56.公爵領の調査②
ランベール公爵領で問題が起き始めたのは、一年ほど前からだという。
それまでは毎年豊作だった作物が、急に収穫量が激減したらしい。目立った天候不良があったわけでもないのに、作物が病気になったり成長が遅れることが増えたのだ。
領民たちは揃って頭を抱え、それでも意見を出し合い対策を立てながら作物を育てていた。けれど、収穫量が回復することはない。
作物の全体数が減ったことで、王都に出荷できる品質のものを確保することが難しくなってしまっているようだ。
「……やはり、俺達にできることは限られると思うが」
ランベール公爵の話が一旦区切られると、レオナールがすかさずそう切り出した。
エマも同じ意見だった。農業の専門家でもないのに、原因を探れと言われても難題だ。
「現状を確認し、領民から話を聞くことはできる。でもそれじゃ、根本的な解決にはならないだろ?」
「ええ、仰る通りです。ですが、平民たちの声をしっかりと聞いてくださるレオナール殿下でしたら、何か解決策を見出してくれるのではと思いまして」
「……それは少し買い被りすぎだぞ」
この領地の調査に、ラザフォードではなくレオナールが指名されたことには、平民への接し方が関係していたようだ。
ラザフォードも平民のことを考えてはくれているが、金髪の女性を取っ替え引っ替えしているので心象は悪いのだろう。オレリアが言うには、最近は女遊びを控えているらしいのだが。
頬を掻くレオナールに、ランベール公爵は小さく笑みを零す。
「平民として育ったエマさまも、お力になってくれるのではと期待しております」
「は、はい。最善を尽くします」
「ありがとうございます。それと…領地の案内人ですが、私ではなく別の者に任せてもよろしいでしょうか」
「別の者?」
レオナールが問い掛けると、ランベール公爵は頷きながら人差し指を口に当てた。音もなく立ち上がると、そのまま静かに扉へと近付いていく。
エマは思わずレオナールと顔を見合わせた。
次の瞬間、公爵が思い切り扉を内側に開く。
「―――ぅわっ!」
ドサッという鈍い音と共に、扉から誰かが倒れ込んで来た。ランベール公爵は驚いた様子もなく口を開く。
「聞き耳を立てるのはやめろと、あれほど言っただろう」
「くそっ、バレてたか…!」
「お前の気配は分かりやすい。……立て、レオナール殿下にご挨拶をするんだ」
ランベール公爵に引っ張られるようにして立ち上がったのは、エマと同年代くらいの少年だった。
乱れた焦げ茶の髪を手で直しながら、同じ色の瞳を鋭く細める。
「……ウォレス・ランベールです」
ぶっきらぼうな自己紹介で出た名前を聞いて、エマは事前に渡されたランベール公爵に関する資料を思い出す。
公爵が数年前に養子として引き取った人物が、ウォレスだった。
(ランベール公爵は独身だから―――つまり、このまま状況が変わらなければ、彼が次期公爵の名を継ぐということね)
エマは名乗って軽く会釈をしただけのウォレスを見た。お世辞にもこのまま公爵の名を継げるとは思えない態度だ。
それはレオナールの後ろに立つルーベンも同じ気持ちのようで、ものすごく険しい顔をしているのがエマの視界に映っていた。
すると、ランベール公爵がウォレスの頭を掴み無理やり頭を下げさせる。
「申し訳ございません、レオナール殿下。不出来な息子でお恥ずかしい限りです」
「いや、構わない。それより、彼が領地を案内してくれるということか?」
「はい。領地に関することは一通り叩き込んでありますので、案内に関しては問題ないかと思います」
案内に関すること以外は問題があるのだろうかと、そんな妙な不安に襲われてしまう言い方だった。
ウォレスは第二王子のレオナールがいるにも関わらずムスッとした態度を貫いており、さすがのエマも苛ついてしまう。けれどレオナールはたいして気にする様子もなく、すぐに立ち上がった。
「分かった。早速だが案内を頼もう……よろしく、ウォレス」
「…………はい」
短く返事をしたウォレスは、さっさと扉から出て行ってしまう。その後ろ姿を、ランベール公爵が何とも言えない顔で見ていた。
レオナールがエマの前に手を差し出し、にこりと微笑む。
「さぁ、行こうか」
その笑顔に毒気を抜かれ、エマは微笑み返しながら手を取って立ち上がる。
