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最終話.エマとレオナール


 ―――前世の記憶を持つ人間は、この世にどれくらい存在するのだろう。

 そう何度も自分自身に問い掛けていた時期が、エマにはあった。



「―――とても綺麗です、エマさま」



 閉じていた瞼を持ち上げたエマは、鏡に映る自分の姿を見る。髪型も化粧も、ここ一番の力作だ。

 華やかさの欠ける黒に近い髪には、純白の髪飾りが映える。イスから立ち上がると、ドレスの裾がふわりと揺れた。



「ありがとう。何だか私じゃないみたい」


「間違いなくエマさまですよ」


「……ねぇ、今は敬語じゃなくてもいいんじゃない?ミリア姉さん」



 エマが唇を尖らせると、侍女服に身を包んだミリアが笑った。



「ほら、普段から敬語使ってないと、うっかり公の場でも間違えちゃいそうでしょ?」


「それは気を付けてほしいけど…慣れないもの」


「はいはい、今日は待ちに待った結婚式なんだから、そんな不満そうな顔しないの。笑顔笑顔っ!」



 ミリアにバシッと背中を叩かれ、痺れの残る背中を擦りながらエマは苦笑する。

 今日このあと、エマとレオナールの結婚式が行われる予定だった。


 数か月前に開催した婚約発表を兼ねたパーティーは無事に成功し、エマの想像以上に祝福の声は多かった。

 仮面舞踏会でのエマの言動が反響を呼び、貴族の中では良い方向に評価され、城内では悪女という噂は跡形もなく消え去っていた。

 そして、あの日に繋がった縁もある。



 仮面舞踏会の日に、両親から不当な扱いを受けているのではとエマが疑った子爵令嬢は、現在城で働いている。

 エマの疑いは事実だと判明し、レオナールがすぐに手を打ち、子爵夫妻は捕らえられた。翌日、令嬢は感激の涙と共に「一生ついていきます!」とエマの両手を握った。


 ラザフォードの婚約者候補であり、ヴィオラから辱めを受けた侯爵令嬢フィオネは、いろいろな場で平民へ手を差し伸べてくれていた。

 王都の外れにある孤児院への寄付など、主に金銭面でサポートしてくれている。一度会って感謝の気持ちを伝えれば、「あなたが差し伸べてくれた手の温かさを忘れないわ」と笑顔を返してくれた。



 誰かに手を差し伸べれば、握り返してくれる人がいる。たったそれだけのことが、自分の選択を大事にしていいという自信になった。

 前世で“護衛騎士レオ”に差し伸べた手は、時を超えてエマを一番幸せな場所へと導いてくれた。



「……もうすぐ時間かな。緊張してきた」


「なーに言ってるの。ここぞというとき、エマはいつも自信満々な顔してるじゃない?」


「前世の記憶があって、本当に良かったわ」



 ミリアと笑い合って緊張をほぐしていると、扉が叩かれる。そこから入って来たレオナールは、エマを見るとふわりと微笑んだ。



「綺麗だ、エマ」


「あ、りがとう……レオも素敵…」



 両手で口元を押さえ、エマは目を輝かせながらレオナールをじっくり眺める。エマと合わせた純白のスーツには、金色の装飾が輝き、セットされたプラチナブロンドの髪との相乗効果で全身が輝いているようだ。


 うっとりと見惚れているエマに笑いながら、ミリアがレオナールに頭を下げる。



「この度はおめでとうございます、レオナール殿下。エマをよろしくお願いします」


「ああ、約束する。……エマが素敵な家族に恵まれて良かった」



 優しく笑ったレオナールが、扉の先に視線を送る。そこから入って来たのは、両親とセインだった。



「父さん…母さん……!!」



 エマが顔を輝かせて近付くと、セインが「おい、俺は?」と口を尖らせる。



「兄さんはいつも会ってるでしょ。……父さん、泣くの早すぎるんじゃない?」


「エマ……!おめ、おめで…!」


「あらあら、大きい子どもね全く。……エマ、綺麗よ。本当におめでとう」



 父親のマークの涙をハンカチで乱暴に拭いながら、母親のリディが優しく微笑む。

 家族と他愛ない会話をして幸せな気分になってから、エマとレオナールは先に部屋を出た。廊下には側近たちが控えている。



「わ〜エマ、花嫁みたいだね!」


「……花嫁だろう」


「ウェス、間違っても公衆の面前で呼び捨てにしないように」



 ウェス、ルーベン、アンリがそれぞれ口を開いてから、エマに向かって正式な礼をとる。この扱いには未だに慣れないが、レオナールの妻となる以上受け入れなければならないのだ。



