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69.道のり


 隠し通路を抜けた先は、レオナールのいる南棟の端の部屋へと繋がっていた。


 今後何かあったときはこの通路を使ってみようと思ったが、すぐに無理だとエマは気付いた。

 たった今通ってきた隠し通路は複雑に入り組んでおり、とても一回で覚えられる道のりではなかったのだ。



「レオナール殿下とオレリアさまも、この隠し通路を使ったことがあるんですか?」


「いや、ないと思う。存在は知っているはずだけど、そもそも使い道はなかなか無いしね」


「あー……そうですよね。そもそも、隠し通路は敵に侵略された際に王族が逃げ切るためのものですし…」



 そう言いながら、エマは前世を思い出してしまった。

 かつてエマが王女として過ごしていた城にも、隠し通路はあった。ただ、その通路の存在を知っていても、内部の構造を教えてはもらえなかった。

 もし隠し通路の道を把握できていれば、逃げ切ることができたのだろうか―――そう考え始めてしまい、エマは首を振る。


 ラザフォードがそんなエマを不思議そうに見ていた。



「エマ?」


「すみません、余計なことを考えました。行きましょう」



 扉に手を掛けてから、エマはハッと気付いてラザフォードを振り返る。



「……ラザフォード殿下、よければお先にどうぞ。念のため時間をずらしてから向かいます」



 アンリとの仲が誤解され、変な噂が流れてしまったことからエマはそう提案した。けれど、ラザフォードは首を横に振る。



「ここはラザフォードの管轄だし、そう気にすることないよ。二人きりで歩くわけじゃないしね」


「え?」



 コンコンと扉が叩かれ、エマは驚いて扉から離れた。

 くすりと笑ったラザフォードがエマの代わりに扉を開き、続いて手招きをする。



「ほら、迎えを呼んでおいたんだよ」


「迎え……?」



 そろそろと扉から顔を覗かせると、そこには二人の騎士の姿があった。エマはぎょっとして目を見開く。



「シルヴァンと……セイン兄さん!?」



 シルヴァンはラザフォードと顔を合わせたことがあり、エマと関わりのある騎士として呼ばれたのは分かるが、セインは何故だか分からなかった。ただ単に、エマの兄だという理由だけではない気がする。


 セインは首の後ろを掻きながら、「あー…」と何とも言えない声を上げた。



「そんなに驚くなよ、エマ。俺が一番驚いてるんだからな」


「何?どういうこと?」


「それが……」


「―――僕の側近にならないか、って声を掛けたんだよ。二人ともね」



 ラザフォードに耳元で囁かれ、エマは耳を押さえながら慌てて振り返った。レオナールと似た声はとても心臓に悪い。



「ど、どういうことですか?兄はこの間剣を握ったばかりなので、役に立たないと思いますけど」


「おいエマ」


「エマさま、セインはなかなかに腕が立ちますよ。飲み込みは早いし、何より基礎の動きが身についています」



 シルヴァンはそう言ったあと、「“騎士ごっこ”のおかげですかね?」と笑みを浮かべている。

 セインとシルヴァンが何故か手合わせしていたあの日以来、まだシルヴァンと話す時間は取れておらず、どうやらヤキモキさせてしまっているようだ。

 あの時セインはうっかり“前世”という単語を口走っており、エマは気が気ではなかった。



「騎士ごっこ、ね。なるほど。とりあえずエマ、君のお兄さんを誘った一番の理由は、申し訳ないけど実力じゃない」



 ラザフォードの言葉に、セインは少なからずショックを受けているようだ。必死に顔に出さないようにしているが、口元が引き攣っている。

 エマはセインの実力が関係ないことに納得はしているが、その理由を追求するのは今ではないと一旦口を閉じる。


 ラザフォードは笑みを浮かべ、楽しそうにセインの名前を呼んだ。



「セイン。君はこれから北棟の客間に行って、そこにいるご令嬢を門の外まで送り届けてくれ」


「……え?あ、はい。分かりまし…」


「ま、待ってください殿下。もしかして、ヴィオラさまを放って私のところまで来たんですか?」



 エマがセインの答えを遮って問い掛けると、ラザフォードは笑みを浮かべたままだ。信じられないことに、自身の婚約者候補を部屋に放置しているらしい。



「僕はハッキリと、用があるから失礼するって言ったんだ。城の出入り口までは送ろうとしたら、急に足が痛むだの言ってソファに座り込むから、じゃあ代わりを寄越すから、って返事を聞かずに出て来たんだよね」



 それはそれは楽しそうに言われ、エマは開いた口が塞がらない。

 おそらく足が痛むと言ったのは気を引こうとしただけだろうが、そう言った手前部屋を出たラザフォードを追い掛けられず、ヴィオラは大人しくソファの上で待っているに違いない。



(それで散々待たされ、ようやく迎えに来たのが黒髪の騎士―――って、ヴィオラさまにとってはとんだ嫌がらせよね?)



