86.目論見
国王の私室に入るなり、思ってもいない言葉を投げ掛けられた。
「―――それで、いつ式を挙げるつもりなんだ?」
エマとレオナールは同時に扉の前で固まった。
ソファに国王と王妃が並んで腰掛けており、向かい側に座っているのはラザフォードとグレースだ。
国王の瞳は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには思えない。
「そ……れは、どういう意味でしょう?式とは…」
「結婚式に決まっているだろう。どうした、先ほどの求婚は嘘だったのか?」
「嘘ではありません!ですが、まさか……エマを婚約者にすることを、許していただけるのですか?」
レオナールの声には動揺が滲んでおり、エマも同じ気持ちだった。こんなにすぐ許可をもらえるとは思っていなかったのだ。
王妃がくすりと笑い、ラザフォードとグレースの隣に座るよう促してくる。エマとレオナールは気を引き締めてソファに座った。
国王は深く息を吐き出すと、エマとレオナールを交互に見て頷く。
「……お前達の婚約を許そう。ただし、すぐにでも式を挙げることが条件だ」
「すぐに式を……それが条件ですか?」
「そうだ。今回の状況を見て、彼女が婚約者になったとしても、その期間が長いほどまた愚かなことを考える令嬢が現れるのではないかと判断した」
複数人の婚約者候補から、たった一人の婚約者が決まる。
レオナールの唯一にエマが選ばれたとしても、諦めきれずにどうにかして婚約を破棄できないかと考える者が現れることを、国王は危惧しているのだ。
「通常は婚約期間を長めに取って備えるものだけれど……あなたたちには不要な気がしたのよ」
王妃がエマに向かって優しく微笑んだ。
平民で黒髪のエマが受け入れられた理由は、レオナールを庇ったからなのだろうかと疑問に思う。
エマとレオナールの反応が鈍いことに、国王が片眉をつり上げた。
「お前たちは互いに想い合っているんだろう?何をそんなに不思議そうな顔をしている?」
「それはっ…、今までの俺への陛下の態度を思い返せば、疑問に思うに決まっています」
「私の態度?それは、お前を王都の外へ追放した過去のことを言っているのか?」
エマの隣で、レオナールがぐっと拳を握ったのが見えた。
いくら過去の出来事でも、そう簡単に切り離せる過去ではないはずだ。内容を知っているエマも、つい顔をしかめたくなってしまう。
(……せっかくレオナール殿下の婚約者になれるのに、どこか釈然としないのはどうして?陛下の考えが読めないから?)
国王の視線が、不意にエマを射抜いた。
「……君はもう、レオナールの追放の話を聞いているんだろう?私の考えが間違っていたと、そう思うか?」
「私は……」
正直に答えていいものかと、エマは言葉を紡ぐことを躊躇った。けれど、隣から伸びた温かい手のひらがエマの手を握ってくれる。
愛しい温もりに口元を緩ませてから、真っ直ぐに国王を見据えて言葉を続けた。
「……私は、国王陛下のお考えを否定するつもりはございません。この世界で貴族階級が重要視されていることは事実ですし、その頂点に立つ王族が階級制度を蔑ろにすれば、当然貴族たちの怒りの矛先は王族へと向くからです」
エマは自然と前世を思い出す。エマの家族は権力が全てで、周囲に好んで置いた人物も権力に固執する者ばかりだった。
けれど、これ見よがしに力を振りかざし続けた結果、平民を中心とした国民たちから謀反を起こされてしまった。
上の者を優遇しすぎても、下の者に手を伸ばしすぎてもいけない。そもそも、全ての国民に好かれることは不可能だ。
「……王族でも平民と親しくしすぎると、貴族から下に見られることがあります。王族が威厳を失えば、国は崩壊する…けれど、平民の声を聞かないのもまた違うと思っ……、」
「……エマ?」
言葉を止めて目を見開いたエマを、レオナールが心配そうに覗き込んでくる。
自分の考えを伝える途中で、エマは一つの可能性に思い至った。それは国王が、意図的にレオナールを追放したという可能性だ。
ただ単に、レオナールの平民への考え方が気に食わずに追放したわけではなく、明確な理由があったのだとしたら―――…。
