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52.謎の婚約者候補の行方②


 シルヴァンの言葉に、部屋の空気が変わったことは確かだった。


 側近の申し出を断られたラザフォードは面白くなさそうに眉を寄せ、オレリアは驚いたように目を丸くしている。

 アンリはその場で卒倒してしまいそうに顔を青くしており、ルーベンは険しい表情でシルヴァンを見ていた。


 そしてエマは、シルヴァンの視線に射抜かれたように固まってしまう。



(……待って…この感じ、覚えがある。前世で護衛騎士に任命したとき、レオが私に向けていた、敬愛の眼差しのような―――…)



 そこでエマは首を横に振った。シルヴァンがどうして、今のエマに敬愛の眼差しを送る必要があるのだろうかと。


 とりあえずこの場の空気をどうにかしなければと、エマは無理やり口を開いた。



「そ、それならシルヴァンさまには、全てをお話することはできません。ラザフォード殿下の側近は嫌なんですよね?」


「……エマ?」


「あっ、すみません失言でした」



 ラザフォードに笑顔で名前を呼ばれ、エマは慌てて謝った。オレリアが必死で笑いを堪えている。



「とにかく、シルヴァンさまには私がレオナール殿下の婚約者候補に変装していたことは、黙っていただく必要があります。昨夜の事件が公になれば、シルヴァンさまに事情を聞こうとする人が殺到すると思いますが…」


「……あなたが変装していた婚約者候補“エマリスさま”に関しては、どう対処するおつもりですか?」



 シルヴァンにそう問われ、エマはぐっと言葉を詰まらせた。結局のところ、最大の問題はそこなのだ。

 架空の存在を演じている中で事件が起き、一夜限りの存在でいられなくなってしまった。



「……いっそのこと、襲われて重症を負ったことにするのはどうでしょう?」


「それはダメです。それだとベックリー公爵とその娘、及び関わった人物たちの処罰と釣り合いがとれません」



 エマの提案を素早く否定したのはアンリだった。

 確かにその通りだ。犯した罪に対する処罰が軽ければ、国民から不審がられてしまう。



「―――では逆に、真実にしてしまうのはいかがですか?」



 うーんと唸っていたエマは、聞こえた言葉に動きを止めた。

 シルヴァンがなんてことのないように言っているが、真実にするということは、エマがレオナールの正式な婚約者候補になるということだ。



「そ……れは、難しいのでは…」



 乾いた唇を動かし、エマは何とかそう言った。いずれそうなりたいとは思っているが、それが今だと思うほど自惚れてはいない。

 けれど、ラザフォードが「それも一つの手だな」とシルヴァンの意見に同意する。



「エマ、昨夜君は設定上の生い立ちや名前を誰かに話したかい?」


「いえ……私は一言も話していません。レオナール殿下も、私に対する探るような質問は全て躱していました」


「それなら…髪色を誤魔化したのはレオナールが君を悪意から守るためだったと言えば、周囲を納得させられるかもしれない」



 顎に手を添え、ラザフォードが考え込むように眉を寄せていた。その隣で顔を輝かせるオレリアの瞳が「とても良い考え!」と言っている。



「ちょ、ちょっと待ってくださ……」



 狼狽えたエマは、静止の言葉を途中で止めた。

 勢いよく扉が開き、険しい顔で部屋に入って来た人物がレオナールだったからだ。その後ろからウェスがひょこりと顔を覗かせる。



「どんより殿下、復活しました〜」



 とても軽い調子でそう言うと、ウェスはアンリの隣にサッと腰掛けた。

 一方レオナールは、エマに向かってズンズンと近付いてくる。やけに気迫に満ちており、思わずごくりと喉を鳴らした。



「―――エマ」


「は、はい」


「昨夜は本当にごめん。俺の考えが浅はかだった」



 レオナールが躊躇いもなく頭を下げたため、エマは慌てて立ち上がった。

 シルヴァンの中のエマという人物の謎が、どんどん深まってしまう気がしたからだ。



「謝らないでください……!お話を受けたのは私ですので!」


「レオナール、とりあえず席に着け。これ以上エマを困らせたらダメだ」



 ラザフォードが呆れたようにそう言うと、レオナールは顔を上げた。

 真剣な碧い瞳に見つめられ、エマの体温が上昇する。何度も抱きしめられたことを思い出し、体が強張った。

 けれどレオナールはすぐに背を向け、ラザフォードの言う通りに静かに座る。



「アンリ」


「はい」



 名前を呼ばれたアンリが、素早くレオナールの隣に移動する。皆で何を話していたのかを簡潔に伝えており、エマはその姿を感心しながら見ていた。



(アンリさまはさすが……だけど、レオナール殿下がいつもと違う。こんなこと言ったら失礼だけど、ちゃんと王子に見える)



