55.公爵領の調査①
エマは大きな馬車に揺られていた。
これからランベール公爵領へ向かい、領地の問題について調査することになっている。
オレリアの侍女として向かうわけではなく―――レオナールの婚約者候補として向かうのだ。
「ランベール公爵領について、何か疑問に思うことは?」
向かいに足を組んで座るレオナールが、書類を捲りながらそう問い掛けてきた。綺麗に纏められている書類を眺めながら、エマは首を振る。
「大丈夫です。一通りの情報は頭に詰め込みましたし、あとは実際に見て考えます」
「そうだな。兄さんがくれた書類を見る限りだと、そこまで大きな問題じゃない気がする」
「でも、ランベール公爵はラザフォード殿下に直接会って、そのあとレオナール殿下に領地に来てほしいとお願いしたんですよね?」
「そうらしいが……どうして俺が指名されたのか分からないんだ」
不思議そうにレオナールは眉を寄せており、エマは窓の外へ視線を向けた。
平静を装って普通に会話をしているが、心臓は大暴れである。
(念願の婚約者候補になれたのは嬉しいんだけど……この距離がドキドキして緊張する。殿下の直接的な言葉を聞けたわけじゃないけど、私と同じ気持ちだと思っていいのよね……?)
隣に立ちたいと互いに伝え合い、エマはレオナールの婚約者候補になることができた。ラザフォードとオレリアの協力もあり、候補としてならと国王の許可が出たという。
それでも、婚約者の座を勝ち取るには、まだまだ実績が足りない。
そこで今回レオナールに同行し、ランベール公爵領の問題を解決するために向かうことになった。
婚約者ではなく、ただの候補がくっついていくことは普通なら嫌がられるが、ランベール公爵は受け入れてくれたらしい。
おそらく、いてもいなくても同じだろうと判断されたのだとエマは思っている。
「……レオナール殿下なら解決してくれると、信頼されているんじゃないですか?」
「数回顔を合わせただけなのにか?……何か企んでいるのではと疑ってしまうな」
書類を置き、レオナールがじっと見つめてくる。窓の外を眺めたままのエマは、視界の端でその姿を捉えながらも気付かないフリをしていた。
レオナールの謎の婚約者候補として、エマの名前が公表されたのは数日前のことだった。
様々な憶測が飛び交い、オレリアの侍女になったときの悪女であるという噂が持ち出されてしまい、城内でのエマの印象は良くはない。
それでも、実際にパーティーに参加した貴族たちは、エマの所作やレオナールとのダンスをその目で見ていた。
髪色を誤魔化していたことや、平民出身であることに不満はあるようだが、表立って抗議してくる人物は今のところいないという。
エマを襲う計画を企てた婚約者候補たちが、きちんと処罰を受けたことも関係しているようだ。
「エマ」
「……はい」
「誰かから嫌がらせを受けてはいないか?」
エマは窓の外からレオナールへと視線を移す。本気で心配してくれていることが分かり、口元を緩めた。
「問題ありません。好奇の視線はすごく突き刺さりますけど、オレリアさまと…ルシアとリリアーヌが庇ってくれるので。あと偶然を装って、どこからともなく現れるラザフォード殿下が」
「それは完璧な布陣だな」
レオナールがくすりと笑う。本当にその通りだと思いながらエマは頷いた。
このままだと“王族を手玉にとる悪女”といった噂が流れてしまいそうだ。
他愛ない会話をし、二人きりの緊張が解けてくる頃には、窓の外の景色が変わっていた。
ランベール公爵領は広大で自然豊かな土地として有名で、王都で売られている農作物の多くがランベール公爵領で採れたものらしい。
モルド村に似た雰囲気の景色に、エマは懐かしさを感じながら外を眺める。
レオナールの婚約者候補になったことは、既に姉のミリア宛に手紙を出していた。返事はまだないが、ミリアが奇声を上げて驚く姿が目に浮かぶ。
「……そろそろ着くな。着いたらまず公爵から状況を聞き、それから領内を案内してもらう予定だ」
「はい。滞在予定は五日ですね」
「解決策が見つかることを祈ろう」
ここで成果を上げることができれば、ランベール公爵の支持を得られるらしい。国王と王妃から婚約の許可をもらうために、エマは実績を積まなければならない。
