタントをやってる比嘉だ。銀行が嫌になったらうちに来い。平成の世の中で親の仇討ちなんて見所あるぜ」

 相手は何を言ってる?という顔。さらに航平は別の名刺を放った。『経世研究会 代表・長尾一慶』とある。

「お前の親父を追い込んだのは、そっちだ」

 言われて、信也は名刺と航平を交互に見た。

「長尾も俺も、経済ヤクザとか民暴とか呼ばれる輩だ。企業にとっちゃ〝あってはならない、なくてはならない存在″よ」

 隣で陽海が、手酌のビールを飲みながら補足する。

「兄貴が関東系でそっちのが神戸系。大和田組くらい聞いたことあるでしょ?」

 航平はスクラップブックを示して説明した。

「お前の親父は東西銀行で総会屋対策を担当していた。おそらく何かの案件で大和田組と揉めて、会社との板ばさみに耐え切れず死んだ…そんなとこだろ」

 信也は黙ったまま、ただ言葉の意味を反芻する。航平が柔らかい目でビールを勧め、信也は導かれるように一気に飲み干した。陽海はそこまで見届けると、グラスをキッチンに持って行く。

「さてと。私はお邪魔ね。瑠奈ちゃん、帰るよ。起きて」

 キッチンの奥には別の部屋があるようだ。ドアを開けて誰かを呼んだ。小さな女の子が目をこすりながら出てきた。

「アンマー(おかあさん)、終わった?」

「うん。ニイニイはまだお仕事だから、おうちで寝ようね」

 と、その娘を抱き上げる。

「え、子どもがいたんですか?」

 信也は思わず聞いてしまった。陽海は瑠奈の手を引いて、リビングを振り返った。

「にしては、チョベリグなナイスバディだったでしょ?ヒヒ」

 それだけ言い残して、母子はそそくさとマンションを後にした。信也は民暴の男とリビングでサシの状態になる。空気が淀む。


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