58.公爵領の調査④
隠し扉の先には、地下へと下りる階段が続いていた。
地下へ続く階段が隠されていたことは、そこまで驚くことではない。問題は、その先に何があるのかだ。
「……シルヴァン。音を立てないよう、ゆっくりと下りましょう」
「そうですね。何があるか分からないので、俺が先に行きます」
シルヴァンが小屋にあったランタンを掲げ、先に階段を下りていく。エマは無言でそのあとに続きながら、これがただの笑い話で終わればいいと思っていた。
地下には秘蔵のコレクションが並べられていて、夜な夜な誰かがそれを眺めに来ているだけだとか、平和な勘違いであればいいと。
けれど階段を下った先で、不用心に開け放たれたままの扉の奥に見えた光景は、穏やかなものではなかった。
「―――…」
武器としか思えない危険なものが、床に散らばっている。シルヴァンがそっと剣の柄に手を掛けた。
壊れかけた棚にはズラリと薬品が並んでおり、近くにあったいくつかの鉢植えの植物は枯れかけている。
壁際の机に向かって、ごそごそと動いている人物がいる。まだエマとシルヴァンには気付いていない。
その後ろ姿で誰だか分かり、エマは眉を寄せた。
(やっぱり―――ウォレスさまだったのね)
この穏やかではない雰囲気の地下室で、ランベール公爵の養子であるウォレスが何をしていたのかは分からない。
エマは最悪の事態を想定し、後ろ手で扉の取っ手を握った。隙を見て逃げ出されないように、まずは扉を閉めることにした。
そのとき、タイミング悪くウォレスが振り返った。エマとシルヴァンに気付くと、目を大きく見開きながら口をパクパクと動かす。
「な―――どうして、ここに?」
「……それはこちらの台詞です、ウォレスさま。このような武器を集めて、何をなさるおつもりですか?」
ウォレスはその武器を持ち、襲いかかってくるような素振りは見せていない。それでもシルヴァンが警戒しながら、エマを庇うように前に立つ。
エマはゆっくりと背後で扉を閉めようとしていた。
「いや、この武器は……って、待て!!」
ウォレスの制止の言葉は、エマに向けられていた。
え?と思いながらも扉を閉める。その瞬間、ガチャリと鍵のかかるような音が連続して三回聞こえた。
その嫌な予感のする音に思わず振り返ったエマは、取っ手に手を掛ける。扉はピクリともしなかった。
「え……?ウォレスさま、この扉の鍵はどこですか?」
「…………鍵はない。解除する遠隔スイッチは小屋の入口の壁に掛かったままだ」
大きなため息を吐きながら、ウォレスが額を片手で覆ってその場にしゃがみこんだ。エマはその言葉の意味をゆっくりと飲み込む。
この扉の鍵を解除するスイッチは、ここにはない。つまり―――閉じ込められたというこだ。
「ど……どうして手元に持っていないんですか!?」
思わず声を荒げてしまったエマを、ウォレスは指の隙間から見た。
「……あんたたちがこんな時間に、気配もなくやって来て扉を閉めるなんて…予想できるわけないだろ」
「私だって、閉めたら開かなくなる扉だとは思いませんでした!そもそも…ここは何の部屋なんですか?何をしていたんですか?」
エマの問いに、ウォレスはすぐには答えなかった。視線を枯れた植物へと向けると、床に座り込んだまま天井を見上げる。
「どうせ……予想がついたから俺のあとを追ってきたんだろ?」
「それは…。……あなたが、この領地の作物に何かをしているんですね?」
「その通り。あそこの薬品を使ってな」
驚くほどあっさりと認めたウォレスが、くいっと顎を動かして棚に並ぶ薬品を指した。
エマは剣の柄に手を掛けたままのシルヴァンの肩を叩き、薬品の方へと歩き出す。シルヴァンの焦った声が背中に飛んできた。
「エマさま…!」
「大丈夫です。ウォレスさまになら私でも勝てると思いますので」
「…………」
何とも複雑そうなウォレスの視線を受け流しながら、エマは薬品を手に取る。小さな瓶の中には、透明な液体が入っているようだった。
「これが、作物に影響を…?どうやって調合したんですか?」
「俺が調合したわけじゃない。……この部屋には、盗賊だったときにくすねた物をしまい込んでいるから」
