60.公爵領の調査⑥
今世でエマが一番衝撃を受けたのは、レオナールが前世で護衛騎士だった“レオ”だと気付いたときだ。
―――そして今、次の衝撃を受けている。
「私の父さん、が……公爵家の人間だった…?」
そんな事実を、エマは父親のマークから一度も聞いたことがなかった。当たり前のように自分は平民だと思っていたのだ。
混乱するエマに向かって、ランベール公爵が少し悲しそうに頷く。
「残念ながら、君の父は君の母リディと結婚する前に、公爵家と縁を切っている。だから君の中に公爵家の血は間違いなく流れているが、今はその効果を成さない」
「そう、です…か……」
エマはなんとかそう答えるのに精一杯だった。動揺を鎮めようとレオナールに視線を向けると、顎に手を添え何かを考えているようだった。
そして立ち上がると、エマに向かって優しく微笑んだ。
「……話したいことはたくさんあるだろう。俺たちは部屋を出るから、ランベール公爵とゆっくり話すといい」
「あ…ありがとうございます」
「ありがとうございます、レオナール殿下」
頭を下げたランベール公爵に、レオナールがニヤリと笑う。
「それで、あなたにとって俺は合格基準を満たしたのか?」
「……そうですね。エマがあなたを信頼している様子が分かれば、充分です」
「そうか」
嬉しそうにそう言って頷くと、レオナールはひらひらと手を振って部屋を出て行った。ルーベンがそのあとに続き、シルヴァンに視線を送った。
シルヴァンはルーベンの無言の指示に従って扉へ向かう。一度振り返り、エマに頭を下げて出て行った。
ウォレスはまだ混乱しているような表情で、エマとランベール公爵を交互に見ている。
「と、とりあえず…父さんは何の罪にも問われないってことだよな?」
「そうだな。お前もだ、ウォレス。レオナール殿下がお優しい方であることを、私たちは感謝するんだ」
「……そっか…」
明らかに安心したように息を吐いたウォレスは、エマを見て口を開いた。
「いろいろごめん…ありがとう。あんたの言葉は全部正しかった。ちゃんと受け止めて考えてみるよ」
「はい、ぜひ」
ウォレスは少しだけ微笑んでから部屋を出て行く。残されたエマとランベール公爵との間には、不思議な空気が漂っていた。
(公爵が父さんの弟……それで、私の叔父さん…?)
公爵家にしては、ランベール公爵の茶髪は珍しいなとエマは思っていた。そして父親のマークは暗めの茶髪だ。こうしてまじまじと見てみると、似ているパーツはある。
エマが失礼にも観察していることに気付いた公爵は、楽しそうに目を細めた。
「エマ、大きくなったな」
「……昔、会ったことがありました?」
「君が産まれて間もない頃、一度だけな。セインとミリアも覚えていないだろう」
兄と姉の名前が出たことで、やはり嘘をついているわけではないのだと分かった。
どうしても父のマークが公爵家にいた様子が想像できず、すんなりと信じることができないのだ。
「父はあの性格だから……公爵家を継げないと、家を出たのですか?」
「はは、それは違うな。確かに兄さんは能天気で緩いところがあるが、公爵家当主としてやっていける才能はあった」
「それなら、どうして……」
そう問い掛けたところで、エマは気付いた。先ほどランベール公爵は、エマの母のリディと結婚する前に、マークが公爵家と縁を切ったと言っていた。
「……私の母が、平民だからですか?」
エマの予想は当たったようで、ランベール公爵は悲しそうに微笑む。
「私たちの父…前公爵は、とても厳しい人でね。ランベール公爵家に貴族以外の血が混ざることを反対したんだ。それで兄さんは怒って家を出て、王都の外れの別邸で暮らしていたんだ」
「そして……私が産まれる前に王都を出たんですよね?」
「ああ。セインとミリアが黒に近い髪で産まれ、二人の今後を考えて王都を出て行った。そして移り住んだ村で、君が産まれた」
王都に住んでいれば、黒髪の子どもは別の子どもに虐められてしまうだろう。両親の判断は正しいが、エマは悲しくなってしまった。
(髪色の差別なんてなければ、私は王都で暮らせていたかもしれない。レオナール殿下に近い距離で過ごせていたかもしれない…)
