57.公爵領の調査③
翌日も翌々日も、エマたちはウォレスに案内してもらい領地を見て回った。
作物以外に被害は出ておらず、領民に話を聞いても皆が口を揃えて理由が分からないと言う。
例年通りの気候に、例年通りの栽培方法。それでも状況は厳しくなっており、不安が常につきまとっているようだった。
「ランベール公爵は、領地のために頑張ってくれているんだけどねぇ…」
「理由が分からなきゃ対策も立てられないわよね。困ったわ」
「そうだな…。でもこうやって殿下直々に状況確認に来ていただけると、この領地は見捨てられてないんだなって安心します」
ありがとうございます、と頭を下げられ、レオナールは首を横に振った。
「礼を言われることじゃない。国の全てを把握するのが俺たち王族の役目だ。むしろ、何の役にも立てなくて悪いな」
「とんでもございません。我々は話を聞いていただけるだけでも嬉しいです」
ランベール公爵領の人々は、とてもおおらかな性格の持ち主が多かった。公爵が人望の厚い人であることも、領地のために日々時間を費やしていることも聞けた。
それでも、問題の解決策は一向に出てこない。
日が暮れるまで領地を歩き回ったが、ひたすら原因不明の謎が深まるばかりだった。
ランベール公爵の邸宅へ戻ると、レオナールが汗ばんだ髪を掻き上げる。
「……さて、俺はこれからランベール公爵に報告へ向かう。エマ、ゆっくり休んでくれ」
「はい、ありがとうございます。レオナール殿下も…ちゃんと休んでくださいね」
そう言いながら、エマはレオナールと別れて客室へと足を進める。後ろからはシルヴァンがついて来た。シルヴァンの部屋はエマの隣だ。
「滞在の残り日数も少なくなりましたね。原因は何でしょうね」
「そうですね……」
エマは顎に手を添え、考えながら廊下を歩く。何気なく窓の外に視線を向ければ、中庭をウォレスがうろうろとしていた。
思わず眉を寄せてしまい、それに気付いたシルヴァンがエマの視線の先を追う。
「……エマさまは、あの方がお嫌いですか?」
「嫌いではありません。ただ……次期公爵としての自覚があまりにもない人だな、と思うだけです」
正直に答えると、シルヴァンが可笑しそうに笑った。
「あの方より、エマさまの方がよほど貴族らしいですね」
シルヴァンには、まだエマの前世を打ち明けてはいない。なので、レオナールとの関係性もシルヴァンにとっては不思議なままだろう。
それでもこうして、護衛騎士としてエマについてくれている。
部屋の扉の前で、エマは振り返った。
「あの、シルヴァン」
「はい。何でしょう」
「その……目立たずに生きていたかったはずのあなたの生活が、私のせいで一変してしまったと思いますが…怒ってはいないんですか?」
少し緊張しながら、エマはそう問い掛ける。「怒っています。あなたのせいです」と言われるかもしれないと、覚悟して訊いてみたのだ。
けれど、シルヴァンはきょとんとしている。
「怒ってはいませんよ?エマさまは俺にとって謎めいた存在ですが、変装を見破ったときはスッキリしたくらいです」
「スッキリ……?」
「ずっとモヤモヤしてたんですよね。仮面の女性と、不思議な侍女に。それが謎の婚約者候補“エマリスさま”と線で繋がったときは、全身に震えが走りました」
シルヴァンはそう言って微笑むと、エマの部屋の扉を開けてくれた。ぺこりと頭を下げてから部屋に入ると、背後から声が届く。
「―――“シルヴァンさまも、きっといずれできますよ。なりふり構わずに目指したくなる、そんな目標が”。……そう言ってくれた日を覚えていますか?」
エマは振り返った。その言葉は、オレリアの侍女問題が解決したとき、医務室へ向かう途中でエマがシルヴァンに投げかけた言葉だ。
あのときのエマは、まだレオナールの側近を目指していた。
「はい。覚えていますが……。もしかして、目標が見つかったんですか?」
「そうです。俺の目標はあなたですよ、エマさま」
「え?私?」
どうして騎士であるシルヴァンの目標が自分になるのだろうと、エマは本気で驚いて目を丸くする。
「もしかして、復讐してやりたいとかそういう意味の目標ですか?」
「ははっ、ですから俺は怒っていませんって。感謝してるんですよ……平凡な生活を送っていた俺に、あなたが刺激を与えてくれた。あなたに仕えてみたいと、そう思わせてくれたんです」
楽しげに目を細めるシルヴァンに、エマは何も言えなかった。予想もしない言葉の数々に衝撃を受けていたからだ。
(ラザフォード殿下の側近になるっていう提案を断ったとき、シルヴァンは仕えたい人は別にいる…的なことを言ってたけど……。え、それが私なの?)
