73.目立つ三兄妹
早朝に、小屋の扉がノックされる。
ちょうど城へ向かおうとしていたエマは、タイミングの良さに呆れながらも扉を開いた。
「もう、セイン兄さんてば。送迎は要らないって言ってるでしょ」
騎士の服を身に纏うセインが玄関口に立っている。両腕を組みながらエマの姿を眺めているかと思えば、半笑いを浮かべた。
「……お前、仮にもレオナール殿下の婚約者候補だっていうのに…いつも同じような服装だな」
「うるさいなぁ。どうせ城に着いたら侍女服に着替えるんだからいいの!」
エマは扉の鍵を閉め、口を尖らせながらセインの横を通り過ぎる。
後ろからついてくるセインは、仮面舞踏会の開催が決まってからエマの護衛を兼ねて王都から毎日送迎をしてくれていた。
アンリの紹介によって城で働くことになったセインとミリアは、現在は王都にある書店の二階の部屋を間借りしている。
書店の持ち主はラザフォードで、まだお互いの前世を知る前の仕返しデートで立ち寄った書店だ。
小さな宿に寝泊まりしていた二人に、ラザフォードが生活の拠点を与えてくれたのだ。
「お前も王都に住めば、俺が送迎する必要はなくなるんだけど」
「いいの。私はあの小屋が好きだから」
国王に王都から追放されたレオナールが、一年間住んでいた小屋。
そのことを知ってから、エマはレオナールが拠点として用意してくれた小屋がより大切に思えるようになっていた。
婚約者候補となったエマに、レオナールは新たな拠点を王都内に用意してくれようとしていたが、それを丁重に断った。
それならばと、エマの身を案じたレオナールが送迎役としてセインを選んだのだ。
騎士としてやっていけるのかというエマの心配は、驚くことに全く不要だった。
シルヴァンは筋が良いとセインを褒め、エマの身内なら信頼できる上にすぐに動けると、ラザフォードが側近へと迎え入れた。
異例の早さの大出世に加え、何かと話題のエマの兄だということもあり、城内はとてもざわついている。
ちなみに、ミリアは使用人の下っ端のままだ。あの日以来、他の使用人と揉め事を起こすこともなくコツコツと仕事をこなしている。
先日一緒に食事をした時には、「セインに負けた!悔しい!」と頬を膨らませていた。
「……セイン兄さん」
「ん?」
「無理してない?大丈夫?」
前を向いて歩いたまま問い掛けると、少しの沈黙のあと笑い声が背後から聞こえてきた。
「無理してたら、最初にシルヴァンさんに実力の差を見せつけられたときに村に帰ってたな」
「………」
「ミリアも同じだ。俺たちは俺たちの意思で王都にいる。お前が心配することなんて何もねぇよ」
その優しい言葉に、エマは唇を噛む。
エマと似た容姿の二人は、きっとエマと同じような目に遭い、同じように嫌な気持ちになったことが王都に来てからあったはずだ。
村と王都では、生活水準が違う。物価も高ければ、行き交う人の数も比べ物にならない。
エマには前世で王女だった頃の記憶があるので、礼儀作法は問題ない。けれど、セインとミリアは学ばなければいけないことが多いのだ。
それなのに、二人は会うときいつも愚痴一つ零さない。本気でエマの味方になろうと、驚くべき早さで知識を吸収してくれている。
「……ありがとう」
ポツリと呟けば、返事は返ってこない。いつの間にか隣に並んでいたセインが、エマの肩を優しく叩いた。
(父さんと母さんから、応援の手紙も届いた。ランベール公爵…テレンスおじさんとウォレスも何度も手紙をくれる。私ができるのは―――まずはレオナール殿下の婚約者になることだ)
レオナールの婚約者になり、いずれ妻となって隣に立つ。
そして新たに国王となるラザフォードを支え、皆の夢を実現させられるよう、レオナールと共に動いていく。これが今のエマの目標だ。
その目標達成のための手は既に打ってある。それが王家主催と銘打った仮面舞踏会であり、着々と準備が進んでいた。
王都へ辿り着くと、顔見知りの門番がエマとセインに気付いて片手を挙げた。
「おはよう。君たちは遠目でもすぐ分かるなぁ」
「おはようございます、オスカーさん」
いつものようにネームプレートを見せながら、エマは最近名前を知った門番であるオスカーの言葉の意味を考える。
「髪色が目立つという意味ですか?」
