67.追放の過去②
「それから……俺たちは、今エマが住んでいる小屋でしばらく生活していたんだ」
そう言いながら、レオナールは手元の紅茶を口に運んだ。アンリがいつの間にか淹れてくれた紅茶は、使用人が淹れるものより断然美味しい。
小屋を拠点としてしばらく生活していたとき、食事を用意してくれたのはアンリだった。
「こっそり変装して、王都を見て回った。王子としてじゃなく、国民として現状を把握しようと毎日走り回った」
瞼を閉じれば、あの日々が光景が鮮明に蘇る。あのまま王子として城で過ごしていれば、見ることのできない、知ることのできないことが数多くあった。
「私……レオナール殿下が追放されたなんて噂を、聞いたことはありませんでした」
眉間にシワを寄せたエマが、口を尖らせながらそう言う。国王に怒ってくれているのだと分かり、レオナールは嬉しくなって微笑んだ。
「そこはさすがに、体裁を気にしたらしい。城内では体調を崩したことになっていて、“第二王子が城から追放された”なんて噂が立つことはなかった」
「だから…今こうして、お城に戻れているわけなんですね。あの小屋で生活していたのは、どのくらいですか?」
「一年くらいかな」
サラリと答えれば、エマが目を丸くしていた。驚くのも当然だとレオナールは思った。
体調を崩して姿を見せないにしても、一年はさすがに重病ではないかと疑われてしまう。
だからレオナールは、先手を打つことにしたのだ。
「週に何度かは、第二王子レオナールとして王都に入った。陛下の耳にも入っただろうけど、何も言われないのをいいことに色々したな」
「そうですね。堂々と街中を歩き、誰彼構わず話を聞いて、悪党がいれば捕らえたりして……小さな大冒険でしたね」
珍しく穏やかな笑みを浮かべたアンリに、レオナールは「小さな大冒険か」と笑い返す。
結果的に、その大冒険は成功だった。
最初は王族だからと敬遠されていたレオナールだったが、積極的に人と関わろうとする姿を見た国民たちが、いつしか気さくに話し掛けてくれるようになっていた。
王都では、髪色の差別が普通にある。それでも髪色が暗い者は懸命に生活していた。貴族なのに暗い髪色で生まれ、悔しい思いをしている者も一定数いたため、レオナールは積極的に話を聞いて関わっていった。
そして城を出て一年が経った頃、国王の使者が小屋へやって来たのだ。
「たった一言、“城へ戻れ”とだけ告げられた。ウェスがキレて大変だったな」
「ええ?そうでしたっけ?」
「お前、あれを忘れたのか?」
けろりとした顔でウェスが頭を掻いている。
使者に斬りかかろうとしたウェスを止めたルーベンが、くどくどと使者に向かって怒りの言葉をぶつけていたのも覚えていた。そして、慌てて帰っていった使者の背中を見て、「ざまぁみろ」と呟いたアンリの悪い笑顔も。
側近たちが一緒にいてくれたおかげで、レオナールは前を向いて過ごせていた。
「それで……お城へ呼び戻された理由は何だったんですか?」
「俺の王都での働きによって、お礼の手紙や品が城に届き始めたんだ。直接会いに来る貴族もいたりで、俺が城にいないことが逆に面倒事に繋がった……それだけの理由だな」
面倒だからと、直接国王から言われたわけではない。それでも、一年ぶりに会う国王がレオナールを見る目は変わらず、“余計なことをするな”と言っているようだった。
エマが悔しそうな表情をして口を開く。
「レオナール殿下の行動は、王族として褒められることはあっても、非難されることではありません」
「……ありがとう、エマ」
「殿下たちが行動してくれたおかげで、私はこの髪色でも……使用人としてお城で働き始めることができたんです」
髪色の差別の撤廃。それはエマが前世で目指していたことであると、レオナールは知っている。
前世の記憶を思い出す前から、レオナールは“エマリス”の想いを継いで行動していたのだ。
髪色で判断されない世の中になるまで、この先何年、何十年とかかるかは分からない。それでも、レオナールが今世で生きているうちは、諦めようとも思わない。
