53.謎の婚約者候補の行方③
エマが部屋から出て行った瞬間、レオナールはオレリアに体を揺さぶられていた。
「レオナールお兄さまのバカ!どうしてそんな選択肢が出てくるのですか!?」
「え……俺は、エマの逃げ道も用意しておこうと……」
「逃げ道なんてっ……もう、本当にバカです!」
バカ!と三度目の暴言を吐きながら、オレリアが泣きそうな顔でレオナールを揺さぶり続ける。
レオナールは助けを求めて側近たちを見たが、誰も間に入ってはくれなかった。
ルーベンだけは険しい顔で止めに入るか葛藤しているようだったが、ウェスはいつもと変わらず笑顔で知らん顔をしているし、アンリに至っては軽蔑したような眼差しを向けてきている。
ぐらぐらと揺れる脳を止めてくれたのはラザフォードだった。
「オレリア、罵りたくなる気持ちは分かるけどその辺にしておくんだ。レオナール……お前の出した答えはそれなのか?」
「……何です、二人して…!俺はちゃんとエマのことを考えました!」
「考えて二つ目の選択肢が出てきたのか?どう考えても要らないだろう」
嘲るようにそう言われ、レオナールはぐっと眉を寄せる。
「一つ目の選択肢だけでは、エマの道を制限することになります。俺の側近を目指してくれているのに、婚約者候補という不確定な立場で縛ることになるんですよ?」
味方になる道として、側近を目指してくれているエマ。そんなエマの心を知っているからこそ、レオナールは選択肢を考えて与えたのだ。
それなのに、何故か兄妹からは罵られ、側近たちからはフォローもされない。シルヴァンは何とも言えない顔でレオナールを見ているが、それがまた精神的にくるものがある。
ラザフォードがとても大きなため息を吐いた。
「根本的に勘違いが起きているな。とても面倒くさい」
「その通りです、ラザフォードお兄さま。どうしましょう?」
「レオナール、今すぐエマを追いかけるんだ。人が来なさそうな場所でちゃんと二人で話すこと」
乱暴に背中を押され、レオナールはよろめきながら席を立つ。アンリを見れば「早く行け」とばかりに手で追い払う仕草をされた。
扉を開こうとしたとき、背後からラザフォードの声が届く。
「―――いいかレオナール、想像するんだ。お前が他の誰かを婚約者に選んだ場合、エマはお前の側近を目指すと同時に、いずれお前の知らない男と結婚するということだ」
忠告のような言葉を受けながら、レオナールは部屋の外へ出た。
視線を動かしながら、エマの行方を想像して足を進める。
(……傷付いたような、顔をしてた。嫌なことがあったとき、エマリスさまは人気のない場所でうずくまる―――…)
膝を抱えて震えるその体を、何度抱きしめてあげたいと思っただろう。それなのに、隣に座ることしかできない自分の立場を、何度歯痒く思っただろう。
レオナールは歩き続けながら、前世の後悔と今世の想いを頭の中で結びつけていく。
今世では、抱きしめても不敬だと問われることはない。エマは味方になってくれると言い、側近を目指してくれている。
そばにエマがいてくれる―――その未来を、レオナールは不満だと思ったことはなかった。
(前世のときのように、そばで笑い合って…時には助け合って。俺は、そんな未来を思い描いていたはずだ)
アンリ、ルーベン、ウェス…三人の側近にエマが加わる。それが理想であり、エマが望んでくれている形だと思っていた。
けれど、その未来でどうしても思い描けない人物がいた。レオナールの婚約者となり、未来の妻となる人物だ。
そして、エマの未来の夫となる人物の姿もまた、思い描けない。思い描けないというより、考えることを頭が拒否するのだ。
(前世の前世で、エマは兄と夫婦だった。初めて知ったときは、羨ましいとさえ思った。隣に立ち、寄り添い合って過ごせたのかと―――…)
廊下の角から、少しだけ服がはみ出ている。そこへ導かれるように向かいながら、レオナールは“隣に立つ”という言葉に引っ掛かりを覚えていた。
思い出すのは、エマとラザフォードの前世での関係を知った、あの日の言葉だ。
―――『私は、必ず……あなたの隣に立ちます。レオナール殿下』