「ほう、その顔は気付いたようだな」
国王のその言葉は、エマの推測の肯定になり得た。そして事実を明らかにすることが、レオナールのためになるということも分かっている。
「国王陛下は……レオナール殿下が公にではなく、ひっそりと水面下で平民の支持を集めることを望んでいたのですか?」
「ああ、そうだ。息子には伝わっていなかったが、結果的には私の目論見は成功したと言える」
「そんなっ……!」
レオナールが席を立ち、同じ並びに座るラザフォードに視線を向けた。ラザフォードは両手をサッと挙げる。
「僕もついさっき陛下の考えに気付いたばかりなんだ。お前を騙していたわけじゃない」
「ラザフォードはお前より何枚も上手だぞ、レオナール。決して私に裏で動いていることを悟られないよう、平民に働きかけていた。……女性ばかりだったがな」
「そこは指摘しないでください、陛下。僕はレオナールに出来ない方法で動いていただけです」
国王の目論見は、レオナールが影で平民の支持を集めること。そのために王都から一度追放し、諦めなかったレオナールは時に変装し、時に王子として平民と接していた。
レオナールを城へ呼び戻したのは、おそらく充分な結果を得られたと判断してのことだろう。
「……どうして、陛下の考えを俺に話してくれなかったのですか?」
「自ら正解へ辿り着けなくてどうする?お前は王子だ…全ての言動には重い責任が伴うばかりでなく、影響力も大きい。それに…」
レオナールの不満げな声に、国王がため息を吐き出した。そして隣へと視線を向ければ、王妃がにっこりと笑って口を開く。
「レオナール。私たちが子どもたちを蔑ろにする親だと思われていたのなら、とても心外だわ」
「………」
静かに怒っていることが分かる王妃の笑みに、レオナールがよろよろとソファへと座る。片手で額を押さえながら、困ったように笑った。
「はは……俺が勝手に悪いように思い込んで、突き放されたと勘違いしていたんですね…」
情けないな、とポツリと呟いたレオナールの背中に、エマはそっと手を添える。すると、レオナールは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「……でも、エマとの出逢いが俺の全てを良い方向へ変えてくれました。こうしてこの場で両陛下と話すことができて……俺は嬉しいです」
「私たちとしても、彼女のような優秀な子をお前が選んでくれて嬉しいよ。……君の噂はどこにいても耳に届いて来たからな」
エマはぎくりと体を強張らせた。
それは、悪女だという噂も入っているのだろうか。結局その噂を正せたかどうかは今のところ不明だ。
エマの不安を感じ取ったのか、王妃が可笑しそうにくすりと笑う。
「安心して。使用人の間の噂話をそのまま真に受けたりはしないわ。貴女のことはレオナールの婚約者候補になった時からこっそり調査をしていたし、今日の舞踏会の言動で貴女なら問題ないと確信したの」
「あ……ありがとうございます」
こっそり調査、という不穏な言葉をエマは聞かなかったことにした。
何にせよ、これで本当に―――レオナールの婚約者になれるのだ。
じわじわと喜びが溢れ、その幸せを噛みしめるように横目でレオナールを盗み見る。ところが、レオナールも同じようにエマを見ていた。
気恥ずかしくなり視線を逸らすと、頭の片隅で気になっていたグレースと目が合った。
レオナールの婚約者候補であったグレースが、この場にいる理由は何なのだろうと考える。
(あ……もしかして同盟の話?両陛下のお考えが分かった今、同盟の話を隠す必要はないし…)
エマの想像が間違っていることに、次のラザフォードの言葉で気付くことになった。
「レオナール、エマ。早く君たちの式の予定を決めてくれ。その日程を公表する時に僕たちの婚約も併せて発表するから」
「……兄さんの婚約?僕たち、って…」
「勿論、僕とグレースだよ」
笑顔のラザフォードがグレースの肩を抱き、少し照れた顔のグレースがエマに微笑んだ。
エマとレオナールは数秒固まったのち、二人揃って「え!?」と声を上げたのだった。




