76.他国の婚約者候補③
城へ到着すると、エマは一旦侍女の服に着替え、オレリアの元へ向かった。
既に連絡を受けていたオレリアは、リリアーヌとルシアの手によって磨き抜かれ、完璧な王女の装いでソファに腰掛けていた。
「エマ、大丈夫?グレースさまと一悶着あったんでしょう?」
心配そうに訊ねられ、エマは慌てて首を振る。情報が変にねじ曲がって伝わっているようだ。
「少し強引に連れられて、話をしていただけです。そこで酔っ払いに絡まれまして…」
「朝から酔っ払いですって?全く…迷惑な輩もいるものね。それで、このあとの話は聞いているかしら?」
「はい。グレースさまへのおもてなしの場に、私も同席する…ですよね」
エマはそう答えながら、やはりおかしいのではと眉をひそめてしまう。
他国の王女であるグレースに、この国の王族であるラザフォード、レオナール、オレリアの三兄妹。そこにエマが加わるというのだ。
グレースからの誘い文句は“同じ婚約者候補として”だったが、どうにも無理がある。
エマとしては友人だと言ってくれたグレースの好意は嬉しいのだが、また変な噂が立ってしまいそうだ。
ふと気づけば、エマの服が脱がされていた。リリアーヌとルシアがドレスを順にエマにあてがい、「こっちの色は?」「そっちはどう?」と意見を交わし合っている。
「え…、え?オレリアさま、私はドレスで参加するんですか?」
「そうよ。レオナールお兄さまの婚約者候補としての参加なら、きちんと着飾らないとダメでしょう?リリアーヌ、ルシア、頼んだわよ」
「「はい」」
リリアーヌとルシアの目がギラリと光る。
エマは二人にされるがままドレスに着替え、ヘアメイクを施してもらうのだった。
しばらくして部屋まで迎えに来たのは、ルーベンとシルヴァンだった。
扉を開けた瞬間、オレリアがそわそわと髪を撫でつけ始め、その様子をエマは微笑ましく見守りながら廊下を歩く。
背後についてくれているシルヴァンが、小さく話し掛けてきた。
「……さすがエマさまですね。他国の王女殿下と、その日の内に親しくなるとは」
「……事故に巻き込まれた感覚ですけどね」
「ははっ。でも、味方になってくれるなら頼もしい存在じゃないですか」
シルヴァンの言う通りだと、エマは頷く。
本来ならグレースはレオナールの婚約者候補で、他国の王女で、レオナールの婚約者に一番近い存在だ。
けれどグレースは、その立場に興味がない。理由は分からないが、エマとしては強力なライバルが一人減ったことになる。
本来ならば、このあとの接待もレオナールが一人で対応するものだ。けれどグレースがラザフォードとオレリアも同席することを望み、エマもぜひ一緒にと提案したらしい。
(グレースは、レオナール殿下と二人の時間が欲しくてこの国へ来たわけじゃない…。ただ単に私の噂が気になって来たのか、それとも別の目的があって来たのか……理由は何なんだろう)
考えながら部屋に入れば、既にレオナールとラザフォードが席についていた。
シルヴァンとルーベンが、それぞれエマとオレリアのイスを引いてくれた。アンリとウェス、セインの姿は見えず、それぞれ別の仕事が割り振られているのだろう。
(セイン兄さん、あのあと大丈夫だったかな…ミリア姉さんも。今日が終わったら会いに行こう)
考え事をしていたエマは、レオナールからじっと見られていることに気付く。
変装用のウィッグを外したレオナールの髪はいつもの輝きを放っていたが、それ以上に笑顔が眩しい。このまま目を合わせ続けたら日焼けしてしまいそうだ。
「……レオナール」
「はい、何でしょう兄さん」
「お前、頼むからグレースさまが来たらその顔でエマを見つめるのはやめてくれ」
そう言ったラザフォードの顔は、呆れているというよりうんざりとした顔だった。
