70.想いを言葉に①
「……ずいぶんと遅かったけど、何かありましたか?」
部屋に入ると、レオナールが心配そうに眉を寄せて立ち上がる。
ラザフォードは上着を脱ぎ、バサリとイスの上に掛けた。何も言わずにそれをハンガーへと掛け直すアンリは、途中でハッと何かに気付いた顔をする。
おそらく、レオナールが不在の間にラザフォードについていた時の行動が、身についてしまっていたのだろう。
「ちょっと俺の婚約者候補がね…でも問題はない。アンリ、ありがとう」
アンリは少し不服そうな顔で「いえ」と答え、エマはそのやり取りを感心しながら見ていた。
(私たちがランベール公爵領へ行っていた数日の間に、いろんなところで変化が起きたみたい。セイン兄さんとミリア姉さんの存在もそうだし、レオナール殿下の周りの関係性も……)
「エマ、口元がニヤけているわよ」
くすりと笑ったオレリアの視線は、ちらちらとルーベンに向いている。エマはこの二人の距離も縮めてあげたいなと思いながらも、まずは席に着いてからレオナールを見た。
「……レオナール殿下。ラザフォード殿下とオレリアさまのお話を聞く前に、シルヴァンに私たちの過去を話してもいいでしょうか」
エマの言葉に、レオナールだけではなく側近たちも反応を示した。
仕える主に関する内容のため、無関心ではいられないだろう。レオナールは良くても、側近たちに反対されてしまう可能性はある。
じっと返事を待っていると、レオナールはアッサリと頷いた。
「勿論……というか、まだ話していなかったのか。既に知ってると思ってた」
「え?」
「エマの味方になってもらおうと引き入れた時点で、俺はシルヴァンという騎士を信頼しているから。お前たちも、問題ないだろ?」
レオナールの視線を受け、壁際に立っている側近たち三人は顔を見合わせると同時に頷いた。
エマはホッと息を吐き、自身の後ろに立つシルヴァンを振り返る。口をポカンと開けてレオナールたちを見ていたシルヴァンは、エマの視線に気付くと片腕で口元を覆った。
「すみ、ませ……。まさか自分が、レオナール殿下から信頼されているとは思わず…」
王子から“信頼”だなんて言葉を向けられれば、ほとんどの人間は喜ぶに決まっている。シルヴァンの意外な表情に、エマは急に親しみを覚えていた。
「貴重な照れ顔ですね、シルヴァン」
「……やめてください」
「ふふ。では……改めまして。私の前世の話を始めようと思います」
ラザフォードとレオナールの前世の話も含め、エマは二つ前の前世の話から順を追って説明していく。
前世を振り返りながら気付いたのは、前よりも心が痛まなくなっていることだった。モルド村に住んでいた頃は、前世を思い出しては“レオ”に恋い焦がれて苦しくなっていた。
その“レオ”は今、レオナールとして生まれ変わり、再び出逢うことができた―――…。
エマを優しく見守ってくれていたオレンジの瞳は、今世で碧へと色を変えている。けれど、その眼差しに宿る優しさは何も変わらない。
(ああ―――好きだな)
何のしがらみもなく、ただ堂々とその胸に飛び込み、この想いを伝えたい。
強くそう思いながらも、エマは前世と二人の王子との関係性をシルヴァンに話し終えた。
途中で口を挟まずに黙って話を聞いてくれたシルヴァンは、ひと息ついたエマに向かって頭を下げる。
「話してくれて、ありがとうございます。色々と納得がいきました」
「顔を上げてください、シルヴァン。……というか、どうしてみんなすぐ納得してくれるんでしょう…?」
家族はもちろん、オレリアやルシア、リリアーヌに話したときもそうだった。すぐに受け入れてもらえることは嬉しいのだが、不思議で首を傾げてしまう。
くすりと笑ったのは隣に座っていたオレリアだ。
「どうしてって、むしろエマの前世を知らなかった時の方が、あなたの存在は不思議で仕方なかったわよ?前世を知ったら納得するしスッキリするのよ」
「……私、そんなに浮いていました…?」