 これまでのレオナールは、エマの前では常に緩んだ表情をしていた。それが今は、真剣な表情を崩さないでいる。

 昨夜のパーティーでのよそ行きの顔とは、また違う顔だ。


 貴重なレオナールの姿を目に焼き付けようと、エマはじっと視線を送っていた。

 アンリが話し終えると、レオナールは深く息を吸う。



「……まず、俺のせいで事が大きくなってしまったことを、この場で謝らせてほしい。この場の誰も悪くない。悪いのは俺だけだ」


「………っ」



 そんなことない、と声を上げようとしたエマを、レオナールが片手で制した。悲しげに微笑みながら、視線をシルヴァンに移す。



「シルヴァン、君には謝罪と感謝を。巻き込んでごめん……そして、エマを護ってくれてありがとう」


「……いえ。責務を果たしただけです」


「俺は、君が才能を隠したがっていることを知っていた。それでも声を掛けたのは、君をエマの味方につけたかったからだ」



 僅かに眉を寄せたシルヴァンに向かって、レオナールが悪戯に笑う。



「君なら、エマの変装に気付くんじゃないかと思った。そうすれば口止めを口実に、君を味方につけられるからな」


「…………」


「……レオナール。お前のその笑みは悪役の笑みに見えるけど」



 言葉を失っているシルヴァンの代わりに、ラザフォードがそう言った。エマはレオナールがシルヴァンを護衛に選んだ意図を知り、感謝の気持ちが込み上げる。

 レオナールは城内でエマを表立って護ることはできない。その代わりとして選んでくれたのがシルヴァンなのだ。


 けれど、シルヴァンにとっては迷惑な話だろう。申し訳なく思い視線を向ければ、紫の瞳がエマを見ていた。



「殿下の作戦に、俺は見事にハマったわけですが……感謝していますよ」


「そうか。良かった」



 シルヴァンが何に感謝をしているのかエマには分からなかったが、レオナールはそれを聞いて嬉しそうにしている。

 エマの味方になったところで、シルヴァンに得があるわけでもない。疑問を確かめる前に、レオナールがエマの名前を呼んだ。



「エマ。昨夜の事件を公にする以上、俺には二つの選択肢しかない」


「二つ……」


「一つは既に意見が出ていたらしいが、本来の君を婚約者候補として発表することだ」



 レオナールから“婚約者候補”の単語が出たことで、エマの心臓がドクンと脈打った。オレリアが口元を押さえ目を輝かせながら、エマとレオナールを交互に見ている。



(私は……婚約者候補になれたらすごく嬉しい。レオナール殿下の隣に立つという夢に一番近付くことができる。でも、それを殿下が望んでいるのかは分からない…)



 前世で“レオ”から感じていたのは、尊敬や親愛の情だ。自分が恋愛対象になっているとは思えなかった。

 ならば、今世ではどう思われているのかと考える。レオナールの中でエマという存在は、一体どの位置にいるのだろかと。


 ほんの少しの期待を抱きながら、エマはレオナールを見つめて口を開いた。



「もう一つの選択肢とは……なんでしょうか」


「ああ、もう一つの選択肢は逆に、謎の婚約者候補から意識を逸らす案だ」


「意識を逸らす…?」



 首を傾げたエマに、レオナールが頷く。



「他の婚約者候補の中から、正式な婚約者を決める。―――そうすれば、周囲の意識はようやく決まった俺の婚約者に持っていかれるだろう」



 それは、とても残酷な提案だった。

 レオナールの隣に立つための道が、ガラガラと崩れていく音が聞こえ、エマは何も言葉を出せなかった。



「これは俺の選択肢であると同時に、君の選択肢でもあるんだ、エマ。今すぐこの場で選べとは言わないが、今日中には……」


「……分かりました。失礼します」


「え?」



 エマは困惑するレオナールをよそに席を立つ。そのままふらふらと扉に手を掛け、振り返らずに部屋の外へ出た。

 人気のない廊下の隅でしゃがみ込むと、悲しさと悔しさが入り混じった涙が滲む。



(あなたの隣に立ちたいという私の想いは…今世でも一方通行なのね)



 瞼を閉じれば、冷たい涙がエマの頬を滑り落ちていった。



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