87.前世の恋の行方
仮面舞踏会の翌日、エマとレオナールは王族専用のテラスにいた。
使用人が淹れてくれた紅茶を口元へ運びながら、エマは綺麗に澄み渡る青空を見上げる。昨日の怒涛の出来事が夢だったかのように、周囲に流れるているのは穏やかな時間だ。
ふう、と一息吐き出してから、エマは正面に座るレオナールを見つめる。
癖の全くないプラチナブロンドの髪がサラサラと風に揺れ、それを鬱陶しそうに掻き上げる姿は色気を纏っている。
宝石のように輝く碧眼が、カップを口元に近付けたまま動かないエマを捉えた。
「……エマ?どうしたんだ?」
「国宝級の美貌が目の前にあったので、じっと見つめていました」
「国宝?……ああ、俺の目の前にもいるな」
悪戯に笑ったレオナールが、頬杖をついてじっとエマを見つめてくる。
その甘い雰囲気に飲まれそうになる前に、エマは慌てて紅茶を口に運ぶ。
「そ、それよりラザフォード殿下とグレースには驚きましたね」
あからさまな話題の逸らし方に、レオナールが可笑しそうに声を出して笑った。
「ははっ。そうだな…でも俺は、同盟の話の時に兄さんが顔を真っ赤にしていた様子を見て、こうなるような気がしてた」
「……確かに珍しい顔してましたもんね。良縁に恵まれて良かったです」
「このあとが大変だろうけどな。一応彼女は俺の婚約者候補だったから、兄さんの婚約者候補たちがどう受け止めるか…」
紅茶にミルクを入れ掻き混ぜながら、レオナールがそう口にする。
グレースはとても優秀で美しい隣国の王女だが、ラザフォードの婚約者候補たちを差し置いて突然選ばれるのだ―――未来の王妃となる立場に。
昨夜の仮面舞踏会で、ラザフォードの婚約者候補のうち数名が候補から外されたと聞いた。
貴族たちの反応としては、エマがレオナールの婚約者になるのかどうかに注目が集まっているが、公になれば同じくらいの衝撃を与えることになる。
「……そんなに心配そうな顔をしないでくれ。あの兄さんのことだから、何の算段も無しに行動するとは思えない。だからきっと、大丈夫だ」
「そう、ですよね…。まずは自分の心配をしないと」
飲み終わった紅茶を端に避け、エマは分厚い冊子を開く。そこにはズラリとドレスや装飾品が載っていた。眺めているだけで目がチカチカしそうなくらい眩しい。
エマとレオナールの婚約は、準備が整い次第すぐに公表されることになっている。
その後仮面舞踏会を中断した詫びのパーティーを開催し、そこで改めて婚約発表と挙式の日程の発表、ラザフォードとグレースの婚約発表が行われる。
今エマとレオナールがすることは、挙式への準備だ。決めるべきこと、やるべきことがたくさんある。
「気に入ったものがあればチェックを。そのデザインを元に、エマに一番似合うようドレスを作ってくれるらしい」
「……思えばオーダーメイドのドレスなんて、前世でも着たことがなかった気がします」
前世でエマが着ていたドレスといえば、姉からのお下がりばかりだった。『庶民くさいあんたにはこれでも勿体ないわよね?』と嫌な笑顔で破かれたドレスをもらったこともある。
自分だけのドレスを作ってもらえることにワクワクしながら、エマはページを捲る。その手を不意に握られ、口から心臓が飛び出そうになった。
「……で、殿下?」
「……前世で叶えられなかったことを…これから二人で、少しずつ叶えていこう」
レオナールの優しい声音に、エマは自然と笑顔が零れる。
前世で一番叶えたかったことは、もう間もなく叶うことになる。諦めきれなかった想いが、ようやく実を結ぶのだ。
エマがきょろきょろと周囲を見渡すと、レオナールが不思議そうに首を傾げた。
「どうした?誰か探しているのか?」
「いえ、誰にも聞かれたくないなと思いまして……レオ、あなたに伝えたいことがあるの」
「………っ」
突然の“レオ”呼びに、エマの手を握るレオナールの手がビクッと反応を示した。エマは思わず笑ってしまう。
「ちょっと、そんなに驚かないでよ」
「と、突然砕けた口調で呼ばれれば驚きます」