レオナールが第二王子であっても、ただの平民と婚約させようとは思わないだろう。
馬車がゆっくりと止まり、扉が外側から開かれる。今回同行しているレオナールの側近はルーベンだ。
そしてもう一人、エマの護衛として同行してくれている騎士がいる。
「お疲れ様です、エマさま」
レオナールのエスコートで馬車から降りると、シルヴァンがそう言って爽やかに微笑んだ。
エマはぎこちなく微笑み返す。
「あの……様付けは結構ですよ?シルヴァンさま」
「いえ、俺にこそ敬語と敬称は不要です。エマさまは、レオナール殿下の婚約者候補となられたんですから」
救いを求めてレオナールを見れば、何故だかとても楽しそうな顔をしていた。
「いいんじゃないか?本人が不要だと言っているんだから」
「では…名前だけ呼び捨てにする、というのはどうですか?まだ候補の立場なので、さすがに大きな態度を取るのは気が引けます」
ただでさえ、シルヴァンには多大な迷惑をかけているのだ。妥協案としてそう提案すれば、シルヴァンは少し不服そうだが頷いてくれた。
「分かりました。では、シルヴァンと呼んでください。俺はエマさまとお呼びします」
「……はい、シルヴァン」
エマが名前を呼べば、シルヴァンが口元で綺麗な弧を描く。その嬉しそうに見える表情が、エマには不思議で仕方なかった。
「エマ、ランベール公爵だ」
レオナールに小声でそう言われ、エマは公爵邸の門へ視線を向けた。
颯爽と歩いてくる男性がランベール公爵なのだろう。その後ろに従者が二人ついている。
公爵はすぐ近くで立ち止まり、レオナールに向かって頭を下げた。
「レオナール殿下。お呼び立てした上に、出迎えが遅れてしまい大変申し訳ございません」
「いや、こちらが早く着きすぎただけだ。気にしないでくれ」
「お心遣い感謝致します」
エマから見たランベール公爵の第一印象は、“隙が全く無い人”だった。立ち居振る舞いにしても、声の抑揚にしても、貴族として洗練されている。
綺麗な銀の瞳がレオナールからエマへと向けられた。
「……テレンス・ランベールと申します。レオナール殿下の婚約者候補さまでいらっしゃいますか?」
「はい。エマ・ウェラーと申します。同行の許可を下さり、ありがとうございます」
緊張しながらも、エマは前世で王女だった仮面を貼り付ける。我ながら自然に微笑めたな、と思っていると、ランベール公爵からじっと視線が注がれる。
「エマさまは……先のパーティーで襲撃を受けたとお聞きしましたが」
「そうです。けれど、優秀な護衛騎士がついていてくれたので大事には至りませんでした」
エマがちらりと視線を送ると、シルヴァンがランベール公爵に頭を下げる。公爵は僅かに微笑みながら、レオナールに向き直った。
「……レオナール殿下の生誕祝いの場に出席できなかったこと、とても悔しく思っております」
「領地で問題があったんだろ?それで忙しくしていたと兄に聞いている。このあと詳しく話してもらいたい」
「はい、勿論です。どうぞこちらへ」
ランベール公爵が背を向けて歩き出すと、侍従が素早くエマたちの荷物を持ってくれる。
公爵の歩く姿には気品が漂っており、貴族の鑑だなとエマは感心しながらその背中を見つめていた。
(頬に残っていた傷痕……公爵が賊と戦ったときの傷だと聞いたけど、領主自らが前線で戦うなんて凄いわね)
事前に話を聞き、こうして実際に会ってみた結果、エマの中でランベール公爵の評価はとても高い。だからこそ、公爵に自分の価値を示すことができるのかと心配になってしまう。
立派な公爵邸に足を踏み入れると、エマたちはそれぞれ客間に案内される。そこに荷物を運んでもらってから、別の部屋で揃って席に着いた。
使用人が運んできた紅茶の香りが部屋に漂う。これはなかなか高級な茶葉だな、とエマが推測していると、ランベール公爵が真面目な顔で口を開いた。
「では、早速ですか本題に入らせていただきます。事前にラザフォード殿下にお伝えしていたとおりですが、再度私の口からお話しさせていただきます」
ゆっくりと話し出したランベール公爵の声に耳を傾けながら、エマはレオナールの婚約者候補としての実績を積めるよう考え込んでいた。




