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65.耳に届かない噂話


 レオナールの執務室で、エマは深々と頭を下げていた。

 ちなみに、頭を下げている相手はレオナールではなく―――アンリだった。



「アンリさま。この度は私の兄と姉が多大なるご迷惑を……」


「やめてください。あなたが俺に頭を下げている姿をレオナール殿下に見られたら、俺は文句を言われますので」


「……そんな理不尽な…」


「ええ、全くあの方は理不尽です」



 キッパリとそう言い切ったアンリだが、その声は穏やかだ。レオナールとの間の信頼関係が垣間見え、エマは少し嬉しくなりながら顔を上げる。

 レオナールは席を外しており、今この執務室にはエマとアンリしかいない。



「では…謝罪ではなく感謝の言葉に代えさせていただきます。本当にありがとうございます」


「別に、俺はあなたのために動いたわけではありません。あなたの環境が整えば、レオナール殿下にやる気が漲る。それだけの理由ですよ」



 それだけの理由で、婚約者候補の兄姉の無理な願いを聞き入れ、城で働けるよう手配してくれるのはアンリだけだろう。

 セインとミリアがそれぞれ騎士と使用人として働けているのは、アンリのおかげだ。昨日の夜詳細を聞いたが、二人とも口を揃えて「アンリさまは聖人」と言っていた。


 出会ったときから、なんだかんだで手を差し伸べてくれるアンリに、エマは尊敬の眼差しを送る。



「アンリさまは、もっと恩着せがましい態度をとっても許されると思います」


「……そうですか?恩を売って得する相手ならそうするんですがね」



 エマに恩を売っても得はないと、アンリはそう言っている。けれど辛辣に思えるその言葉も、エマにとっては違う意味に変換された。

 得のない相手だとしても、アンリは恩を売ってくれる優しい人なのだと。


 そんなエマたち兄弟の恩人に、何を返せるだろうかと考える。



(私にアンリさまのお手伝いはできない。レオナール殿下の婚約者候補である以上、異性との接触は気をつけないといけないし……あれ、今二人きりよね?)



