71.想いを言葉に②
エマはハンカチを取り出すと、そっとオレリアに差し出した。
オレリアはか細い声で礼を口にしたあと、スンと鼻を啜りながら目元をハンカチで押さえる。
「私はあの日……どうしてお兄さまが陛下に諌められているのか分かりませんでした。それなのに、陛下に意見すれば私も追放されると思い……怖くて口を開けなかったのです」
「その通りだ、オレリア。僕たちがあの時にレオナールを庇っていたら、まとめて追放されていただろう。もしくは、まとめて謹慎とかね。……とにかく、陛下にとって都合の悪い存在だと認識されたはずだ」
指でトントンとテーブルを叩きながら、ラザフォードは険しい顔のレオナールを見る。
「僕たちの理想の未来は、夢物語のようなものだ。だからこそ、少しでも実現が可能な状況を作り出さなければならない」
「……それが、あのとき俺を“庇わない”という選択に繋がったのですね」
「そうだ。レオナールが追放されるなら、僕は何としても城に残らなければならない。お前が城にいなかった一年間は、陛下の理想とする王子を演じ、水面下で状況を整えていたんだ」
上手くいったとは言い難いけどね、とラザフォードは苦笑する。
「お前が城に呼び戻されたあと、壁があるのは仕方ないと思った。僕たちの仲が悪いと見せかけた方が、両陛下には都合が良いかと思って、そのまま別行動することにしていたんだ」
「……両陛下はどうして、今の現状を…髪色の差別の風潮を、良しとしているんでしょうか」
エマは思わずポツリと呟いた。特定の誰かに向けたわけではない問いに、答えてくれたのはオレリアだ。
「どちらかといえば、下手に引っ掻き回して面倒事にしたくない、って感じだわ。私がエマを侍女に選んだあと、遠回しに文句を言われたことがあったけれど…揉め事を起こすなって感じだったもの」
「文句なんて……大丈夫でしたか?」
「何ともないわ。どうして自分の侍女を自分で選んだのに文句を言われなくちゃいけないのかって、イライラしたくらいよ」
オレリアの中で、何かのスイッチが入ったらしい。目元を拭っていたハンカチをぐっと握りしめ、眉をつり上げて話を続けた。
「私とラザフォードお兄さまが、エマをレオナールお兄さまの婚約者候補に推薦した時もそう。嫌な顔を隠そうともせず、エマのことを知ろうともせず…“候補になるだけならな”って言ったのよ?」
「オレリアさま…」
「私は、エマに救われたの。平民だから何?黒髪だから何?“貴族”というブランド価値も必要なのは分かるけど、それが全てだなんて考えは古臭いわ!!」
バン!とテーブルに両手をつき、オレリアが立ち上がる。
部屋が沈黙に包まれた数秒後、我に返ったオレリアが顔を真っ赤にしてルーベンを見ていた。ルーベンは真顔でオレリアを見ている。
唇を震わせながらオレリアがゆっくり座ると、レオナールとラザフォードが同時に吹き出した。
「ふっ…はは!オレリア、そんなに熱く語れるんだな、驚いた」
「ははっ、全くだね。妹の成長は嬉しいものだ。エマに会ってからは、領地の勉強も頑張ってるだろう」
「……い、今のは忘れてください、お兄さま……」
耳まで真っ赤にして俯くオレリアを、エマは温かい気持ちで見つめていた。
自分の考えを持ち、それを堂々と発言できるオレリアは、立派な第一王女だ。
くすくすと笑いながら、ラザフォードが「さて、」と仕切り直すように声を上げる。
「レオナール。これで僕たちの君への愛は、少しは伝わったかな?」
「……はい。思い込みで反抗的な態度を取り続けて…すみませんでした」
「気にしていない。お前には優秀な側近たちがいたから、心配もしていなかったよ」
レオナールは微笑みながら、アンリ、ルーベン、ウェスへと視線を向ける。感謝の込められた眼差しは、見ていたエマの心を揺さぶった。
(本当に…本当に良かった。レオナール殿下には、アンリさまたちが常にいてくれた。そして今、ラザフォード殿下とオレリアさまとの間のわだかまりも解けた……)
