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77.他国の婚約者候補④


 カタンと小さく音を立て、イスから立ち上がったのはラザフォードだった。

 その表情は驚きに満ちていて、信じられないものを見るかのようにグレースを見ていた。



「あなたも……貴族と平民の間にある高い壁を、取り除こうと考えているのですか?」


「完全に壁を壊すことは無理でも、歩み寄ることは出来ると考えています。……貴女も、ということは、やはりラザフォードさまも同じ考えなのですね」


「……やはり?」


「ええ。実は私、何度かお忍びでこっそり王都を散策したことがあります。そこで同じように変装して、平民と言葉を交わすラザフォードさまを見かけたことがありました」



 嬉しそうに笑ったグレースに、ラザフォードがパッと視線を逸らし、静かに着席した。見られていたことが恥ずかしかったのだろうか。

 あまり見たことのないその反応が珍しく、エマはじろじろとラザフォードを眺めてしまう。隣でオレリアが「お兄さまが赤面…?」とボソリと呟いていた。


 レオナールも物珍しそうにラザフォードを見てから、グレースに向かって問い掛ける。



「つまり、グレースさまは俺の婚約者になるならないはどうでも良く、同盟が結びたいがために今日我が国にいらしたんですか?」


「正直に申し上げれば、その通りです。……この国は、ラマディエ国よりも髪色や階級での差別が少ないのです。それは、レオナールさま方の努力の結果だと思います」


「そんな……まだまだ力は及んではいません。我々の考えだけでは…」



 レオナールが悔しそうにする理由は、国王の態度のせいだろう。いくらレオナールやラザフォードが裏で行動したところで、国王が“否”だと言えば全てが無に帰ってしまう。


 グレースはピシッと人差し指を立てた。



「ですから、そのための同盟です。私の父…つまりラマディエ国国王は、差別の撤廃に協力的ですが、壊滅的にカリスマ性がないのです。なので、私は国内に新たな風を吹き込みたい」


「……その風が、俺たちであると?」


「はい。レオナールさま方が協力してくださるのなら、私と父がレオナールさまのお父さま…シェバルツェ国国王陛下に、エマとの婚約について力添え致しましょう」



 シェバルツェ国とラマディエ国の国王同士は友人関係だと聞いている。

 ラマディエ国国王が差別の撤廃に協力的ならば、シェバルツェ国国王の考えに影響を与えてくれるかもしれない―――そんな淡い期待がエマの頭をよぎる。

 ちらりとレオナールに視線を送れば、レオナールもまたエマを見ていた。



「……俺は、エマの存在こそが新たな追い風になると信じています」


「ええ、私もそう思います。今日それを実感しましたし…この先エマを護る意味でも、この同盟は大きな意味を成すはずです」


「私を…護る?」



 エマが首を傾げると、グレースは笑いながら頷いた。



「この先開かれる仮面舞踏会だけれど、既に様々な憶測が飛び交っているのは知っているかしら?話題の中心は貴女よ、エマ」


「もしかして…仮面舞踏会の開催理由に関しての憶測?」


「ええ。隣国である私たちの国にも届いている噂よ。“仮面舞踏会でどちらかの王子殿下の婚約者が決まるのでは?”ってね。そして注目が集まるのは、何かと話題になるエマと…婚約者に一番近いと言われていたこの私」



