54.ランベール公爵
王都の門番であるオスカーは、いつも通り身支度を終えて夜勤の門番と交代した。
早朝から王都へ入る人も少なくないため、交代してすぐ仕事が始まる。門番の仕事は楽だと思われがちだが、そうではないとオスカーは声を大にして言いたかった。
王都へ来る人間の目的は様々だ。観光目的や営利目的が多いが、邪な考えを持ち門をくぐろうとする者もいる。
そんな輩を見極め、門で足止めすることが重要なのだが、これがなかなか難しい。身分証の確認をしても、それが精巧な偽装であれば、見破ることができないからだ。
そして、門をくぐった人物が犯罪を犯せば、責任を問われるのは門番なのだ。
「よう、おはようさん」
「おはようございます。今日も食材の仕入れですか?」
「そうそう、やっぱ王都はいいのが揃ってるんだよな〜。その分高いけどな!」
ゲラゲラと笑う男性が、身分証を掲げながら門をくぐっていく。オスカーは軽く手を振ると、次にやって来た人物に目を止めた。
一目見てすぐに、高位貴族であることが分かった。外套を羽織ってはいるが、門番として多くの人物を見てきたオスカーだから分かる。
四十代くらいの明るい茶髪の男性は、気品を漂わせながらゆっくりと橋を渡って来た。
色素の薄い銀の瞳が、オスカーを射抜くように見る。
「……失礼。シェバルツェ城に行きたいのだが」
男性が控えめに声を掛けてきた。貴族にしては珍しいなと思いながら、オスカーは笑顏で対応する。
「はい。こちらへいらっしゃるのは初めてですか?」
「ああ」
「身分を証明できるものはお持ちですか?」
男性はコクリと頷くと、胸元から封筒を取り出す。差出人は第一王子のラザフォードで、ランベール公爵宛となっていた。
オスカーは思わず目の前の男性の顔をじっと見てしまった。頬の傷痕が目に入り、すぐに本人だと分かる。
「ランベール公爵、ようこそお越しくださいました」
「……困ったな。私の傷痕の話はここまで広まっているのか?」
「じろじろと見てしまい申し訳ありません。公爵の武勇伝は王都でもしばらく話題になりまして…」
「武勇伝、か。ただの賊を撃退しただけなんたがな」
ランベール公爵はため息と共に封筒をしまい込んだ。
彼が領地に侵入した手練の盗賊を、完膚なきまでに叩きのめした話はとても有名である。そして、その際に負った名誉の傷痕のことも。
「このまま大通りを進んで行けば、シェバルツェ城へ辿り着きます。城の門番へ伝令を出しておきますので、お手数ですがこちらの書類を門番へ見せてください。すぐに入城できます」
「……王都の門番は、だいぶ親切なんだな?」
不思議そうにランベール公爵に言われ、オスカーは苦笑する。
「お恥ずかしい話ですが、門番の体制が整い始めたのはつい最近です。それまでは横柄な門番もいましたし、対応で不快な思いをさせてしまった者もいます」
オスカーは話しながら、一人の不思議な少女の姿を思い出していた。なかなか珍しい黒髪でありながら、城で働く少女。
使用人として働いていたかと思えば、いつの間にか第一王女オレリアの侍女となっていた。さらには、この門で第一王子ラザフォードに待ち伏せされていたこともある。
顔を合わせると世間話をする仲ではあるが、オスカーは自ら名乗ったことはない。ネームプレートの確認で、一方的に名前を知っているだけだ。
そういえばここ数日姿を見ていないな―――と思っているうちに、ランベール公爵は門の奥へと視線を移していた。
「……少しは、期待していいものかな」
「え?」
「いや。もう門をくぐっても大丈夫か?」
「あ、はい。勿論です」
ランベール公爵はオスカーに向かって僅かに微笑み、颯爽と王都の中へと歩いて行った。
爵位が高いことを鼻にかけず、貴族の気品もあり、容姿も良い。さらに剣の腕も立つというから、神さまは不公平だなとオスカーは遠い目をして公爵を見送る。
すると、王都から顔なじみの騎士が門へ向かってやって来るのが見えた。何かあったのだろうかとオスカーは眉を寄せる。
「オスカーさん、おはようございます」