けれど、そう考えてみたところで仕方がないのだ。王都で暮らしていても、レオナールに会えたとは限らない。
モルド村で、あの状況で出逢えたからこそ、お互いの前世が結びついた可能性もある。
エマは考えをまとめようと、深呼吸を繰り返してから口を開いた。
「ランベール公爵は、ウォレスさまが次期公爵になるのを嫌がって、作物に薬品を与えようとしていることを知っていた。それを先回りして止めながら、もう不作の影響の理由を予測して行動していた……そうですよね?」
「ああ、そうだ」
「その答えが出る直前に、ウォレスさまの考えが変わることを祈って、ラザフォード殿下に領地へ来てほしいと依頼をした。レオナール殿下を指名したのは……私が、婚約者候補になったから…」
「ああ、そうだ。可愛い姪の将来の夫になるかもしれない男を、見極めたいと思ったんだ。……それに、マークに頼まれてもいた」
父親の名前が出たことで、エマは「え?」と首を傾げた。
「父に…レオナール殿下を見極めるよう頼まれたんですか?」
「そこまで直接的な物言いではなかったが、似たような感じだな。“エマの味方になってあげてほしい”、“レオナール殿下と関わって、エマの笑顔が曇っていないか見てほしい”と」
「……父さん…」
その優しさに、エマの胸はじわりと温かくなる。同時に、叔父に当たるランベール公爵の優しさもありがたく思えた。
「下手をすれば、今回の訪問でランベール公爵の評価が下がってしまっていたかもしれないのに……私のために、ありがとうございました」
「評価が下がったなら、取り戻せばいい。私は成長した君に会えて嬉しいよ。レオナール殿下についてきてくれて良かった。……結果的にウォレスのためにもなったしな」
「ウォレスさま…大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だろう。貴族より貴族らしい考えの君に、地下室であそこまで言われたんだから」
楽しそうに微笑まれ、エマは顔を赤くする。
地位があることが羨ましくて、つい熱くなってしまったとは言えなかった。
「その…出過ぎた真似をしました」
「そんなことない。君の真剣な言葉だから、ウォレスの胸に響いたんだと思うよ。それに、悪いが私は君のことも試していたんだ」
ランベール公爵はそう言うと、申し訳なさそうに眉を下げて続けた。
「平民で黒髪の君が、レオナール殿下の婚約者に本当になれるのかと、先日の事件のあとから探りを入れさせてもらっていたんだ。そして実際に君の言動を見て、私の杞憂だと分かった」
「公爵……」
「エマ。君が望むなら、私は自身の立場を持って君を応援しよう―――意味は、分かるね?」
優しさの滲む銀の瞳を見て、エマはゆっくりと頷いた。
ランベール公爵は、立場の弱いエマの後ろ盾になると言ってくれている。それは、エマが公爵領に来て手に入れたかったものだ。
今まで存在も知らなかった叔父は、とても優しくエマを見てくれている。感謝の気持ちと共に、何か恩返しをしたいという気持ちが膨れ上がった。
「ランベール公爵、ありがとうございます。私の今持つ力では、役に立たないと思いますが……何か私にできることはありませんか?」
エマがじっと見つめると、ランベール公爵は頬の傷痕をなぞるように撫でた。それからフッと笑みを零す。
「今すぐにでも、できることがあるな」
「何ですか?何でも言ってください」
「私は君の叔父だろう?敬語をやめて、“テレンスおじさん”と呼んで欲しい」
想像の斜め上の要望を伝えられ、エマはパチパチと瞬きを繰り返した。公爵家が後ろ盾になってくれる見返りが、それだけでいいのかと思ってしまう。
それでも、ランベール公爵は瞳の奥を輝かせていた。その表情が父親と重なって見え、エマはくすりと笑ってしまう。
「では―――二人のときだけ。こうやって会えて嬉しいし、ありがとう……テレンスおじさん」
初めて公爵に会ったときに感じた“隙が全くない人”という第一印象が、“可愛らしく笑う優しい人”に変わった瞬間だった。