 大げさに肩を竦めながら、グレースは続ける。



「そんな噂が流れる中、他の婚約者候補たちが考えることは何かしら?答えは簡単よね。―――“仮面をつけて正体を誤魔化せる場で、他の婚約者候補より優位に立ちたい”」



 美しくもぞくりと背筋が冷たくなる微笑みに、エマは喉を鳴らした。グレースの言いたいことは理解できる。

 エマたちは、()()()()()()()()()()()仮面舞踏会の開催を決めたのだ。浅はかな考えを持ち、問題行動を起こそうとする貴族たちを一掃するために。


 そして、エマが狙われるであろうことも分かっている。いくら仮面で顔を隠しても、髪色ですぐに正体がバレるからだ。

 けれどそれを逆手にとり、エマは仮面舞踏会を活躍の場として利用することに決めていた。

 この大きな舞台の幕を閉じるのは―――レオナールからの求婚の言葉となる。



「……混乱が起きても、私なら同じ婚約者候補としてエマの有利になるよう動けるわ。他国の王女との友好な姿を見せつければ、お馬鹿な令嬢たちの抑止力にもなるでしょう?」



 エマが仮面をつけても正体がバレてしまうように、身体的特徴がある人は誰だかバレる可能性は高い。グレースもまた、隠しきれない漂う気品からすぐにバレてしまうだろう。

 だからこそ、エマの近くにいてくれるだけで存在感が増す。


 グレースは最後に、悪女のような満面の笑みでこう締め括った。



「―――さぁレオナールさま、こんなに利点だらけの同盟を断る理由が、何かありますか?」



 エマは思わず心の中で拍手を送っていた。前世で同じ王女として生きた身としては、グレースの話の進め方は素晴らしいと感じたからだ。

 エマとしても、この同盟を断る理由は見当たらない。ラザフォードはレオナールの答えを待っているようで、じっと黙って両腕を組んでいる。


 レオナールは真剣な表情で口を開いた。



「……グレースさま」


「はい。いかがですか?」


「純粋な疑問を解決させてください。あなたは何故、差別の撤廃を望むのですか?」



 ずっと微笑みを絶やさなかったグレースの瞳に、初めて陰りが見えた。

 テーブルに並ぶ高級な茶菓子の数々を眺めながら、小さな声を出す。



「民のため……と言えば聞こえはいいでしょうが、本音を言えば私の弟のためです」


「オリヴァーさまですか?病気で療養中の…」


「オリヴァーは病は、心の病です。王族ながらに暗い髪色で生まれ、幼い頃の誹謗中傷により塞ぎ込んでしまったのです」


「……!」



 髪色の差別を受けているのが身内となれば、より強くどうにか救ってあげたいと思うだろう。

 エマにはその気持ちが痛いほど分かり、グレースの手をそっと握った。



「……エマ?」


「私は…グレースのような考えを持ってくれる人の存在が、とても嬉しい」



 そう言ってから、エマはレオナールを見た。同じ気持ちであってくれると、そう信じて。

 レオナールはフッと口元を緩め、大きく頷いてくれる。



「グレースさま。ぜひ俺から個人的な同盟をお願いしたいと思います」


「……!本当ですか?」


「もちろんです。その代わり……今まで婚約者候補のあなたに寄り添う姿勢を持たなかったことを、許していただけませんか?配慮が足りず、申し訳ありませんでした」



 眉を下げたレオナールに、グレースは瞬きを繰り返してからすぐに笑った。



「私もチクチクと攻撃してしまってごめんなさい。……同盟を結び、ここから新たな関係を築きましょう」


「勿論です。……兄さん、オレリア…エマ。何か異論は?」


「ないよ。ただ、僕もその同盟に入らせてくれ。第一王子が入っていた方が効力が強まるだろう」



 ラザフォードの提案に、レオナールが少し嬉しそうに頷いた。すぐにアンリを呼び寄せ、同盟用の書面を用意するよう指示をする。

 エマの隣で、オレリアがそわそわしながら「あの」と声を上げた。



「私も同盟に入りたいです。この国を…民の考え方を変えたいという願いは、私も同じです」


「オレリアさま、よろしいんですか?この同盟では、オレリアさまの利点となることは何も…」


「いえ。見返りが欲しいのではありません。私がしたいと思うことを、貫きたいのです」



 オレリアの真っ直ぐな瞳に、グレースの顔が綻ぶ。女神のような神々しさの二人に挟まれながら、エマも微笑んでグレースの名前を呼んだ。



「グレース、私も入りたい。今の私には、何の力もないけど…」


「ふふっ、何を言っているのよ。貴女以上に影響力のある平民を、私は知らないわ」


「……そう?」


「そうよ」



 エマとグレースは顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。


 こうして、隣国の王女の突然の訪問は同盟という形で実を結び、エマの力となってくれるのだった。



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