いくらウォレスの態度が気に入らなくても、重要なことではない。優先すべきは、この領地の問題を解決できるかどうかだ。
エマは気持ちを引き締め、レオナールたちと共にウォレスのあとをついて行った。
***
ランベール公爵領はとても広かったが、主要な作物を収穫する場所は一箇所にまとまって作られていた。
ウォレスが歩く速度を緩めずにズカズカと畑に入って行き、働いていた人々が手を止める。
「ウォレスさま…?」
「どうされたんだ?珍しいな、ここに来るなんて」
「おいちょっと待て、あのお方は……」
ウォレスからレオナールへと視線を移した人々は、それぞれが目を丸くしていた。
誰かが「レオナール殿下!」と声を上げると、皆が一斉に頭を下げる。レオナールはすぐに顔を上げるよう声を掛けた。
「仕事を中断させてしまってすまない。領地の問題について、少し状況を確認させてもらえるかな」
「はい、勿論です…!」
一番年配に見える男性がペコペコと頭を下げる中、ウォレスは足を進め続けていた。
エマたちは畑の間を通って近付いていく。途中、エマは実っている作物の様子を観察していた。
(確かに、王都で見るものより小ぶりだったり、形が悪かったりするわね…。土や肥料に問題が?それとも、何か病気にかかっていたりする?)
今世で村娘として生活していたエマにとって、農作業は身近な存在だった。今住んでいる小屋の外にも小さい畑を作り、作物を育てている。
考えながらもウォレスを見ると、畑の中心辺りで立ち止まっていた。
「……この辺りが、一番被害が出ている場所です」
「本当だ。素人の俺が見ても、作物の元気がないことが分かるな。どう思う?エマ」
「そうですね……」
エマはその場でしゃがみ込み、土を触る。変わった土ではなさそうだ。作物の葉の状態を見ても、病気の可能性は見当たらない。
あれこれと状態を確認していると、ふと視線が気になり顔を上げた。
ウォレスが思い切り眉をひそめてエマを見ている。
「……あんた、殿下の婚約者候補なんだよな…?」
「あ、はい。申し遅れました。エマと申しま……」
「婚約者候補が汚れも気にせず土いじり?変わってるな」
そこでエマは、自分が上質なドレスを着ていることに気付いた。外出用のシンプルなドレスで、動きやすさと実用性を考えて選んでもらったものだが、早くも裾が汚れてしまっている。
「エマさま、袖口にも土が。こちらをお使いください」
シルヴァンがスッとハンカチを取り出し、エマはそれをありがたく受け取った。土を払いながらウォレスに笑いかける。
「私は村出身ですので、汚れることは特に気にしません」
「村?……へえ、あんたもワケアリか」
ウォレスはボソッとそう言うと、一瞬暗い顔を見せた。けれどすぐにエマたちに背を向け、今度は別の場所へと歩き出す。
「とりあえず、被害が大きい場所を全部見せますので。ついてきてください」
被害が見受けられる畑は、バラバラに点在していた。
作物に共通点があるわけでもなく、その区画全体に被害が出ているわけでもない。見れば見るほど不思議に思えてくる。
「……困ったな、俺は完全に役に立たない」
「すみません殿下、私も初めての事例です。現段階では何も掴めていません」
「ルーベン、シルヴァン。お前たちはどうだ?」
レオナールの視線を受けたルーベンとシルヴァンは、揃って首を横に振る。
腰に手を当てていたウォレスが肩を竦めた。
「普段仕事をしている領民たちにも、領主の父にも原因の見当がついていませんので。父が何故、外部の専門家でもない人間に頼んだのか謎です」
「……ウォレスさまにも、見当はつかないのですか?」
にこりと笑みを貼り付けてエマが問い掛けると、ウォレスが片眉をつり上げる。
「それは遠回しに、俺が無能だって言っているのか?」
「いえ、ただの確認ですよ」
エマが気になったのは、先ほどの言葉だ。ウォレスの言い方が、まるで他人事かのように感じられた。
ウォレスは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、足元にある元気のない作物を見下ろした。
「―――全く見当がつかないな」
それでも構わないと思っているかのような口調のウォレスを、エマはじっと探るように見ていた。