ウォレスは、ランベール公爵に養子として引き取られる前は盗賊団の下働きだった。その情報をエマは既に知っている。
そして、ウォレス以外は壊滅させたはずの盗賊団の残党が公爵領を襲い、ランベール公爵が一人で退けたことも。その際公爵が頬に傷を負ったことも、資料を読んで知っていた。
ランベール公爵とウォレスの間にどんな物語があったのかは、エマは知らない。
それでも、ウォレスがした行為は、引き取ってくれた公爵の恩を仇で返している。
「……ウォレスさまは、ランベール公爵を陥れたいのですか?」
声を落として問い掛けたエマに、ウォレスは睨むような視線を返した。
「陥れる?そんなわけないだろ。俺が陥れたいのは、俺自身だ」
「どういうことですか?」
「俺は次期公爵の器じゃない。盗賊なんかだった俺には無理だ。この公爵領には……父さんの力が必要なんだよ」
ウォレスは吐き捨てるようにそう言うと顔を背けた。エマは眉を寄せながら、シルヴァンと顔を見合わせる。
(次期公爵になりたくなくて、作物に影響を与える薬品を使っていた…?この問題が解決できずに長引けば、一番困るのはランベール公爵のはず。でも、ウォレスさまはそれを望んでいるわけではない……)
思考を整理しながら、エマは薬品を静かに棚に戻した。
ウォレスが何を考えていたのかは、本人の様子を見ればすぐに話してくれるだろう。けれど、それは結果的にランベール公爵の責任になってしまう。
義理の息子が領地の作物に悪影響を与えていた。そしてその証拠も、証言も、今ここにある。
さらに今この領地には―――第二王子であるレオナールがいるのだ。
「……本当に、あなたは次期公爵には相応しくないですね」
ポツリと呟けば、ウォレスの視線がエマへ戻った。
「何だ?文句か?」
「そうです。やるならもっと上手くやってくれませんか?あなたは、公爵の座を継ごうと努力している様子もないし、領地の問題や領民にも興味がなさそうな態度でしたよね?だから私は…私たちは、あなたに対する不審感を拭えなかったんです」
「な……」
「私たちが今ここで、あなたの罪を暴いてしまった。それが結果的に、ランベール公爵の罪となってしまうことが、本当に分からなかったんですか?」
ウォレスは目を見開き、言葉を失っている。その反応だけで、そこまで思い至らなかったことが分かった。
「あなたは捕らえられるし、あなたの罪を見抜けなかったランベール公爵も無罪とはなりません。そうなれば、この公爵領は一体どうなってしまうと思いますか?」
顔をだんだん青くさせるウォレスに、エマは怒りが収まらなかった。
望んでいないことがあるのなら、どうして言葉で伝えないのだろう。どうして感情に任せて行動に移ってしまうのだろう。
(オレリアさまの侍女だった、伯爵家の女性たちも同じ。どうして自分が持つ恵まれた立場を、簡単に棒に振ってしまうの?私が今一番欲しいと思っている、貴族という立場を―――…)
「……エマさま。ウォレスさまを威圧しすぎてしまっています」
シルヴァンにそう言われ、エマはハッとした。ウォレスは小刻みに震えながら「そんなつもりは……」と呟いていた。
唇をぐっと噛みしめたエマは、ウォレスの目の前で立ち止まり、真っ青な顔を見下ろす。
「“そんなつもりはなかった”なんて、貴族の間では更に通用しない言葉です。あなたが次期公爵になりたくないのなら、もっと別の方法があったはずですが」
「お、俺は……」
ウォレスの言葉の途中で、ガチャン、という音が大きく響いた。エマは驚いて音がした方を見ると、先ほどは開かなかった扉がゆっくりと開いていく。
その先に立っていたのは、ランベール公爵だった。手に持っているのがウォレスの言っていたスイッチなのだろう。
「……エマさま。どこかお怪我は?」
「え、あ、いえ。ありません」
一番最初に話しかけられ、エマは姿勢を正してそう答える。ランベール公爵はホッと息を吐くと、銀色の瞳をウォレスへ向けた。
「ウォレス。―――レオナール殿下がお待ちだ」
まるで死刑宣告を受けたような顔で、ウォレスはその場から動かなかった。




