5.魅せる踊り
祭りの会場へ戻ったエマは、そこで見た光景に、思わず顔が歪んでしまう。
近くを通りかかったセインが、慌てて声を掛けてきた。
「おいエマ、顔、顔!」
「………兄さん、なにあれ…」
エマの視線の先には、ひょろっとして口髭を生やした貴族の男がいる。それも、大勢の村の女性を侍らせて。
比較的髪の明るい女性を選んでいるところが、また小憎たらしい。
「気にするな。ただ祭りに参加してるだけだ」
「……呑気なものね」
レオナールが追っている男。そして、レオナールを刺した男。
これだけで貴族の男に対するエマの不審感は最大なのだが、その男が何をやらかして追われているのかは知らない。さすがにそこまでは教えてもらえなかったのだ。
「もしかして、このまま踊りの時間まであそこに陣取るつもり…?」
「だろうなぁ。気をつけろよエマ、お前の踊りに目を付けられるかもしれないぞ」
「あの男に、踊りを見る目があるとは思えないけどね。難癖つけられないように完璧に踊り切ってみせるわ」
エマはため息を吐きながら、飲み物片手に村人との会話を楽しんだ。
この村では、エマたち兄弟が一番髪色が暗い。それでも、みんな小さい頃から分け隔てなく接してくれている。
両親の人柄のおかげもあるのだろうと、エマはそう思っていた。
両親はこの村出身ではなく、王都出身だ。
セインとミリアがまだ小さい頃にこの村に引っ越し、エマが産まれた。
最初は王都から来たということで、少し煙たがられてしまったらしいが、今ではすっかりこの村に馴染んでいる。
ちなみに両親は、髪の色は暗めの茶色だ。王都では、髪色を理由に理不尽な目に遭うことも多かったらしい。
それを聞いて、セインは「俺は絶対に王都に行かない!」と豪語していた。一体どこに働きに出るつもりなのだろうか。
この村は居心地が良く快適だが、仕事と呼べる仕事はない。稼ぎたいのなら、どこか外へ出るしかなかった。
「みんな、そろそろ準備の時間よ」
リディにそう声を掛けられた頃、辺りは日が暮れてきていた。
エマはミリアを含めた同年代の子たちと、恋愛話の真っ最中だった。
話が中断され、口を尖らせたのはミリアだ。
「もうそんな時間?…あーあ、結局エマの気になる相手は誰だか分からなかったなー」
「だから、そんな相手はいないってば」
エマは苦笑してそう答えながら、心の中で「今の人生ではね」と付け加える。
前世で好きだった人以上に好きになれる人を見つけることが、今世でのエマの目標でもある。
……見つけられるのかは、分からないのだが。
瞼を閉じれば、エマは未だに鮮明に思い出すことができる。
本人が嫌いだと言っていた、黒混じりのくすんだ灰色の髪を。
悪戯にエマを見つめる、朝焼けのようなオレンジ色の瞳を。
―――けれど彼は、もういない。その現実を、頭では分かっているのに、心が拒否する。
それくらい、好きで好きでたまらない人が、エマにはいた。
「エマ、準備できた?」
ミリアの問い掛けに、エマは自分で髪を結いながら頷いた。
「うん。姉さんの髪、私がやろうか?」
「本当?やった、エマは手先が器用だから、髪を結うのがうまいよね」
この手先の器用さは、花屋の娘だった人生の賜物だ。色彩感覚もそこで身について、次の王女の人生で、自分に似合う色のドレスを探すことに役立っていた。
ミリアの柔らかい髪を結いながら、エマはふとレオナールのことを思い出す。
あの柔らかそうなプラチナブロンドの髪を、少し触ってみたいな、と思った瞬間があったからだった。
レオナールとの別れは、すぐにでもやってくるはずだ。そうすれば、もう二度と会うことはないだろう。
それを少し寂しいと思ってしまうくらいには、エマはレオナールを気に入っていたのだと今気付く。