「改めておめでとうございます、エマさま。レオナール殿下」


「シルヴァン、ありがとう」



 エマの正式な護衛騎士として任命したシルヴァンは、女性の使用人たちからの人気に火がついた。

 シルヴァンに近づこうと、エマの新しい侍女になることを望む使用人が殺到していた。色恋沙汰で騒動を起こされても困るので、ひとまず実績を積んだミリアを採用している。

 この先の人事についても、レオナールと相談してよく考えなければならない。



 側近たちを連れ、エマとレオナールは並んで控室へと移動した。挙式は王都の教会で行われ、そのあと城へ戻って披露宴となる。


 控室には国王と王妃、ラザフォードとグレース、そしてオレリアがいた。美男美女揃いの眩さに目を細めていると、皆が口々に祝いの言葉を伝えてくれる。

 次はオレリアの番だという時に、その大きな瞳からボロボロと涙が零れ落ちた。



「オ、オレリアさま?」


「ほ、本当におめでとう…!それから、も、もう私の侍女じゃなくなるんだから、呼び捨てでとお願いしたでしょう?……お、お義姉さま」



 照れたように頬を染め、オレリアが笑う。こんなに可愛い義妹ができるなんてと、エマも照れながら微笑んだ。



「……オレリア、ありがとう。これからもよろしくね」


「ええ!お義姉さまが二人もできるなんて、私は幸せだわ」


「オレリア、僕たちの結婚はまだ先だ。ラマディエ国との国交もより細かく考え直す必要があるし、向こうの国民たちともまだ満足に交流できていないからね」



 ラザフォードがソファの背に片手を起きながら、優しい目でグレースを見る。グレースは「ふふ、楽しみね」と笑って答えた。


 エマたちの婚約発表のあとで、ラザフォードとグレースの婚約発表が行われた。暫く世間はざわついていたが、ラザフォードが見事な手腕で貴族たちを説得した。

 以前グレースと個人で結んだ同盟は、国同士の同盟へと名前を変え、『誰もが自由に羽ばたける世界』へと近付いている。



「では、私たちは先に入場するぞ。レオナール、エマ…お前たちがこれから描く未来を、私は楽しみにしている」


「はい。楽しみにしていてください―――父さん、母さん」



 レオナールの言葉に、国王と王妃が揃って目を丸くしてから微笑んだ。笑顔で皆を見送りなから、控室にはエマとレオナールだけが残った。

 途端にレオナールが悪戯な笑顔を見せる。



「さて、二人きりだけどどうしようか」


「どうにもしないでしょ。すぐに声が掛かって入場になるわ」


「はは、つれないな。……まぁ、初夜を楽しみに待てばいいか」


「しょっ……!?」



 思わず声が裏返ってしまい、レオナールが楽しそうに笑う。相変わらず手のひらの上で転がされている気がしたエマは、ムスッと口を尖らせた。



「……望むところよ」


「戦地に赴くような言い方しなくても……おっと、本当にすぐ呼ばれたな。先に行って待ってる」



 くすくすと笑うレオナールが、エマの頭上にキスを落とす。真っ赤になったエマは、そのすぐあとに呼ばれ、一人挙式会場の扉の前に立った。



「新婦、エマ・ウェラーさまのご入場です」



 温かい拍手に包まれながら、開け放たれた扉の先へと一歩を踏み出す。エマが目指す先に、レオナールが笑顔で待っていた。


 レオナールと出会ってから、エマの今世での人生は一変した。あっという間に過ぎ去っていく日々の中で、得たものはたくさんある。

 前世の恋の叶え方は、これで合っていたんだと…そう思うことができる。



 レオナールの隣に立つことを望んだエマは、今こうして隣に並んで神父の言葉を聞いている。

 前世からの恋が叶っても、ゴールはここではない。この先ずっと続いていく道を、二人で並んで歩いて行けますようにと、エマは心からそう願った。



(この先何度生まれ変わっても―――私の気持ちは変わらない。大好きなレオの、隣に立ちたい)



「―――では、誓いのキスを」



 エマはレオナールと向かい合うと、綺麗な碧眼をじっと見上げる。はにかむように笑ったレオナールと、とても優しい誓いのキスをした。

 二人を祝福するように、色とりどりの花びらが風に乗って舞う。



 王女と護衛騎士の物語は、村娘と王子の物語となって再び紡がれることになった。

 この物語が、この先に何度形を変え紡がれることになるかは、まだ誰にも分からない。



 ―――『ねぇレオ。もし前世の記憶を持って生まれ変わったらどうする?』


 ―――『はは、何ですかそれ?でもそうですね、俺は……生まれ変わったあなたを絶対に見つけると思いますよ、エマリスさま』



 何度生まれ変わっても、再び出逢えますように―――そう願いを込め、エマはレオナールと笑い合った。






《完》



最後までお読みいただき、ありがとうございました。

エマとレオナールの前世から続く恋の物語は、これにて完結となります。


ここまでお付き合いくださった読者の皆さまに、感謝の気持ちを込めて。本当にありがとうございました!

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