「どうしてレオが敬語に戻るの?皆の前で“護衛騎士レオ”に戻ったらダメよ」
エマはくすくすと笑いながら、「俺は今王子、俺は今王子…」と繰り返し呟いているレオナールを見る。
「レオ」
「あ、はい」
「私はエマリスだったときからずっと―――あなたのことが好き」
よくやく口にできた、前世からの想い。
ずっとずっと抱えていた、大切な想い。
「悪戯な笑顔も、優しい声も。背中を擦ってくれる手も、私を護ろうと剣を振るう姿も…」
「ちょ、ちょっと待っ…」
「王子になってからも変わらない志も、大切な人たちに囲まれて楽しそうに笑う姿も…何度でも、私に手を差し伸べてくれるところも。全部が好き。大好きなの」
レオナールは耳まで真っ赤にしながら、片手で口元を覆っている。照れる姿も可愛い、と心に書き留めながら、エマはふふっと笑う。
「ずっと、ずっと伝えたかった。……あの日、レオは私を護れなかったことを後悔していると言ったけど…私の後悔は、この想いをあなたに伝えられなかったことだった」
「……エマ…」
「私を…エマを選んでくれて、ありがとう。あなたの隣に立つことを許してくれて、ありがとう。想いを伝える機会をくれて…ありがとう」
ありがとうという感謝の気持ちが、次から次へと浮かんでくる。
前世から、今世へ。捨てることのできなかった想いはきっと、再び出逢うために必要だった想いだ。
「レオ……また私と出逢ってくれて、ありがとう」
エマは微笑みながら、頬を伝う温かい涙に気付いていた。
レオナールがその涙を拭い、頬に手を添えてくる。その手に甘えるように頬を擦り寄せれば、優しく笑ったレオナールがゆっくりと近付いて来た。
「俺も、あなたのことがずっと好きです。こちらこそ、出逢ってくれてありがとう―――エマ」
重なった唇に、積もり積もった想いを乗せる。
相手に伝わるようにと優しく。存在を確かめ合うように激しく。
(ああ―――幸せだわ)
想いが叶う幸せを噛み締めながら、エマとレオナールは互いに笑い合い、再びキスを繰り返した。
***
「……何をやっているのかな?」
「……何をやっているの?」
ラザフォードとオレリアが口を揃えてそう問い掛けたのは、レオナールの側近三人がテラスへ繋がる扉に張り付いていたからだ。
アンリがすかさず口元に人差し指を当て、「しーっ!」と小声で言う。
「お二人とも、お静かにお願いします。今タイミングを見計らっている最中ですので」
「……タイミング?何の?」
「あはは、レオナール殿下とエマに声を掛けるタイミングですよ〜」
眉を寄せたラザフォードに、ウェスが笑いながら答える。その言葉でピンときたラザフォードとは違い、オレリアは小首を傾げた。
「あら、普通に声を掛ければいいじゃない」
「全く…僕は君の純粋さが時々心配になるよ。想い合う男女がようやく結ばれ、テラスで二人きりなんだ。するべきことは一つだろう?」
オレリアは暫く沈黙したあと、すぐに頬を赤くした。ようやく意味に気付いたらしい。
「テラスにベッドは無いし、さすがにテーブルに押し倒したりはしていないだろうけど…」
「〜な、なっ……!レオナールお兄さまは、ラザフォードお兄さまとは違いますっ!」
「オレリア、男はそこに好きな女性の唇があれば、奪わずにはいられない生き物だよ」
これでもかと顔を真っ赤にしたオレリアの視線が、分かりやすくルーベンへと向く。
ここでルーベンが同じように顔を赤くすれば面白いのだが、恋愛事に疎い堅物の側近は、オレリアの視線を突入の合図だと勘違いしたらしい。
コクリと頷いたルーベンは、何の躊躇いもなくテラスの扉を開いた。
「……レオナール殿下、エマさま。失礼致します」
「ちょおぉぉルーベン!!」
「あはははっ!ルーベンさん最高〜!」
開け放たれた扉の先へスタスタと歩き出すルーベンの背中を、アンリとウェスが追い掛ける。
テラスには、顔を真っ赤にしてあさっての方を向くエマと、笑顔で怒気を発するレオナールがいた。
ラザフォードとオレリアは顔を見合わせ、吹き出すように笑う。
その笑い声は、澄んだ空気と混ざり合って空へ羽ばたいていった。