固まるエマをよそに、シルヴァンが扉の取っ手に手を掛ける。
「そういうわけで、俺はエマさまを応援しています。レオナール殿下の婚約者になり、いずれは護衛として俺を指名してくださいね」
「…………」
「では、また明日」
シルヴァンは笑顔で一礼して扉を閉めた。エマはよろよろと後ずさり、ベッドに背中から倒れ込む。
なんだかずいぶんと入れ込んでもらっている気がする―――そう思いながら、考えを放棄するように大きなため息を吐き出した。
***
深夜に目が覚めたのは、窓を開けたまま寝てしまっていたからだった。
エマはぶるりと震えながらブランケットを羽織り、窓辺に近付く。窓を閉め、鍵を掛けようとしたところで、中庭を揺らめく明かりに気が付いた。
「…………?」
じっと目を凝らして見てみると、誰かがランタンを持って歩いているようだった。
ランベール公爵だろうか、とぼんやりと思ったエマだったが、その人影と背格好が一致しないことに首を傾げる。
(公爵じゃない……見回りの兵?にしては軽装に見える……)
その明かりを目で追っていると、見えない位置へと移動してしまった。
エマは事前にもらった資料にあった公爵邸の地図を思い出す。この先にあるのは小屋だけのはずだ。
公爵邸の誰かが、小屋にあるものを取りに行っただけかもしれない。そう思ったが、エマはどうしても気になってしまった。
(こんな時間に誰が庭をうろついているのか、確かめるだけ。兵や使用人なら問題ないもの。問題ないけど―――…)
エマは部屋を出ると、隣の部屋の扉を軽くノックする。シルヴァンの部屋だ。
勝手に中庭に出てエマに万が一のことがあれば、シルヴァンが責任を問われてしまう。
さすがに寝ているかと思ったが、意外にもすぐに中から返事が聞こえた。
「……はい。どなたですか?」
「エマです。こんな時間にすみません」
警戒の滲む声に、エマは小さな声で答えた。すると、間髪入れずに扉が開く。
驚きで目を見開いているシルヴァンは、一瞬言葉を失ったようだった。
「…………な、何かあったんですか?」
「いえ、何かあったわけではないんですが…。気になる人影が中庭に見えたので、確認したくて。その報告に来ました」
シルヴァンは眉を寄せ、エマを見ながら何かと葛藤しているようだった。そのあとすぐにベッド脇の剣を腰に携え、サイドテーブルの上に何やら走り書きを残している。
上着を羽織ったシルヴァンは「行きましょう」と言って近付いて来た。
「ついてきてくれるんですか?」
「当たり前でしょう。念の為置き手紙を残しておきました。……歩きながら詳細を話してください」
暗い廊下を静かに歩きながら、エマは窓から見た明かりと人影の話をした。シルヴァンはずっと険しい顔をしており、ルーベンに見えてきてしまう。
中庭に出たところで、シルヴァンが視線を周囲に走らせた。
「……見回りの兵は見当たりませんね。さっき窓から門番は見えましたが…」
「衛兵や使用人だったらいいんですけど…ずっと頭に引っ掛かっていることがありまして」
「そうですね。俺もずっと違和感を感じています」
どうやら、シルヴァンも同じ気持ちのようだ。おそらくレオナールも気付いているだろうと、エマは思っている。
そして、たった三日でエマたちが違和感に気付いたのだから、ランベール公爵が気付いていないはずはないと―――そう確信する。
真っ直ぐに小屋がある場所へ向かうと、近くに人影はなかった。
シルヴァンがスッと前に出ると、ゆっくりと小屋の扉を開く。中は広い物置のようになっており、本棚や工具棚が並び、木箱がいくつも積み上がっている。
扉近くにぶら下がっているランタンの明かりに照らされた中に、人の姿は見えなかった。
「誰もいませんね…」
「でも、ランタンが掛けられたままってことは…誰かがここへ来たはずです」
エマは小屋の中へ足を踏み入れ、どこか隠れられそうな場所はないかと視線を巡らせる。すると、不自然に隙間の開いた本棚が目に入った。
「シルヴァン、これを見てください」
「ああ…奥に隠し扉がありますね。お待ち下さい」
シルヴァンが本棚を軽く動かすと、扉が現れた。さっき見かけた人物は、この奥にいるのだろう。
「では、開けますよ」
少し緊張の滲んだ声に、エマはゆっくりと頷いた。




