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80.仮面舞踏会②


 舞踏会開始の一時間ほど前、エマはオレリアの部屋で一緒に身支度を整えていた。



「オレリアさま、すごく綺麗です…!」


「ありがとう、エマ。あなたもとても綺麗よ。だけど……」



 華やかなドレスを身に纏っているオレリアの瞳が、エマの手の先へと向かう。そこにあるのは、このあとつけることになっている仮面だ。

 オレリアの仮面は、王族らしい装飾をあしらったもので、目元につけて目の周りを覆う形だ。鼻と口は隠さないので普通に呼吸が出来る。


 一方エマの持つ仮面は、口元まで覆う形のもので―――使用人として働き始めてすぐ、シルヴァンと戦わされたときにつけた仮面だった。



「……本当にその仮面で参加するの?目元の装飾は綺麗だけれど、なんというか……少し異質な感じがするわよ」



 オレリアが言いづらそうに、言葉を選んで忠告してくれる。エマとしても、またこの仮面をつけることになるとは思わなかったが、ウェスの計らい(イタズラ)らしい。

 改めてじっと仮面を見つめていると、可笑しくなって笑い声が漏れてしまう。



「ふふっ。少しくらい目立つ方が、周囲に私の行動を見てもらいやすいかもしれません」


「エマ、少しどころか…物凄く目立つと思うけど」


「本当よ。悪目立ちね」



 ルシアとリリアーヌが奇妙なものを見る目で仮面を見ていた。その目は、あの日の騎士たちの姿を思い起こす。



(何だか……とても昔のことに感じる。この仮面をつけたときのシルヴァンの反応が早く見たいな)



 ずっと口元に笑みを浮かべているエマを見て、オレリアはこれ以上仮面について意見するのはやめたようだ。

 鏡の前で全身をチェックしながら、そわそわと扉の方に視線を向ける。



「……そろそろ迎えが来るわよね?」


「そうですね。シルヴァンと…ルーベンさまが来ますね」



 仮面舞踏会での密かな護衛として、エマにはシルヴァンがついてくれることになった。ルーベンはオレリアの護衛として常にそばにいる予定なので、オレリアは朝からずっと落ち着きがない。

 とても可愛らしいが、エマは心を鬼にして人差し指をピッと立てた。



「いいですか、オレリアさま。いくら近くにルーベンさまがいて嬉しくても、今みたいにずっとそわそわしていたらダメですよ」


「わ、分かっているわ。“背筋を伸ばして、俯かない。常に微笑みを浮かべ、付け入る隙を与えない”……でしょう?」


「はい。あと“投げられた皮肉は倍返し”も忘れないでくださいね」



 エマがにこりと笑って言えば、オレリアが「投げられた皮肉は倍返し」と小さな声で復唱する。その様子を見ていたリリアーヌが堪えきれずに吹き出した。



「だ…大丈夫ですよオレリアさま、オレリアさまに皮肉を言う猛者はなかなか現れないと思います」



 リリアーヌの言葉に、エマはハッと気付く。前世で“庶民くさい”と笑われていた自分と、完璧な気品溢れるオレリアは違うのだと。



「リリアーヌ、その通りだわ。前世の私が特殊だっただけで……」


「エマ。どんな人間であっても、他人から悪く言われる可能性はあるわ。それから……あなたはきっと立派な王女だったと思うの」



 目を丸くしたエマに向かって、オレリアが微笑む。



「今のあなたを見ていれば分かるわ。きっと前世では周囲の見る目がなさすぎたのね……レオナールお兄さま以外は」



 温かい言葉と眼差しによって込み上がる涙を、エマはぐっと堪えた。せっかくルシアが手をかけてくれた化粧が崩れてしまう。



「オレリアさま……私、とても幸せです」


「ふふ、何を言っているのよ。エマが一番幸せになるにはまず、前世の恋を叶えなくてはならないでしょう?」


「……はい、頑張ります」



 オレリアがそっと手を握ってくれる。エマは涙の滲む笑顔でその手を握り返した。






***


 ルーベンとシルヴァンが迎えに来てくれたあと、エマとオレリアはそれぞれ別の場所へと向かった。

 オレリアは王族専用の控室へ向かい、ラザフォードとレオナールと共に入場する。エマは一般の出入り口からの入場だ。


 ちなみに、今回の仮面舞踏会には城内の一定階級以上の人物の参加が認められているため、リリアーヌとルシアもこのあと準備をして参加する予定だ。

 ルシアからしきりにセインと話す時間を作ってほしいと言われたが、ラザフォードの護衛をすることになっているので厳しそうだ。



(不思議なものね……口の悪いやんちゃなセイン兄さんが、今やラザフォード殿下の側近だなんて。村長が知ったら銅像騒ぎね)