(……気に入ってる…だと失礼かな。尊敬とはまた違うし、好きだとかでもないし、なんて言えばいいんだろう)
「エマ、エマってば。やりすぎよ」
ミリアの指摘に、エマは我に返って手を止めた。見事な編み込みができあがり、今度はそこに無心で造花を散りばめていたらしい。
「わぁ、ミリアの髪綺麗!いいなぁ!」
「エマ、私にもやってー!」
「こらこら、もうそんな時間ないわよ。早く移動して」
「ええー!」
カーテンの隙間から顔を出したリディの言葉に、みんなが口を尖らせる。
エマとミリアは笑いながら、舞台袖へと移動した。マークやセインが、汗水垂らして組み立てた舞台が見える。
その舞台上に、選ばれた男性たちがズラリと並ぶ。村長の合図で歌い出し、低音の合唱が響いた。
ちなみに、セインも選ばれている。口は悪いけれど声は良く、歌が上手い。
歌の合間でリディが手を挙げて合図を出す。
エマたちは静かに舞台上へ出ると、それぞれが配置についた。
踊りが始まると、観客の村人たちから拍手と歓声が上がる。
その中でニヤニヤと笑みを浮かべている貴族の男を見つけ、エマは顔が歪みそうになるのをなんとか堪えた。
といっても、踊っている女性たちはみんな、お手製の薄いベールを被っている。さらに日が落ちてきたので、表情はあまり見えないだろう。
何の問題もなく、例年通りに歌と踊りが進む。
そして、歌う人数が減り、踊りが一斉に止まる。―――ここからが、エマ一人の見せ場だ。
女性たちが円を描くように並び、片膝をついてしゃがみ込む。
エマはその中心を摺り足で進み、舞を踊った。
片手に扇を持ち、舞うたびにベールがふわりと揺れる。髪飾りからはシャン、と音が鳴った。
王女の人生のときから、エマは踊りに関する授業が好きだった。
音楽の流れに身を任せ、全身を使って表現する。どうしたら綺麗に魅せられるかと、考えながら踊ることが好きだった。
結局、今世でもこうして踊り続けるのは、ある人に届けたかったからだ。
エマの踊りを「美しいですね」と笑って褒めてくれた、今はもういない一人の男性に。
扇を空へ翳せば、歌声がだんだんと大きくなる。
しゃがんでいた女性たちが一斉に立ち上がり、踊りは歌と共に盛り上がっていった。
最後の見せ場が終わると、観客から割れんばかりの拍手と歓声が送られる。
「―――…」
エマは肩で息を切らせながら、無事にやり終えたことに安心していた。
突然舞台に上がり込んできた、貴族の男を見るまでは。
「いやぁ、思った以上に素晴らしかった!」
拍手を鳴らしながら、男がゆっくりとエマに近付いてくる。周囲の村人たちは、どうしたものかと顔を見合わせていた。
「特に、中央で踊ってた君!そう、君だよ!」
ビシッと指を向けられた先にいたのは、どう見てもエマだった。
(……しまった。踊りに興味なさそうに見えたのに)
ベールの下でエマが顔を歪ませていることに気付かず、男との距離がどんどん縮まる。
視界の端で、ミリアがセインに真っ青な顔で駆け寄っているのが見えた。
エマはとりあえず、男に向かって頭を下げる。
「……お褒めにあずかり、光栄でございます」
「おや、なかなか良い声をしているじゃないか!顔を上げて見せてみろ」
渋々と顔を上げれば、男が乱暴にエマのベールを剥いだ。黒に近い髪がハラリと揺れ、男の動きが一瞬止まる。
「黒…?……まぁいい、髪色を除けば、顔も体型も私好みだ」
舐めるような視線が向けられ、ぞくりと肌が粟立つ。男の手が、エマの顎を持ち上げた。
「―――女、喜べ。私のものにしてやろう」
ニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべながら、男は呪いのような言葉を口にした。