 ふとその事実に気付いたエマは、しまったと思いソファから腰を上げた。



「アンリさま、私にお手伝いできることがあれば、遠慮なく言ってくださいね。では、私はこれで失礼します」


「ちょっと待ってください。せめて殿下が戻るまでいてください。殿下は今―――…」



 アンリに引き止められたエマは、ソファの足に躓いてバランスを崩した。けれど、倒れる前にアンリが腕を伸ばして支えてくれる。



「……っぶないですね、気を付けてください」


「は、はい。すみません、ありがとうございま……」



 ガチャ、とノックもなく扉が開く。

 それもそのはずだ。扉を開いたのは、この部屋の主であるレオナールだからだ。


 レオナールが目を見開き、エマとアンリを交互に見る。アンリに支えられているエマの姿は、抱き合っているように見えなくもなかった。

 エマの顔からサアッと血の気が引くと同時に、レオナールの後ろからウェスが楽しそうな声を出した。



「あーあ。アンリさん、また密会ですかぁ?」


「…………また、?」


「ちちち違います殿下!ウェス!変なことを言うな!」



 レオナールの恐ろしく低い声を聞いたアンリが、慌ててエマから両手を挙げて離れる。エマもこくこくと必死で頷いた。



「躓いて転びそうになった私を、アンリさまが支えてくれただけです!」


「ええ〜?てっきり抱き合ってるのかと思ったけど。ちらほらアンリさんと珍妙ちゃんの噂話が耳に入ってくるし〜」



 明らかに面白がっているウェスの言葉だったが、エマはピクリと反応する。エマとアンリの噂話と、確かにそう聞こえた。



「私とアンリさまの……どんな噂ですか?」


「あれ、知らない?こっそり逢瀬を重ねて、手紙のやり取りをしてるって噂」


「手紙……?」



 エマはその噂の理由に思い当たった。アンリ経由でミリアの手紙を受け取ったところを、誰かに見られていたのだ。



「珍妙ちゃんはアンリさんからの手紙を大事そうに胸に抱えて、頬を染めつつ寂しそうにその後ろ姿を見送ったんでしょ?」



 にこにこと心底楽しそうな笑顔を浮かべるウェスにそう言われ、エマは両手で顔を覆った。

 周囲には気をつけていたのに、だいぶ誤解が脚色されて噂として広まってしまったようだ。これではレオナールの婚約者候補として、他者に良い印象は持たれない。


 大きくため息を吐き出してから両手を外し、エマはレオナールを見る。心ここにあらず、といった表情をしていた。



「あの……レオナール殿下」


「……ん?あ、ああ。何だ?」


「すみません、今後はもっと気をつけます。姉が城内で働けるようになったので、アンリさまに手紙の受け渡しを頼むことはもうないと思いますが……」


「姉と…兄が君の味方になりに来たらしいな。アンリを口説き落としたんだから、なかなかの苦労をしたと思う」



 兄弟愛だな、と言ってレオナールが優しく微笑んだ。エマは気恥ずかしくなって手元をいじる。


 アンリはエマとの間に噂が流れていたことにしばらく呆然としていたが、コホンと咳払いをしてから口を開いた。



「……ウェス、その根も葉もないくだらない噂は、次から耳に入ったら否定しておくこと」


「ええー?放っておいた方が面白く…」


「ならない。エマさんの評価が下がって殿下が躍起になり、俺の苦労が増える未来しか見えない」


「……はぁ〜い」



 気の抜けた返事をしながら、ウェスはアンリをからかい終えたとばかりに頭の後ろで腕を組み、壁にもたれかかった。

 相変わらずウェスのアンリへの態度は酷いなと思っていると、レオナールがエマの名前を呼ぶ。



「ちょうど話しておきたいことがあるんだ。時間はまだ平気か?」


「はい。何でしょう?」


「たった今、両陛下に謁見してきた」



 さらりとそう言いながら、レオナールが首元を緩めた。いつもよりカッチリとした服装だとエマは気付いていたが、国王と王妃に会っていたらしい。

 そしてそれを告げると言うことは、内容はエマに関することなのだろう。



「……婚約者候補の件ですか?」



 エマが緊張しながらそう訊くと、レオナールはすぐに頷いた。眉が少しだけ下がっているところを見ると、良い予感はしない。

 レオナールはエマに一度座るようソファへ促した。



「ランベール公爵領の件を報告がてら、エマの話を持ち出してみた。でも、良い反応は無い」


「……そう、ですよね…」



 ソファにゆっくりと腰掛けながら、どうしても暗い声が出てしまう。

 結局、ランベール公爵領の問題を解決したのは公爵自身であり、エマができたことはウォレスの心に喝を入れたことくらいだった。そしてそれは、エマにしかできないことではない。


 公爵家の血筋だと判明したとはいえ、エマの父親は爵位を継がずに家を出ている。そんなエマがレオナールと婚姻を結んだところで、王族に明らかな利益はないのだ。

 いくらランベール公爵が後ろ盾になると言ってくれていても、実際に婚約する人間が平民と貴族では勝手が違う。



「……ランベール公爵の後押しもあり、何より兄とオレリアの信頼を得ている。そして、俺自身がエマを望んでいる―――にも関わらず、あの人たちは頑なに首を縦には振らない」



 レオナールは面白くなさそうに口元を曲げた。

 けれどエマは、今の“エマを望んでいる”という言葉を聞けただけで、心に明かりが灯っていた。



「レオナール殿下、私は諦めませんので。次はどんな実績を手に入れればいいでしょうか」


「……エマ。その前に俺は、君に話しておかなければいけないことがあるんだ」



 途中で言葉を区切り、レオナールは眉を下げて微笑んだ。



「俺は一度、城から追放されたことがある」


「…………!」



 初めて聞いたその事実に、エマは目を丸くする。城を追放されるなど、結構な出来事の気がするが、そんな話は耳に入ってきたことはない。

 いくら王都から離れた村に住んでいたとはいえ、自国の王子が追放されたとなれば、嫌でも耳に入って来るはずだ。



「でも……レオナール殿下は、今ここにいますよね?追放が撤回されたということですか?」


「まぁ、簡単に言えばそうだな。……エマには真相を知っていてほしいし、その上で両陛下を説き伏せる糸口が見つかるかもしれない」



 穏やかな口調でレオナールはそう言っているが、顔が強張っていることにエマは気付いていた。だからこそ、きちんと聞いて受け止めたいと思う。



「―――教えてください、レオナール殿下」



 これから聞く話は、今世でレオナールが歩んだエマの知らない過去だ。

 一言一句聞き逃さないようにと、エマは両手を膝の上できつく握りしめていた。



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