「髪色というか、存在がな。騎士を引き連れて王都の門へ来るのは貴族くらいだろ?でも二人とも黒髪で、周囲の視線をことごとく惹きつけているんだ」
だから視線の集まる先を追えば、いつも君たちがいる。そう言ってオスカーが笑いながらネームプレートを返却してきた。
確かに最近は他人からの視線をよく感じる。周囲を見渡せば、慌てて視線を逸らす人、興味本位にじっと見つめてくる人など様々だ。
「セイン兄さんが騎士の格好してなかったら、もう少しマシだと思うんだけど」
「バカ言え。丸腰で俺に何が出来る?それにお前の送迎はレオナール殿下とラザフォード殿下、二人の命令だぞ」
セインのネームプレートを確認していたオスカーが、哀愁漂う表情でエマを見てきた。
「……何だか遠い存在になってしまったな。門番に邪険に扱われていた君が、今やレオナール殿下の婚約者候補だなんて。親戚の子が急にお嫁に行ったような感覚だ」
「ふふっ、何ですかそれ」
「しがない門番の俺は、ひっそりと君を応援してるよ」
エマは思わずくすりと笑う。少なくともエマにとって、オスカーは“しがない門番”などではない。
「オスカーさん。私はオスカーさんが門番で救われた人間の一人ですよ」
「えっ?」
「他にもオスカーさんの対応に助けられた人は、たくさんいると思います。“行ってらっしゃい”と送り出してくれる門番は、オスカーさんだけです」
エマの言葉を、オスカーは目を丸くして聞いている。
この先エマが婚約者になることができれば、恐らく城内に部屋を与えてもらうことになるだろう。いずれ会えなくなってしまうかもしれない友人に、エマは笑顔を向けた。
「王都の顔である門番は、オスカーさん以外担えませんよ。私がどんなに遠くに行っても、オスカーさんは大切なお友達ですので」
「………」
「あ、後ろがつかえていますね。それじゃあ行ってきます」
「……ああ、行ってらっしゃい」
呆けた顔のオスカーに見送られ、エマはセインと門をくぐる。そこに待ち構えるようにして立っていたのはミリアだ。
セインが毎日送迎をしてくれるように、ミリアも毎日門の前でエマが来るのを待っていてくれている。
「おはよう、姉さん」
「おはよ。……セイン、その顔は何?」
ミリアの指摘に、エマは後ろにいたセインの顔を見る。呆れたような、うんざりしたような何ともいえない顔をしていた。
エマはその表情の理由に思い至り、ハッと口元を押さえた。
「セイン兄さん、やっぱりオスカーさんに“友達”だなんて図々しかったかな?何かずっとボケっとしてたし」
「いや……。ミリア、エマはとんでもないスキルを隠し持ってるかもしれねぇぞ」
「えっ!なにそれ詳しく聞きたい!」
「ちょっ、スキルって何?ねぇ兄さん…」
「―――そこの三兄妹。立ち止まってると目立つのでさっさと移動してください」
ピシャリと言い放つ声が聞こえ、エマたちは一斉に口をつぐんだ。
アンリが眉を寄せながら向かって来る。これから一日が始まるというのに、既に疲れ切った顔をしていた。
それが仮面舞踏会の準備のせいだろうということが分かり、エマはそっと両手を合わせる。
「……揃って拝むのはやめてくれませんか?余計に注目を浴びているんですが」
セインとミリアも同時にアンリに向かって両手を合わせていた。道行く人たちが何事かとざわついている。
アンリは大きく息を吐き出した。
「はぁ…。とにかく、何事も問題を起こさずに城へ向かってくださいね。いいですか、三人ともですよ」
「嫌ですねアンリさま、私たちが問題ばかり起こしているみたいに〜」
「ミリア姉さん、実際起こしてるからね?……アンリさまは私たちに用があったわけじゃないんですか?」
けろりと笑っているミリアをたしなめてから、エマはアンリに訊ねた。てっきり急用か何かで声を掛けられたのだと思ったが違うらしい。
首を横に振ったアンリは、門の方へ視線を向けた。
「……俺はレオナール殿下の…客人の出迎えです」
アンリの言葉の一瞬の間で、エマは勘付いてしまった。“レオナールの客人”の示す意味を。
無理矢理に笑顔を取り繕うと、エマはセインとミリアを小突いて歩き出そうとした。―――けれど。
「―――貴女がエマ・ウェラー?」
背後から届いた凛とした声に振り返れば、そこには絶世の美女が立っていた。