 初めて会ったとき、ヴィオラはエマの髪を見て嘲るような顔をしていた。典型的な貴族令嬢で、髪色で差別をする人なのだとそのとき思った。

 ヴィオラに嫌な思いをさせるための、セインという人選なのだろうか。ラザフォードの部屋で待っている令嬢のことを知らないセインにとっても、この役割は嫌がらせに入るだろう。



「とりあえず、ご令嬢を城門まで送り届ければいいんですよね?行ってきます」


「あ、あと彼女の態度とか言動を、あとでしっかり報告よろしく」


「分かりました。……じゃあな、エマ」



 駆け足で去って行くセインの背中を見送ってから、エマは睨むような視線をラザフォードに向けた。



「……ラザフォード殿下。わざと兄にヴィオラさまの名前と肩書を言いませんでしたよね?」


「さすがエマ、気付いていたか。どうなるか楽しみだね?」


「もう、兄を悪戯に巻き込むのはやめてください」



 迎えに来た騎士は黒髪で、さらに自分が公爵令嬢でラザフォードの婚約者候補であると伝えられていないと知ったとき、ヴィオラはどう反応するのだろうか。

 エマはセインの無事を祈りながら、ラザフォードを睨むことしかできない。シルヴァンは巻き込まれないようにと気配を消していた。



(そうだ…シルヴァン。ラザフォード殿下が彼をこの場に呼んだ意味って…)



 ラザフォードはシルヴァンには指示をせず、レオナールの部屋に向かって歩き出す。そのあとにエマ、シルヴァンと続いた。



「……シルヴァン。私は今オレリアさまの侍女として動いているので、どうか前を歩いてください」


「いえ。例え俺がラザフォード殿下の側近になったとしても、俺がお仕えするのはエマさまなのは変わらないので」



 シルヴァンの言葉は、ラザフォードの側近になっても忠誠は誓わないと言っているようなものだ。

 エマはヒヤリとしたが、前を歩くラザフォードは笑い声を上げる。



「エマ、彼を僕の側近に誘ったのは君のためなんだ。君はまだ城内で護衛騎士を連れ歩けない。僕の側に置いておく方が、君に何かあったときすぐに動けるからね」


「一介の騎士であるより、ラザフォード殿下の側近であった方が動ける範囲が広がると諭されました。エマさまが婚約者となるまで、その提案を受けようと思っています」


「……私の、ため…」



 エマが足を止めると、後ろのシルヴァンも立ち止まったのが気配で分かった。拳をぎゅっと握ってから振り返れば、紫の瞳がエマを映していた。



「……シルヴァン」


「はい」


「あなたは常に私の味方でいてくれると、そう思っていいんですね?」



 じっと見つめながら問い掛ける。エマはできるだけ平静を装っていたが、手のひらは緊張で汗ばんでいた。

 シルヴァンは微笑むと、すぐに「はい」と答えてくれる。その瞬間、エマの体からフッと力が抜けた。


 仮面で正体を隠し無理やり戦わされた相手が、今や味方になってくれると言う。

 不思議な縁に感謝しつつ、エマは一つの答えを出す。



「では、シルヴァン。私はあなたに、全てを打ち明けようと思います」


「……本当ですか?」


「はい。私はあなたを信じることにしました。いいですよね?ラザフォード殿下」



 少し先で立ち止まり、こちらを見ていたラザフォードは、エマの問いに妖艶に微笑んだ。



「構わないよ。さぁシルヴァン、これで君はもう逃げられないけど」


「平気です。もう逃げるつもりはありませんので」


「よく言った。ひとまずは、可愛い弟のところへ早く向かおうか。あまり遅いと大声でエマの名前を呼び始めるかもしれない」



 そんなことはないとは言い切れず、エマは苦笑しながら歩き出す。


 自分一人で抱えていくと思っていた前世の記憶が、今世では大勢の人と繋がっていく。

 大切な人たちに支えられて、今この場所に立っていることを忘れないようにしなければ―――そう思いながら、エマは一歩一歩確かめるようにレオナールの元へと向かった。



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