83.仮面舞踏会⑤
エマですら気付いたヴィオラの正体を、婚約者候補として付き合いのあるラザフォードが気付かないはずがない。
その冷たい表情の裏で何を考えているのかと、エマはじっと観察する。
固まっていたヴィオラは、すぐに乾いた笑い声を漏らした。
「……ふ、ふふっ…!面白いご冗談ですわ、ラザフォード殿下」
「冗談?」
「ええ、この場を和ませる為のご冗談ですわよね?殿下の婚約者に一番近いとされる私に、名前を問うなど……」
ラザフォードは冷ややかな笑みを浮かべたまま、何も言わない。ヴィオラの顔から血の気が引いていくのが分かった。
「……え…、え?」
「―――ヴィオラ!!」
鋭い声が響き、やがてバタバタと駆け寄って来る男女が現れた。ヴィオラの名前を呼んだことから、両親だと分かる。
ちなみに、結婚している招待客たちは仮面をつけずに参加することになっている。なので、ヴィオラの両親の顔が真っ青なことがハッキリと見えた。
「何か騒がしいと思えば……!お前は何をやっているんだ、ヴィオラ!ラザフォード殿下、私の娘が何か失礼をっ……」
「……ああ、あなたはヴィオラ嬢でしたか」
くすりと笑ってヴィオラを見たラザフォードに、ヴィオラの両親は困惑していた。
ヴィオラはラザフォードの服の裾をきゅっと握りしめる。
「そ…そうですわ!私は……」
「ではヴィオラ嬢、今すぐこの場から出て行ってくれ」
「……え?」
何を言われたのか分からないというように、ヴィオラが目を丸くする。すぐに反応したのは両親で、頭を下げて跪いた。
「娘が大変失礼致しました。すぐに退場させていただきます」
「どうしてですの、お父さま!私は退場させられるようなことはしていません!」
「……残念だ、ヴィオラ嬢。ご両親の想いすら汲み取れないとは……。この場とは言わず、二度と城へ足を踏み入れなくていいよ」
ラザフォードは静かにそう言うと、ヴィオラの手を払った。
「聞こえなかったかい?君は僕の婚約者となる器ではない。今この時を持って、婚約者候補から外そう」
「………」
「ブランディ公爵、そういうことだ。少し躾が足りなかったようだね」
「……はいっ…、申し訳ございませんでした…!」
ブランディ公爵は顔を歪め、ラザフォードに向かって深く頭を下げる。言い訳もせず、静かにラザフォードの決定を受け入れる姿勢は素晴らしいとエマは思ったが、娘のヴィオラは放心状態のようでどこか遠くを見つめていた。
公爵は夫人と共にヴィオラを支え、周囲に何度も頭を下げながら退場していく。おそらくこの先、彼らにとって輝かしい未来への道は閉ざされてしまうだろう。
無慈悲な決断を、大勢の招待客が集まる中でやってのけたラザフォードは、エマたちに視線を移すといつもの笑顔を見せる。
「止めに入るのが遅くなって悪かったね。レオナールも連れて来れたら良かったけど、あまり注目を集めるのもどうかと思ってやめておいた」
「あら、既に注目を浴びていますけど?」
グレースが妖艶な笑みを浮かべながら、ちらりとエマの後ろの令嬢を見た。カタカタと震える令嬢に、ラザフォードは優しい声を掛ける。
「フィオネ嬢、運が悪かったね。でも僕は、君まで婚約者候補から外したりはしないよ」
「……え…?」
「君は誰かを貶めようとしているわけではないからね」
ラザフォードの視線が、一瞬だけ周囲へ向く。エマはその言葉が周囲への圧力なのだと気付いた。
誰かを貶めようとしているなら、婚約者候補から外すと―――そう示しているのだ。
フィオネはラザフォードに名前を呼ばれたことと、婚約者候補から外されないということに安心したのか、肩の震えはおさまっていた。
その様子を見てから、エマはラザフォードに頭を下げる。
「……ラザフォード殿下、私はこちらの女性が再び舞踏会へ戻れるよう、お手伝いをしてまいります」
「ああ、君なら安心して任せられる。頼んだよ、エマ」
遠巻きに見ていた人々の空気が、ざわりと揺れた。エマがラザフォードの信頼を得ていることに驚いたのだろう。
わざと大きめの声を出してくれたラザフォードに感謝しつつ、エマはフィオネの手を引いて会場を出た。
(……戻って来たらレオナール殿下のところへ行こう。そのときに両陛下が会場にいてくれるといいんだけど…。その前に、着替え用のドレスを……)
「―――エマ!」
背後から声を掛けられ、エマは足を止めて振り返る。ルシアが小走りで駆け寄って来た。
初めて見るドレス姿のルシアは、とても可愛らしい。
「ルシア、ドレス似合ってるわ。それでどうしたの?」
「ありがと。……そのお方の着替え用のドレス、用意するんでしょ?私が交代するよ」
息を切らせながら、ルシアが笑う。