 ミリアは使用人の中でもまだ下の立場のため、舞踏会に参加はできない。それでも城内の仕事をしつつ、常に異変がないか気を配ってくれている。

 この舞踏会が終わったら、エマはセインとミリアに改めて感謝の気持ちを伝えようと思っていた。



 廊下の窓から、城門が賑わう様子が見えた。

 いつもより門番が多く配置され、入城チェックが厳しく行われる。城門で参加者の確認を終えたあと、事前に配られていた仮面をつけて城へ向かう。

 城へと続く道には、仮面をつけてぞろぞろと歩く貴族たちの姿があった。



「……何か心配事ですか?」



 少し離れた距離から、シルヴァンがそう問い掛けてくる。エマはゆっくりと首を横に振った。



「いえ、金髪ばかりで見分けがつかないなと思いまして」


「ははっ、俺もですしね」



 背後から楽しそうな笑い声が届き、エマもつい笑ってしまった。

 似たような金髪に、デザインが男女で分かれただけの仮面。横一列に並べば、よほど特徴がない限りは誰だか分からない。

 その中に黒髪で異質な仮面―――他の令嬢たちと違う仮面をつけたエマは、招待客たちからの注目を浴びるだろう。


 エマは階段の手前で足を止め、シルヴァンを振り返った。



「シルヴァン、この先はさらに距離を取ってお願いします。それからもし何かあったときは……シルヴァン?」



 真面目な顔をしているシルヴァンだが、どう見ても体が小刻みに震えている。それが笑いを堪えているのだと気付いたとき、エマは仮面の下でムッと唇を尖らせた。



「この仮面、そんなに可笑しいですか?私には一周回って可愛らしく見えるんですけど」


「いえ、失礼しました。エマさまと初めて会ったときのことを思い出しまして、つい」


「……そんなに笑える出会いでしたっけ?」



 あのときのシルヴァンは、どちらかといえば突然現れた珍妙な姿のエマに引いていたような気がする。

 シルヴァンは笑いを誤魔化すように咳払いをしてから、長剣の柄をトンと叩いた。



「何かあったときは、すぐにお護りしますので」


「よろしくお願いします。……では、行ってきます」



 頭を下げるシルヴァンに会釈をしてから、エマは階段を下りる。

 父親のエスコートで会場へと向かう途中の令嬢たちが、エマに気付くと揃って目を丸くして距離を取っていた。 

 ざわめきが一瞬で広がっていく。



「……あの仮面は何かしら?」

「……黒髪ってことは……レオナール殿下の婚約者候補の?」

「……どうして一人だけ違う仮面なの?」



 様々な疑問の声と憶測が飛び交い、こうやって噂は尾ひれがついて広まっていくんだな、とエマは呑気なことを思いながら足を進めた。



(私のエスコート役……レオナール殿下が手配してくれるって言ってたけど、誰だろう。当日のお楽しみだって教えてもらえなかったし…)



 顔全体を仮面で覆いながら、ドレス姿で姿勢よく歩くエマを見て、人垣が割れていく。その先にある出入り口に視線を向けたとき、エスコート役が誰なのかすぐに分かった。


 エマの叔父であるランベール公爵と、その養子であるウォレスが立っていた。二人とも仮面をつけてはいるが、公爵は頬の傷痕ですぐに誰だか分かってしまう。



「ランベール公爵、お久しぶりです。お仕事が間に合ったんですね」


「ああ。君のエスコートのために急いで終わらせて来たんだ」



 ランベール公爵が微笑むと、周囲に動揺が走った。エマと公爵の関係性を知らなければ、誰もが疑問に思うだろう。



「……どういうこと?あのお方はランベール公爵よね?」

「……まさか、公爵の養女にでもなるのかしら?」

「……もしかしたら、公爵が独身なことを理由に迫ったんじゃないかしら?」



 誰かが放った言葉に、途端にくすくすと笑い声が聞こえてくる。エマは感情を押し殺しながら、ランベール公爵の腕に手を回した。

 悪意を隠そうともしない低俗な令嬢たちを、それぞれの父親がたしなめている。けれど、その目がチラチラと公爵へ向けられており、対面を保とうとしているのが丸分かりだ。


 出入り口へ向かうエマとランベール公爵の後ろを、ウォレスが周囲へ睨みを効かせながらついてくる。

 静かに立ち止まった公爵は、笑顔で振り返ると観衆に向かって口を開いた。



「―――可愛い姪を私がエスコートして、何が可笑しいのですか?」



 仮面をしていても分かる、殺気を含んだ鋭い視線をランベール公爵が投げると、パーティー会場とは思えない冷えた空気が周囲を包んだ。



「さぁエマ、行こうか」


「……はい」



 そのまま何事もなかったかのように歩き出すランベール公爵の腕に回す手に、エマはきゅっと力を込めながら微笑んだ。



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