「おはよう。朝からどうした?城で何かあったのか?」
「そうですね。正午に国民へ公表する予定の内容が、混乱を起こす可能性があるので事前通達に来ました」
一枚の書類を手渡され、オスカーは素早く内容に目を通した。
先日行われた第二王子レオナールの生誕祝いのパーティーの終了後、婚約者候補が襲われる事件が発生したらしい。
その犯行を企てた人物と、実行に関わった人物の名前が羅列され、さらに処罰の内容が記載されている。
「……女ってのは恐ろしいな」
「オスカーさん、人を狂わせるのは“恋”という面倒な感情ですよ」
「お前……まだ若いのに達観してるな」
「稀に相乗効果で良い方向に狂う人たちもいるみたいですけどね。あ、最後までちゃんと読んでください」
良い方向に狂う?と首を傾げながらも、オスカーは次の文面を読んでいく。
襲われた婚約者候補は自ら反撃し、護衛騎士と共に無傷だったらしい。そのあとに婚約者候補と護衛騎士の名前が記載されていた。
「護衛騎士……お前だったのか?シルヴァン」
「はい。バッチリ当事者です」
オスカーの知っているシルヴァンは、婚約者候補の護衛など、責任が強く伴う仕事をする人間ではなかった。
よほどレオナールの婚約者候補が魅力的だったのだろうかと、何気なく名前を見て―――目を見張った。
「…………“エマ・ウェラー”??」
世間話をする仲の不思議な少女の名前が、そこに記載されていた。
***
「……ランベール公爵領に、ですか?」
レオナールはラザフォードの執務室に呼び出されていた。きっちりと書類が揃えられた棚に囲まれながら、ラザフォードが頷く。
「そうだ。先日ランベール公爵と面会があってね。もともと手紙でやり取りをしていたんだけど、領地の状況が悪化しているらしい」
「その状況を、俺が確認に向かうのですか?」
「ああ、公爵がお前を指名してきた」
ランベール公爵領の書類が纏められたファイルを渡され、レオナールは眉をひそめながら受け取った。
公爵の存在は有名なので知っているが、レオナールは数回挨拶を交わしたことしかない。指名された意図は何なのだろうか。
「レオナール、これはチャンスだと捉えろ。エマを連れて行くといい」
「…………エマを?」
ラザフォードに妖艶な笑みを向けられ、レオナールは瞬きを繰り返す。
「襲われた婚約者候補として、エマの名前はこの数日で知れ渡っている。国民や城で働く者たち…そして他の婚約者候補たちの興味関心は、間違いなくエマへ向けられている」
「つまり……エマの実力をランベール公爵領で示すべきだと言うことですか?」
「そうだ。ランベール公爵に恩を売っておいて損はない。分かっているだろう?実績を残さなければ、エマはお前の婚約者にはなれない」
ラザフォードの言う通りだ。平民のエマがレオナールの婚約者になるには、実績はもちろん、最終的には王族全員…つまり、国王と王妃の許可も必要になる。
レオナールは様子を伺うようにラザフォードを見た。
「……どうして、俺とエマのために協力してくれるのですか?」
エマが城で働くようになるまで、レオナールはまともにラザフォードと会話をしていなかった。どうしても必要なときは、側近たちを介してやり取りしていたほどだ。
この綺麗に整頓された執務室に入るのも、何年ぶりだろうかと考える。
ラザフォードは可笑しそうに笑った。
「聞くまでもないだろう?前世で僕が幸せにできなかったエマの幸せを願っているだけだ。それと、大切な弟の幸せもね」
「……兄さん…」
今まで勝手に見捨てられたと思っていたレオナールは、どうしても複雑な表情になってしまう。
それでも、ラザフォードが歩み寄ってくれているのだから、自分だけ逃げるわけにはいかないと思った。
「分かりました。俺が公爵領へ行っている間、アンリとウェスを使ってください。ルーベンは連れて行きます」
「よし、虐めてやろう」
くすくすとラザフォードが楽しそうに笑う。
久しぶりに見たその自然な笑顔に、レオナールも思わず笑い返していた。