そのあとすぐ、タイミングが良いのか悪いのかノックの音が聞こえ、グレースが入室してくる。
先ほど会ったときのような軽装ではなく、華やかなドレスに身を包んだグレースはとても美しかった。続いて入って来たアンリが素早くイスを引くと、微笑みながら腰掛ける。
グレースの席は何故かエマの隣だった。
「ふふ、綺麗ね。エマ」
「……グレースの方が綺麗だと思うけど…」
普通にそう返答してから、エマはハッとした。いくら本人から許しが出ていたとはいえ、レオナールたち王族の前で他国の王女を呼び捨ててしまったのだ。
慌てて視線を周囲に向ければ、皆が驚いたような顔をしている。
「あー…、つい先ほどの僅かな時間で、だいぶエマと打ち解けたようですね、グレースさま」
「ええ。今まで数回あった貴方との何の意味もないティータイムより、よほど有意義な時間が過ごせましたわ」
グレースが笑顔で毒を吐き、レオナールが引き攣った笑顔で固まっている。ついでにエマも固まった。
凍りつきそうな空気の中、可笑しそうに笑い出したのはラザフォードだった。
「あははっ、珍しく嫌われているなレオナール。お前は一体グレースさまに何をしたんだ?」
「……俺は何もしていません」
「そうですね、特に何もされていません。何もしてもらえかったからこそ、私の直感がこの人の婚約者になっても幸せにはなれないと告げていました」
凛とした口調でそう言うと、グレースはエマを見てふふっと笑った。
「私の直感、当たっているでしょう?」
「それは……何と答えるのが正解なのでしょうか」
「嫌だわエマ、急に他人行儀に戻らないで?貴女に会えて話せただけで、私はレオナールさまの婚約者候補を辞退しなくて良かったと思えたのよ」
グレースのエマへの評価が高いのは、一体どうしてなのか。レオナールも同じように疑問に思ったようで、スッと目を細める。
「それは、どういう意味ですか?」
「あら…そんなに鋭い目を向けないでくださる?私が直前に貴方に手紙を送って、急にこの国に来た理由はきちんとお話しいたしますので」
グレースは一度息を吐き出し、途端に緊張感に包まれてしまった部屋をぐるりと見渡してから口を開いた。
「レオナールさまが婚約者候補の中から婚約者となる方を決め、私が候補から外れた際には、我が国と……いえ私と、同盟を結んでいただきたいのです」
「……それは言い換えれば、脅しのようなものではないですか?」
ラザフォードが低い声で問い掛ける。
「シェバルツェ国に不利な同盟を結びたくなければ、グレースさまを婚約者に選べと言っているように聞こえます」
「それは捻くれ者の捉え方ですわ、ラザフォードさま」
グレースはくすりと妖艶な笑みを浮かべ、捻くれ者と言われたラザフォードは目を点にしていた。
思わず笑いそうになってしまったエマは、慌てて咳払いで誤魔化した。
「……んんっ、それでグレース、つまり言葉通りの意味だと言うの?」
「そうよ。正直、私の野望が叶うならレオナールさまの婚約者になってもいいと思っていたの。けれど、レオナールさまの婚約者はエマが選ばれるんでしょう?」
鋭い指摘にドキリと体を強張らせたエマを見て、グレースが「言いふらしたりはしないわ」と苦笑する。
「エマがレオナールさまの婚約者になるのなら、私は嬉しいの。私の野望を、二人ならきっと叶えてくれる。だから同盟を結びたいのよ」
「……グレースの野望を、聞いてもいい?」
エマがレオナールの婚約者となることで叶えられるという、グレースの野望。
それはもしかして、エマたちの望む世界と変わらないのではないかと、そんな風に考えてしまっていた。
期待と希望に満ちたエマの眼差しに答えるよう、グレースが優しく笑う。
「―――偏見や差別のない、自由な世界にすることよ」
その言葉を聞いた瞬間、エマの胸に温かい気持ちがぶわっと湧き上がった。




