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81.仮面舞踏会③


 会場に入ると、既に歓談を楽しんでいた招待客たちからの新しい視線が向けられる。

 ランベール公爵と親しげに見えるエマに対して、どのような態度をとるのが正解か考えを巡らせているのだろう。


 エマはちらりと公爵を見た。



「あの……私が姪だと公言してしまって大丈夫ですか?」


「事実だし、何も問題ない。君が貴族界に足を踏み入れるのなら、明らかにした方がいいとの兄さんの判断でもある」


「……父さんが…?」



 この事実が広まれば、両親にも何かしら影響が出てしまう。過去を掘り返そうとする者も現れるだろう。



「心配しなくても大丈夫だ。何か不都合な事が起きれば、君たちを私の邸宅で匿おう。……私が当主となったとき、早くからそうするべきだったんだがな」



 きっと父親のマークが断ったのだろうと、エマはそう思った。貴族というしがらみから逃げることを選択したマークは、非難されることを覚悟でエマの幸せのために力を貸してくれている。

 全てを覆う仮面をしていて良かったと、エマはそう思った。スンと鼻を鳴らしたことに気付いたのか、ランベール公爵が笑みを零す。



「……それにしても、面白い仮面だな。君の表情が何も見えない」


「父さん、俺は面白いというより怖いんだけど」


「まだいたのかウォレス。早く素敵なご令嬢を見つけて来なさい。エマを下に見るような相手は許さないぞ」


「……はい」



 追い払われたことにショックを受けたような顔をしながら、よろよろとウォレスが人混みへと向かっていった。

 次期公爵となる可能性が高いウォレスは令嬢たちから目を付けられているようで、あっという間に囲まれている。



「ウォレス、大丈夫ですかね…?」


「ウォレスがそばにいると、君が不利になるからな。追い払うついでに良い相手を見つけてくれれば万々歳だ」



 テーブルに用意されたグラスをエマに渡しながら、ランベール公爵が「その仮面だと飲めないか?」と首を傾げる。

 エマは笑って受け取りながら、周囲の状況を確認した。


 ランベール公爵の判断は正しい。レオナールの婚約者候補であるエマの近くに、若い男性がうろついているのは良く思われないからだ。

 今エマへ向けられる視線は、令嬢の嫉妬よりもその親からの値踏みのものが多い。まともな貴族なら、仮面舞踏会が開催される意味や、この場でどう行動すれば利益に繋がるかを考えているはずだ。



(私は平民で黒髪の、第二王子(レオナール殿下)の婚約者候補。第一王子(ラザフォード殿下)の婚約者候補だったなら、もっと風当たりは強かったはずね。私の言動や周囲の状況を調べている家なら、別の方法で私に取り入ろうとしてくるかも……やっぱり)



 エマの様子を伺っていた一人の令嬢が、両親に背中を押されこちらへ向かって来た。見たところレオナールの婚約者候補ではない。

 仮面をしており、ありふれた金髪の令嬢がどうしてレオナールの婚約者候補ではないとエマに分かったのか―――それは、一部の人間にしか知らされていない細工が、仮面に施されているからだ。



 事前にレオナールたちが用意していた仮面は、男女でデザインが分かれているだけではない。

 女性用の目元には華やかな装飾があり、そのうちの一輪の花の装飾に仕掛けがある。()()()()()()()()のだ。


 レオナールの婚約者候補は六枚、ラザフォードの婚約者候補は七枚だ。そのどちらにも該当しない令嬢は花びらが五枚である。

 目元を見ながらそれを確認できるこの方法は、オレリアが提案したものだ。



 エマに近付いてきたどこかの家の令嬢は、緊張からか口元が強張っていた。



「……こんにちは。少しお話をよろしいですか?」


「私ではなく、年頃の異性とお話ししなくてよろしいんですか?」



 我ながら意地悪な問い掛けだな、とエマは仮面の裏で苦笑した。

 仮面舞踏会は男女の出会いの場として開催されることが多いが、目の前の令嬢の目的は他の令息ではなくエマなのだ。


 気弱そうに見える令嬢は見るからに慌て始め、しきりに離れた場所にいる両親の姿を確認している。

 怯えているようなその様子と、年頃の令嬢にしては肉付きの悪い体から、エマは気付きたくないことに気付いてしまった。



(……どうしよう。このご令嬢、両親から不当な扱いを受けている可能性が高い。この場ですぐに解決できることじゃないし、王家主催のパーティーで私が騒ぎを起こすわけにはいかないし…)