「そういうのではないわ。うーん…オーラ、とでも言うのかしら?」
人差し指を口元に当て、オレリアが考えるように上を見る。その仕草を可愛らしいなと思いながら、エマはオレリアの言葉を受け止めることにした。
前世の王女であった自分は、切っても切り離せない存在であることは間違いない。
そしてその前世が、今の自分に役立っているということも。
「では、そのオーラをこれから存分に発揮していくことにします。改めて、ここで皆さんに宣言させてください。―――私は、レオナール殿下の婚約者になりたいです」
部屋にいる全員の視線が、エマへと集中する。エマが見つめるのはただ一人―――レオナールだ。
とても嬉しそうに顔を綻ばせているレオナールは、そのまま絵画として残したくなるくらいの神々しさだった。
「エマ。俺も、君を婚約者に望んでいる」
「ありがとうございます。……それで…ラザフォード殿下とオレリアさまをお呼びしたのは、お二人がレオナール殿下の味方であるということを、この場でお伝えしたかったからです」
「それは…」
サッと表情を変えたレオナールが、ラザフォードとオレリアを見た。エマはラザフォードに視線を移し、ぐっと拳を握って「今です!」と念を送る。
すると、ラザフォードは可笑しそうに笑った。
「じゃあ、僕は期待に答えるとするかな。……レオナール、お前がずっと僕たちに一線を引いていたのは、あの日の出来事が原因だろう?」
「……レオナールお兄さまが、陛下に王都を出て行けと言われた日ですね」
オレリアは目を伏せ、ゆっくりと息を吐き出している。
唇を結んでいるレオナールの代わりに、エマは二人の核心を突いた。
「どうしてお二人は、レオナール殿下を庇おうとはしなかったんですか?」
エマの言葉は、長年レオナールが抱えていた疑問だろう。側近たちも同じ気持ちだったはずだ。それぞれが緊張の滲む顔をしていた。
「答えは簡単だよ。あそこでレオナールを庇えば、まとめて追い出されると思ったからだ」
アッサリとそう答えたラザフォードは、眉を寄せているレオナールに向かって肩を竦めた。
「不満そうだな?」
「いえ……」
「仕方ない…条件が揃った今が、僕の未来図を打ち明けるそのときなんだろう」
ラザフォードは頬杖をつく。この場でただ一人、おそらくエマだけがラザフォードの描く未来図を知っている。
「僕の考えは、お前と同じだよレオナール。差別がなく、誰もが自由に羽ばたける……そんな実現性の低い、けれど魅力的な未来を思い描いている」
「…………!」
レオナールがハッと息を飲んだ。
冷静なエマは他の人たちの様子を確認する。皆がレオナールと同じような表情をしていた。
オレリアも同じような反応で、ラザフォードの考えは知らなかったのだろう。
「そんな…兄さんは、昔から貴族とばかり話しているじゃないですか…!」
「それは、お前が平民とばかり話しているからだろう。二人して平民と話していれば、貴族から不満の声が上がる。だから平民はお前に任せて、僕は貴族から情報を得ていたんだ」
「それなら、どうして教えてくれなかったんです?もっと早く教えてくれれば、俺は……」
そこで言葉を区切ったレオナールは、何かに気付いたように首を横に振った。
「……聞こうとしなかったのは俺ですね。陛下に考えを否定され、庇ってくれなかった兄さんとオレリアを遠ざけたのは…俺自身だ」
レオナールはぐしゃりと髪を撫で付け、申し訳なさそうな表情で下を向く。
エマの隣で小刻みに震えていたオレリアが、瞳いっぱいに涙を浮かべていた。涙が零れ落ちないように、必死に耐えているようだ。
「レオナールお兄さま……私…、ごめなさい」
「……オレリア」
「あの日に庇えなかったのは、私が弱かったからです。でも……これだけは信じてください」
オレリアは顔を上げたレオナールを真っ直ぐに見つめ、再び口を開く。
「私は、レオナールお兄さまの考えを尊敬しています。……私は、お兄さまの味方です」
陶器のような白い頬の上を、綺麗な涙が滑り落ちていった。




