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68.ラザフォードの婚約者候補


 エマは廊下を早足で歩きながら、ラザフォードのいる北棟を目指していた。


 オレリアには先に声を掛け、既にレオナールの部屋に向かってもらっている。途中で見かけたルーベンにも事情を説明すると、「すぐに向かう」と駆け足で去って行った。

 あとはラザフォードを連れて、レオナールの部屋に戻るだけだ。



 レオナールが城を追放されたという話は、エマにとって考えさせられることが多かった。

 両陛下の意図はよく分からないが、ただ“身分が低い者ばかり構うな”というだけの話ではないとエマは思っている。


 一つ驚いたのは、レオナールが最初から前世の記憶を覚えていたわけではないということだった。

 それでも、髪色の差別を取り払うように行動してくれていた。前世の“レオ”の記憶が、レオナールを突き動かしてくれたのだろう。



(……レオナール殿下が頑張っていた間……私は何をしてたんだろう)



 城に戻ったのが五年前。その一年前に追放されているということは、エマはそのとき十歳くらいのはずだ。

 セインとミリアを巻き込んで、貴族ごっこをして楽しんでいたことを思い出し、エマは一気に恥ずかしくなった。



(もう王族と関わりたくないとか……のんびり暮らしたいとか。本当に自分のことしか考えていなかった。追放されたとき、レオナール殿下は今の私と同じくらいの年齢だったはず……)



 王女“エマリス”だったとき、もし同じように追放されていたら、自分に何ができただろうかとエマは考える。

 信念を曲げずに、実の両親に立ち向かっていけただろうかと―――…。



「…………」



 北棟に入り、エマはピタリと足を止めた。重要なことに気付いたのだ。

 ラザフォードの部屋の場所を、エマは知らなかった。そもそも、北棟へは書庫ぐらいしか訪れたことはない。


 誰かに場所を尋ねようにも、少し躊躇ってしまう。レオナールの婚約者候補が、ラザフォードの部屋へ向かおうとしていることで、これ以上変な噂を立てられてしまっても困るからだ。

 とりあえずオレリアの侍女として、言伝を預かった風に装うことにしたエマは、話しやすそうな使用人を探そうと周囲を見渡した。



「―――誰か探しているのかな?」



 背後から届いた知っている声に、エマはホッと胸を撫で下ろしながら振り返る。

 ところが、そこには探し求めていたラザフォードと共に、知らない女性が立っていた。


 腰まで波打つ金のウェーブヘアに、深い紺の瞳。女性らしさを主張する大胆な紅いドレスから、妖艶な雰囲気が醸し出されていた。

 長いまつ毛に縁取られた瞳が、探るようにエマに向けられる。



「……まぁ、珍しい黒髪ですこと。もしかして、貴女が今話題のお方かしら?」


「オレリアの侍女で、レオナールの婚約者候補だよ。……エマ。こちらはブランディ公爵家のヴィオラ嬢だ」



 ラザフォードの紹介に、ヴィオラは口元に綺麗な弧を描く。エマは自然と頭を下げた。



「エマ・ウェラーと申します」



 磨き抜かれた床を眺めながら、ヴィオラの存在について思考を巡らせる。公爵家の令嬢が、ラザフォードと二人でいる意味―――それは、ヴィオラがラザフォードの婚約者候補であるということだ。