 エマはグラスを握る手にぐっと力を入れた。



「……ふふ、冗談です。実は私も同じ年頃の方とお話ししたいと思っていたんです」


「そ…そうですか」



 令嬢は明らかにホッとしたような顔をすると、訊ねたわけでもないのに自らの領地の話をし始めた。両親にアピールでもして来いと言われたのだろう。

 その内容をほとんど聞き流していると、令嬢は役割を終えたことに満足したのか、一方的に話すと両親の元へ戻って行った。


 その後ろ姿を目で追っているタイミングで、会場内がワッと沸く。



「―――皆、待たせてすまない」



 存在感のあるその声を、エマは初めて聞いた。

 あまりパーティーに顔を出さないと言われている国王と王妃が、揃って壇上に現れる。二人は仮面をつけていないが、その後ろには仮面をつけたレオナールたちが控えている。

 レオナールの姿を見て、エマは一度緊張を緩めた。



「今回の仮面舞踏会は、我が息子たちの発案だ。皆に公平に楽しんで欲しいというその想いを汲み、それぞれ有意義な時間を過ごしてくれたらと思う。堅苦しい挨拶は結構だ…舞踏会を開始しよう」



 公平に―――その言葉を国王はどんな気持ちで口にしたのだろうと、エマはそう思ってしまう。

 周囲と同じように拍手を送りながら、笑みを貼り付けたレオナールにじっと視線を送っていた。


 楽団の演奏が始まり、招待客たちはそれぞれペアを組んで踊り出す。食事や歓談を楽しむ人もいた。

 国王と王妃は揃って手を振りながら姿を消し、レオナールたちは壇上から下りる。すると、一気に周りを囲まれていた。


 ランベール公爵がグラスを傾けながらエマを見る。



「エマ、君もあそこへ向かわなくていいのかな?ダンスの誘われ待ちの列ができているけど」


「私は最後で結構です。今はまずやるべきことがあるので……少し動いてきますね」


「ああ、気を付けて」



 エマは後方に視線を向けると、柱の影に隠れるように立っているシルヴァンが目に入った。護衛の存在を確認してから、グラスを置いて歩き出す。

 少しざわつく人々の間を抜け、エマが向かったのは知っている仲間の元だった。



「リリアーヌ」


「……エマ?どうして私のところへ来るのよ」


「ごめんね、リリアーヌかルシアを探してたんだけど、先に見つけたし…リリアーヌの方がお芝居上手そうだから」


「ちょっと、何言ってるの?」



 早く誰か令息と踊りたいのだろうか、そわそわしているリリアーヌの耳元へそっと近付く。



「……リリアーヌから向かって左手に、水色のドレスを着て両親と立っている令嬢がいるでしょ?転んだフリをして飲み物をかけて、両親から引き離して医務室まで連れて行ってほしいの」


「……医務室?」



 その声音から、仮面に隠されて見えない眉毛がひそめられたことが分かった。リリアーヌがエマを見て不満そうに口を開く。



「全く……その仮面じゃ今あなたがどういう表情なのか分からなくて面倒だわ。頼まれてはあげるけど、一つ貸しよ」


「うん、もちろん…ありがとう」


「私にとって条件の良い男性をあとで紹介しなさい。約束よ!」



 小声でそう言いながら、リリアーヌがドレスの裾を翻して先ほどの令嬢の元へと向かってくれる。

 このまま見ていては怪しまれてしまうので、エマは適当に近くにいた令息に声を掛ける。



「あの、こんにちは」


「えっ?あ、はい、こんにちは…」



 エマの仮面を見てびくっと肩を跳ねさせた令息は、少し離れるように数歩後ろへ下がった。失礼ではないだろうかとエマは眉を寄せる。



「よろしければ、私と一曲踊ってくれませんか?」


「え……」



 声高にそう誘ってみたが、令息の顔はお世辞にも嬉しそうだとは思えない。髪色でエマだと分かっているのだろう。

 令息が沈黙している間に、リリアーヌの「きゃあ!すみません!」という声が聞こえた。どうやらエマの計画を遂行してくれたようだ。



(さっきのご令嬢……もし日常的に暴力を振るわれているなら、医務室に連れて行ってもらえば判明する。何もないなら、それでいいわ)



 エマは前世の自分を思い出しながら、未だに返事の一つもしない令息に痺れを切らして口を開こうとした。そのときだった。



「女性に恥をかかせてしまうのは、感心しませんね」



 背後から聞こえた声に振り返れば、仮面をつけたアンリが立っていた。

 エマに向かって片手を差し出し、もう片手を胸元に当ててふわりと微笑む。



「―――どうか俺と、踊ってくださいませんか?」



 数秒頭が真っ白になっていたエマは、すぐにアンリの「早くしろ」という念を感じて手を取るのだった。



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