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59.公爵領の調査⑤


 ランベール公爵に連れられ、エマたちは邸宅内へと戻った。

 人気のない暗い廊下を進み、扉の隙間から明かりが漏れている部屋へと入る。


 そこには両腕を組んだレオナールと、近くに控えるルーベンがいた。

 レオナールから鋭い視線を向けられたエマは、とりあえずにこりと微笑んで誤魔化した。



(絶対に夜中に行動したことを怒ってる…!もしシルヴァンが責められたら、私が弁解しないと…!)



 ランベール公爵に促され、エマは席に着く。シルヴァンはエマの背後に立ち、ウォレスは真っ青な顔のまま扉付近から動かなかった。



「ウォレス、話をするから座りなさい」


「……父さん、無理だ。俺は、俺は……取り返しのつかないことを…!」


「いいから、座れ。お前は取り返しのつかないことはしていない」



 俯いていたウォレスが、パッと顔を上げる。何を言われたのか分からないという表情だった。

 それはエマも同じ気持ちで、ランベール公爵の顔をじっと見てしまう。ウォレスのしたことは明らかに罪に問われることだ。



「……ランベール公爵、早く説明してやった方がいい。彼が一番の被害者なんだから」



 腕を組んだままのレオナールの言葉に、ウォレスは呆然としていた。そして何かを覚悟したかのように拳を握り、一番近くの椅子に腰掛ける。

 その様子を満足そうに見ていたランベール公爵は、テーブルに手を置いて一度立ち上がった。



「では、レオナール殿下とルーベンさまには先に説明させていただいたことを、改めて話します。結論から言えば、作物の収穫量の減少はウォレスのせいではないということです」


「な……!?」



 驚きの声を上げながら、ウォレスも同じようにテーブルに手を置いて立ち上がった。



「そんなはずない!俺が隠し持っていた薬を使ったら作物に影響が出たんだ…!地下室でちゃんと実験もした!」


「そうだな。それでその実験をしたのは、最初の一度きりだろう?」


「そ……れは……」



 ウォレスの言葉の勢いがなくなる。どうして知っているのかと問いかけている目だった。



「私は全部把握していたんだ、ウォレス。お前が小屋の地下室を見つけたことも、そこに盗賊だったときの私物を隠していることも。……あの薬棚に入っている薬は、全部何の効果もない液体にすり替えてある」


「…………」



 驚きから言葉が出ないウォレスを横目に、エマは疑問に思い口を開く。



「ランベール公爵。ウォレスさまは効果のない液体を、定期的に作物に与えていたということですよね?それなら、どうして悪影響が続いているんですか?」


「答えは簡単です……原因は別にあるからです。そして、その原因は農業に詳しい知人の力を借り、つい先日明らかになりました。他国で発生している新種の害虫で、飛び回りながら特殊な害のある分泌物を撒き散らすようです」



 申し訳なさそうにランベール公爵はそう言うと、未だに困惑しているウォレスを見た。



「お前が爵位を継ぎたくないことは知っていた。それでも泳がせていたのは…いずれ気持ちを改めてくれるのではと、期待を抱いていたからだ」


「………っ、その期待は外れたな。俺は父さんがずっと公爵でいることを望んでいる。だから、父さんが何か対策を考えて実施したときに薬の使用をやめて、父さんの実績にしようと思ってた。でも…無意味だったんだな」