「顔を上げてちょうだい。それで、レオナール殿下の婚約者候補のあなたが、この北棟に何のご用かしら?」



 ヴィオラの顔は笑っているが、目は笑っていない。これは出直した方がよさそうだと判断したエマは、無難な嘘でこの場を乗り切ろうとした。

 けれど、口を開く前にラザフォードが問い掛けてくる。



「ああ、もしかしてオレリアからの伝言かな?調べ物をしてもらっていた件だろう」


「……はい。直接お話しする必要があるので、()()()()()()()()()に来てほしいとのことです」


「分かった。このあと向かおう」



 エマの答えに、ラザフォードがにこりと微笑む。ヴィオラはそんなラザフォードを横目で見ていた。

 エマは微笑み返すと、「失礼します」と頭を下げて南棟へと戻って行った。






 オレリアの部屋に入ると、掃除をしていたルシアとリリアーヌが揃って驚いた顔をする。



「エマ?どうしたの?」


「オレリアさまとレオナール殿下のところへ行ったんじゃないの?」


「うん、私はラザフォード殿下を呼びに行ってたんだけど……ちょっと問題があって」



 扉を閉めてから、エマは口元に手を添えた。

 ラザフォードはオレリアを使ってあの場から抜け出そうとしていた。

 それに気付いたエマは話に乗ったのだが、ラザフォードはヴィオラから離れたかったのだろうか。


 数分後には背後の扉からノックの音が響き、ラザフォードの声がする。エマはすぐに扉を開けた。



「ラザフォード殿下?早すぎないですか?」


「ああ……いいんだ。それより、僕に用だろう?」


「はい。一緒にレオナール殿下のところへ行ってほしくて…オレリアさまもいます」


「分かった。行こう」



 すぐに歩き出したラザフォードを追い掛けるように、エマはルシアとリリアーヌに「ごめん、またあとで!」と言って駆け出す。



「なんか……いつも大変そうだよね、エマ」


「そういう運命に生まれたんでしょ」



 ルシアとリリアーヌが顔を見合わせて言った言葉は、エマには届かなかった。





 ラザフォードはエマと歩く姿が人目につかないようにと、途中から隠し通路に入って行った。

 仄暗い明かりが灯る通路に、二人分の足音だけが響く。



「あの……私が通っていいんですか?王族専用の隠し通路ですよね…?」


「そうだけど、君はもう僕たちの家族みたいなものだから問題ないよ」



 その言葉に、エマはじわりと嬉しさが込み上げる。ニヤけそうになる頬を手で押さえていると、ラザフォードの大きなため息が耳に届いた。



「さっきは助かった、エマ。どう逃げようか考えていたところだったから」


「逃げようって……ヴィオラさまからですか?婚約者候補なんですよね?」



 小さく頷いたラザフォードの顔は、疲れているように見える。



「公爵家の令嬢で、知識や教養も申し分ない。僕の婚約者候補の中で、一番婚約者の席に近い女性だ」


「では、どこに問題が…?金髪ですよね?」


「……あのね、もう金髪に拘りはないよ。いつまでも君の面影を追い求めるわけにもいかないからね」



 ラザフォードは髪を掻き上げながら続ける。



「何ていうか、溢れ出る野心が僕には合わない。権力にしか興味がないのが分かるし、何より自分より下に見た人間への態度が気になる。とにかく合わない」


「…………」



 女癖の悪さが有名のラザフォードが、ここまで拒む女性は珍しいのではないだろうか。

 そう思いながら、エマはラザフォードの落ち込む背中をじっと見つめる。



「……こんなこと、私に言われたくないかもしれませんが」


「ん?」


「ラザフォード殿下には、素敵な方と結ばれてほしいと思います」



 ラザフォードは足を止めて振り返る。呆れたような顔で、エマの鼻先をぐにっと摘んだ。



「本当に、君に言われてもね。……まぁ、僕は第一王子だから。国のための政略結婚は避けられない」


「…………」


「それに、僕が政治的価値を満たせば…レオナールへの要求は減るだろう」



 フッと微笑んだラザフォードは、エマの鼻から手を離すと再び歩き出す。

 今の言葉は、エマとレオナールに向けた言葉だということが分かった。



(平民である私が、レオナール殿下の婚約者になれる確率を、ラザフォード殿下は上げようとしてくれてる…。私には、レオナール殿下との兄弟仲を取り持つことだけしかできないのに)



「……ラザフォード殿下。私は、あなたがレオナール殿下のお兄さんでよかったと心から思います」


「突然どうしたの。まさかレオナールが何かヘマをして、このあと庇い立てしてほしいってお願いがあったりする?」


「いいえ。私がこのあとお願いしたいのは……レオナール殿下への愛を、語ってほしいだけですよ」



 エマが笑いながらそう言うと、ラザフォードは振り返らずに片手を挙げた。



「―――そんなの、可愛いお願いだね」



 エマの前世での夫“ラファド”。

 おそらく“エルマ”だった自分は、不器用で優しい愛情を向けてもらえていたのだろうと、今になってようやく気付くことができた。


 今世で再び出会えて良かったと強く思いながら、エマはラザフォードの背中を追い掛けた。



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