「さっきの、すごくハラハラしながら見てたんだから。エマは早く……自分の役割に戻ってね」
「ルシア……ありがとう」
エマは微笑むと、フィオネを振り返る。すると驚いたことに、フィオネは頭を下げていた。
「助けてくれて…ありがとう。今度改めてお礼をさせてちょうだい」
「お礼だなんてそんな、顔を上げてください。……お礼は必要ありませんが、一つだけお願いしたいことがあります」
「……何かしら?」
「髪色で差別をされている人がいたら、どうかそっと手を差し伸べてほしいです」
顔を上げたフィオネは、エマの髪を見てからコクリと頷く。
「……あなたが私に手を差し伸べてくれたこと、絶対に忘れないわ」
ルシアがフィオネを連れて廊下を歩く姿を見送りながら、エマはホッと一息つく。会場へ戻ろうとしたところで、前から三人の令嬢が向かって来るのが見えた。
化粧室へ行くのだろうかと、深く考えずに横を通り過ぎようとしたエマのドレスが急に引っ張られ、バランスを崩してしまう。
物陰から見守ってくれていたシルヴァンが動き出そうとするのが見え、エマは制止の手を挙げながら床に倒れた。
倒れた拍子に仮面が外れ、カランと音を立てて転がっていく。
起き上がったエマが仮面を拾うと、背後からくすくすと笑う声が届いた。
「あら、ごめんなさい。ドレスが引っ掛かってしまったかしら?」
「それにしても、その不気味な仮面…どうしてあなただけ違うのかしら」
「ふふ、異端な存在だという王家からのメッセージではなくて?」
振り返ったエマは、三人の令嬢の仮面を見る。装飾の花びらは六枚…全員レオナールの婚約者候補だ。
(なるほど、三人で結託して邪魔な私を蹴落とそうっていう計画ね。さっきのヴィオラさまの騒動があったから、会場外で王族の目が届かないところを狙って…)
仮面を手に持ちながら、エマは息を吐く。
「……純粋な疑問なのですが」
「あら、何かしら?」
「あなた方は、自分より下の者を見下したり蔑んだり…意地悪をしたりしないといけない呪いにでもかかっているんですか?」
三人の令嬢は、何を言われているのか分からないというように揃って眉を寄せた。
感情的にならないように気を付けながら、エマは淡々と言葉を紡ぐ。
「だって、そうでしょう?自分を磨き、選ばれに行く努力をせず…他人を蹴落とすことに無駄な力を使っているんですから」
「なっ……」
「ぶ、無礼よ!口を慎みなさい!」
「嫌です。この際とことん話し合いましょう。私は逃げも隠れもしませんので」
腰に手を当てながら目を細めたエマに、令嬢たちが後ずさる。このまま引いてくれれば一番いいとエマは思ったが、そう上手くはいかないようだった。
「は…話し合うことなんて何もないわ!私たちはあなたにレオナール殿下の婚約者候補を辞退して欲しいだけよ!」
「そうですか。それで私が辞退したら、今度は隣同士で蹴落とし合うんですか?」
そう問い掛ければ、令嬢たちは互いに顔を見合わせる。嫌でも気付いたはずだ。レオナールの婚約者に選ばれるのは、ただ一人なのだと。
「私なんかに構うより、自分磨きをした方がよほど有意義な時間を過ごせると思います。ちなみに私は、レオナール殿下のことだけを考えて今ここにいますけど、あなた方はどうなんですか?」
令嬢たちはそれぞれ何かを言い返そうと口を開いたが、すぐに固まってしまう。視線はエマの背後へと向いていた。
「……参ったな。予想外に嬉しい言葉を聞いてしまった」
優しく響いた声で、エマは振り返らなくても誰だか分かった。
隣で立ち止まったレオナールを見れば、「何も心配しなくていい」と言うように笑顔が向けられる。
「君を探していたんだ、エマ。会場へ戻ろう…俺と踊ってほしい」
「……はい、レオナール殿下」
レオナールは令嬢たちを一瞥もすることなく背を向けると、エマに向かってスッと腕を出す。エマはその腕に手を回し、もう後ろは振り返れないなと思いながらレオナールに合わせて歩き出した。
(ラザフォード殿下もだけど……レオナール殿下も婚約者候補に容赦ないわね。一瞥もせず、声すら掛けずに立ち去るなんて…『あなたに興味が無い』と言ってるのと同じじゃない)
盗み見るように視線を向ければ、レオナールはじっとエマを見ていた。仮面を手に持ったままだということに気付き、一度立ち止まって慌てて装着する。
「……エマ」
「はい、すみません。すぐに…」
「俺も、あなたのことだけを考えていますよ。前世でも……今世でも」
顔を近付けて来たレオナールが、エマの傾いた仮面を直しながら耳元でそう囁いた。
仮面をつけ直しておいて良かったと、エマは本気でそう思いながら再び歩き出す。
会場へ戻るまで、顔の火照りはおさまらなかった。