エマがそばにいてくれれば、いつか叶う願いだと―――そう信じられる。
「……俺が追放されたのは、必要なことだったと今なら思える。ただ、国王陛下との関係性は修復できていないし、王妃陛下は逆に気にしてもいない。兄とオレリアとは、エマが城に来るまでろくに会話もしていなかった」
「それって、何年くらいですか……?」
「俺が城に戻ったのは約五年前だな」
エマが瞳を揺らした。優しいエマはきっと、レオナールが今世でも家族に恵まれなかったことを憂いているのだろう。
「……レオナール殿下。私の率直な感想をお伝えしてもいいですか?」
「ん?ああ、何だ?」
「両陛下のお考えは私にはまだ分かりませんが、ラザフォード殿下とオレリアさまに関してなら分かります。……お二人は、絶対にレオナール殿下の味方です」
そう言うと、エマは席を立ち上がる。レオナールはカップをソーサーの上に置き、エマの名前を呼んだ。
「どうした?急に立ち上がって」
「ちょっと待っていてください。すぐ戻りますので」
ぺこりと頭を下げ、レオナールが止める暇もなくエマは部屋を出て行った。
呆けているレオナールの視界に、小刻みに肩を震わせているアンリが映る。
「アンリ、まさかとは思うが……エマは兄さんとオレリアを呼びに?」
「そうでしょうね。間違いなく」
レオナールは息を吐き、ソファに深くもたれた。天井を見上げると、思わず笑みが零れる。
いつか、あの日のことを向かい合って話さなければと思っていた。二人の気持ちを聞かなければ、この先もずっとぎこちないままになってしまうことも分かっていた。
同じ場所で二の足を踏んでいるレオナールに必要なものを与えてくれるのは、前世でも今世でもエマだけだ。
アンリたちが与えてくれる優しさとはまた違う。前世で支え合っていたエマだからこそ与えてくれる、愛のある優しさだ。
(愛……は、自分で言うのはちょっと違うか。エマから直接的な言葉をもらったわけじゃないしな)
勝手にエマも同じ気持ちだと考えてしまい、レオナールは恥ずかしくなって前髪を掻き上げた。すると、ウェスが滅多に見せない真面目な顔をしていることに気付く。
「……ウェス?どうした?」
「レオナール殿下、オレ今まで珍妙ちゃんに結構酷いこと言ってたんですよね」
「酷いこと?」
こくりと頷いたウェスは、その“酷いこと”を指折り数えながら口にした。
「お金と労力をかけて潰す価値が君にあるの?とか、鬱陶しいから早く消えて?とか、ちょっと嫌いとか……そんな感じのことです」
思ったことをすぐ口に出す性格のウェスなら、普通に言いそうな言葉たちだった。それを言われたエマの顔を想像しながら、レオナールは「それで?」と先を促す。
「お前にそう言われて、ただ黙っていたわけじゃないだろ?」
「あはは、そうですね。レオナール殿下の役にどう立てるか、見ていてほしいって言われました」
「……エマらしいな。どう役に立てるか、か」
思わず口元を緩ませると、それを見たウェスもようやく表情を和らげた。
「今さら気付いたんですけど、珍妙ちゃんはもう最初から殿下の役に立ってたんですよね〜。だって、前世からの縁で繋がってたんですから。……そんな相手が近くにいるなら、それはもう最強だなって」
「そうかもしれないが、少し違うぞ」
レオナールはニヤリと笑いながら、首を傾げるウェスと不思議そうにしているアンリを交互に見た。
「今世で俺が最強になるには、お前たちも必要だ。今はこの場にいないルーベンもな」
それは、レオナールの心からの言葉だった。
前世では“エマリス”しか味方がいなかったが、今世ではずっと側近たちがレオナールを支えてくれていた。迷惑ばかりかけている自覚はあるが、いつも感謝している。
アンリは照れたように視線を逸らし、ウェスは嬉しそうに顔を輝かせる。
ルーベンがこの場にいたら静かに号泣しそうだなと思いながら、レオナールは穏やかな気持ちでエマが戻って来るのを待っていた。