 ウォレスが自嘲気味に笑う。その言葉を聞いて、エマはようやくウォレスの行動の意味が分かった。

 全て、ランベール公爵への領民の支持を高めるためだったのだ。けれど、知らずに不発に終わっていたとはいえ、褒められる内容ではない。



「どうして……このタイミングでレオナール殿下を領地へ呼んだんですか?」



 エマが静かに問い掛けると、ランベール公爵は口元を僅かに緩ませた。



「理由は二つあります。一つは、レオナール殿下を呼ぶことでウォレスに緊張感を与えたかった。そして、貴族としてどうあるべきかを学んで欲しかったのです」


「貴族として、どうあるべきか…」


「はい。ご存知の通り、ウォレスは基礎すらまだ身についていません。けれど、やる気さえあれば…磨けば光る原石だと私は思っています」



 ランベール公爵の優しい声を聞いて、ウォレスは唇を噛んで下を向いてしまった。おそらく自分のしたことを恥じているのだろうと、エマには分かった。

 そして、恥じる心があるということは、自身を省みることができるということだ。



「……殿下の婚約者候補であるあなたが、一番ウォレスにとって良い薬になってくれたのかもしれません」


「え……?」


「地下での言葉は、扉の外まで聞こえてきましたので。貴族としての在り方は、平民のあなたの方がよく分かっておられます」



 くすりと笑われ、エマは思わず顔を赤くする。ウォレスに説教じみたことを言ってしまったことを聞かれていたらしい。

 ウォレスは変わらず俯いているが、長めにゆっくりと息を吐き出している。ずっと強張っていた肩から力が抜けたのが分かった。



「つまり―――ただ俺だけが滑稽だったということか」



 顔を上げたウォレスは、レオナールを真っ直ぐに見つめている。



「……レオナール殿下。俺が未熟なせいで、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。今回の件は、父には何の落ち度もありません。罰は全て、俺に与えてください」


「罰、か。おかしなことを言う」


「……え…?」


「君が犯した罪とはなんだ?ただの液体を作物にばら撒いたことか?」



 レオナールは唇の端を持ち上げ、悪戯に笑う。

 ランベール公爵が薬品の中身を無害なものに入れ替えたのなら、ウォレスは何の罪にも問われないはずだ。



「俺がここへ来たのは、兄のラザフォードの命だ。ランベール公爵に脅されて来たわけではないし、こちらが何か被害を受けたわけでもない……エマ、君はどう思う?」



 ここで話を振るのか、とエマは恨みがましい視線をレオナールへ向けた。

 例えウォレスに罪があったとしても、レオナールが処罰の必要がないと言えば、エマにそれを覆せる力などない。


 エマはウォレスの揺れる瞳を見た。



「異論はありません。ただ、ウォレスさまには心に刻んでいてほしいことがあります」


「……何、だ?」


「今回罪を問われないのは、ランベール公爵が薬の中身をすり替えてくれていたおかげです。あなたは…守られているんです。そのことを胸に、今後の歩む道をしっかりと考えてほしいと思います」



 公爵家の跡継ぎ問題に口を出すなど、余計なことをしているとエマには自覚はあった。それでも、このまま“良かった良かった”と終わらせてはいけないと、そう強く思ったのだ。

 家族からの愛情が当たり前にあるものだと思ってほしくはないし、逆に愛情に気付かないまま自分は独りだと勘違いしてほしくはなかった。


 ウォレスはエマをじっと見つめ返したあと、こくりと頷く。



「……ちゃんと、考える。あんたにも迷惑をかけた。ごめん…ありがとう」


「いえ。地下室に閉じ込められるのはもう遠慮しておきたいですけどね」



 ふふっと微笑めば、ウォレスも眉を下げて微笑んでくれた。部屋の空気が少し和らいだと感じたあとで、エマは「あ」と声を上げる。



「そういえば、ランベール公爵。レオナール殿下を領地へ呼んだもう一つの理由は何ですか?」


「そうだな。もう一つは俺も気になる。どうして兄のラザフォードではなく、俺を指名したんだ?」



 ランベール公爵は、理由が二つあると言っていた。二つ目の理由はレオナールもまだ聞いていないようで、不思議そうに首を傾げている。

 ランベール公爵は椅子に座り直すと、首元をポリポリと掻いた。



「それはですね……姪が殿下の婚約者候補となったので、殿下と直接会ってゆっくりと話してみたかったからという、完全な私情なのです」


「姪?姪などいたか?」



 レオナールは眉をひそめ、ウォレスも初めて聞いたかのように「姪?」と首を傾げている。

 エマはランベール公爵には貴族として好印象を抱いているが、いくらその公爵の姪だからといって、レオナールの婚約者候補の座を譲るつもりはない。


 スッと目を細めたエマを見て、ランベール公爵が楽しそうに微笑んだ。



「そして私はずっと―――いつか堂々と姪に会える日を楽しみにしていました。息子となったウォレスと、並ぶ姿を見ることも」



 ウォレスの見開かれた目は、エマに向けられていた。ウォレスだけではない。レオナールもルーベンも、おそらく背後に立つシルヴァンも、エマに視線を注いでいる。



(ちょ……っと、待って?え?どういう…?)



 エマは混乱した頭でランベール公爵を見た。「あなたのことではありませんよ」と笑って言われると思っていた。

 ―――けれど。



「……エマ、君は私の姪だ。私の兄…つまり君の父親は、公爵家の人間だった」



 初めて告げられた事実に、エマは言葉を失うしかなかった。



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