廊下の角を曲がれば、膝を抱えて俯くエマの姿があった。
「―――エマ」
名前を呼べば、華奢な肩がピクリと反応を示す。けれど顔を上げてはくれなかった。
レオナールは静かにエマの隣に座る。肩が触れそうで触れないこの距離が、前世の光景を思い起こした。
(……隣に、立つ。その言葉の意味を、俺は―――…)
何も言葉を発しないエマを見ながら、レオナールはただ“抱きしめたい”という衝動に駆られていた。
前世で手の届くはずのない存在だった、王女エマリス。髪色で差別を受けていた“レオ”に、居場所を与えてくれた。
ただひたすら敬愛し、“エマリス”の全てを護ろうと誓っていた“レオ”。いつしかそれ以上の感情が芽生えては、叶うはずがないとすぐにその芽を摘み取った。
―――けれどその想いは、ずっと胸の奥にしまわれたまま大切に残っていた。
もう手を伸ばしていいのだと、望んでもいいのだと、レオナールはようやく気付く。
隣に立ち、全てを護る。その願いを叶えることが、今世で王子として生まれたレオナールにはできるのだ。
「エマ……顔を上げてほしい」
「……無理です」
「君の…あなたの目を見て、伝えたいんだ」
レオナールの訴えに、エマはしばらくの沈黙のあとゆっくりと顔を上げた。涙で濡れた頬を手で拭い、誤魔化すように目元を擦っている。
その手をそっと掴めば、エマの揺れる瞳がレオナールへと向いた。
「レオナール殿下…?」
「……俺は、エマに隣にいてほしい」
エマが動きを止め、言葉の真意を探るように眉を寄せる。レオナールはエマの手を優しく握った。
「側近としてじゃない。俺の隣で、笑っていてほしい。俺の隣にいるあなたを―――護らせてほしいんだ」
手のひらから、想いが伝わればいい。そう思いながら、レオナールは微笑んだ。
今はまだ、この先の言葉を告げることはできない。それでもどうか、伝わってほしいと強く願った。
エマは瞳を潤ませながら、頬を染めていく。艶のある唇を震わせ、小さな声で呟いた。
「それは……どういう意味ですか?」
「さっき提案した二つの選択肢の、一つ目の意味だ」
「……私を、本当の婚約者候補に…?」
疑うような眼差しを向けられるのは、自業自得だとレオナールは分かっている。だからこそ、信じてもらえるように力強く頷いた。
「あなたが俺の婚約者になるのは、側近になる以上に厳しい道だと思う。それでも……俺を信じて、隣に立つことを目指してほしい」
「…………」
エマは無言のまま、スッと視線を落とした。その反応に嫌な汗が伝う。
再び口を開こうとしたレオナールを、エマがちらりと見た。
「……もう他の誰かを、婚約者に選ぶだなんて言わない?」
拗ねたような表情と敬語の消えた言葉に、レオナールの心臓は鷲掴みにされていた。いざ閉じ込めていた想いの蓋を開けてしまえば、エマがいつもより輝きを放って見える。
一度素早く周囲を確認してから、レオナールは座ったままエマの体を抱きしめた。
「ちょっ……!」
「言わない。二度と言わない」
だからどうか、伸ばした手を掴んでほしい―――その口にはしなかった想いに、エマは応えてくれていた。
初めてエマが、抱きしめ返してくれたのだ。
控えめに、そっと力が込められた手がレオナールの背に触れる。その瞬間、想いが一気に溢れ出していた。
「……レオナール殿下」
「…………はい」
思わず敬語で返事をしたレオナールに、エマがくすりと笑う。
「私は、あなたの隣に立ちたいです」
優しい声が、レオナールの耳に届いた。その声が、前世で何度も聞いていた敬愛する主の声と重なる。
―――『レオ、あなたを私の護衛騎士に任命するわ。……お願い、私の手を取って』
―――『はい。エマリスさま』
自身を救ってくれた、尊い存在。差し伸べてくれた手を取り、“レオ”は変わることができた。
(そうだ。俺は最初から―――恋に落ちていたんだ)
前世で見て見ぬふりをしていた想いを、レオナールは今世で受け止めた。
再び出逢えた大切な存在であるエマを抱きしめながら、視界が滲んでいく。
「俺も―――あなたの隣に、立ちたい」
ようやく口にできた本音の言葉に、レオナールは自然と笑顔が零れていた。