前世では、お互いしか味方がいなかった“エマリス”と“レオ”。それが、今世ではこんなにも味方がいてくれる。
自然と笑顔を浮かべていたエマに、レオナールの視線が向く。
「エマ、ありがとう。君がいてくれて…再び出逢えて、本当に良かった」
「私もですよ、レオナール殿下。でも……」
「そうだな。まだ足りない。俺たちが手を取り合い、隣に立つには……まだ何かが足りないんだ」
エマがレオナールの婚約者になるには、国王と王妃の考えそのものを変えなければならない。
いくら実績を積んだところで、貴族でなければ認められないのだと思えてしまう。
「やっぱり、僕が先に模範的な婚約者を決めるしかないかな。それで両陛下の気が緩んでいる内に、君たちが婚約する。どう?」
夕食のメニューを提案するかのような調子で、ラザフォードがそう言った。すぐにレオナールが眉を寄せる。
「兄さん、そんな簡単に言わないでください」
「僕には想い人もいないし、僕の考えを邪魔する女性じゃなければ誰でもいいんだよ」
コホン、とラザフォードはわざとらしく咳払いをする。
エマの頭には婚約者候補のヴィオラの姿が浮かんでいた。間違いなく、彼女はラザフォードの中では除外されている。
けれど、誰でもいいというのがラザフォードの本心かどうかは分からない。
エマは何かいい方法がないかと考える。他の皆も何かを考え始めたようで、部屋に静寂が訪れた。
その静寂を打ち破ったのは、ウェスの陽気な声だった。
「もういっそのこと、誰も口出しできない状況にしちゃえばいいんじゃないですか〜?既成事実を作っちゃうんですよ」
「……ん?」
「一番手っ取り早いのは、子どもですよね!」
あどけない少年の笑顔で、ウェスがとんでもないことを言い放つ。
エマとレオナールは二人揃って顔を真っ赤にし、ラザフォードは項垂れながら額に手を当てた。
「さすがにそれは実力行使すぎて、レオナールとエマは怒りを買って王家を追放される可能性がある。でも……そうだな、既成事実か……」
ラザフォードが唸りながら、何やら考えを纏めようとしている。そんな中、スッと静かに片手を挙げたのはアンリだ。
「王家主催のパーティーを開催して、レオナール殿下がエマさんに求婚するのはどうですか?」
「……なるほど、それは有りだな」
「はい。王家主催の場でその流れになれば、招待された方々は婚約発表も兼ねたパーティーだったと思うでしょう。大勢の目があれば、両陛下も大声で跳ね除けることは出来ないはずです。ただ……」
そこでアンリの目がエマへ向いた。言おうとしていることが分かり、言葉を継ぐ。
「……私がレオナール殿下の求婚を受けたとき、周囲がそれを認めてくれるかどうか…ですよね」
周囲から温かい拍手が湧けば、国王たちへの先手を打てる。けれど逆に不満の声が上がれば、エマを蹴落とす口実を与えてしまうことに繋がるのだ。
案としては可能性のあるものだが、エマにはまだ大勢の貴族たちに認められているという自信は何もない。
(私が、貴族だったら。私が、暗い髪色じゃなければ―――…)
「―――アンリの案で進めよう、エマ」
無い物ねだりの感情は、レオナールの明るい声を聞いてすぐに消えていった。
知らずに俯いていた顔を上げれば、悪戯に笑うレオナールがエマを見ている。
「俺は、あなたの全てを護ると…そう決めた。誰にも邪魔はさせない」
「レオナール殿下……」
エマは膝の上で両手を握った。ここまでレオナールが言ってくれているのに、一人だけ弱気になっていいわけがない。
「……はい。私もあなたを護りたいです。だから―――あなたの隣に立つためにできることは、全力で臨みます」
レオナールの味方になりたいと、その隣に立ちたいと―――今度こそ想いを告げたいという強い願いが、エマにはある。
ただの村娘だとバカにされようと、平民で黒髪だと後ろ指をさされようと、絶対に諦めたくはない。
周囲の人たちに認めてもらえるように、前世の経験を生かして、実力と価値を示す。
―――これが、エマにできる前世の恋の叶え方なのだ。




