51.謎の婚約者候補の行方①
パーティーの翌日、客室で一晩過ごしたエマを迎えに来たのはルーベンだった。
気難しい顔のまま連れて行かれた先は、すぐ近くの応接室のような部屋だ。
部屋にはまだ誰もおらず、エマは欠伸を噛み殺す。昨夜はいろいろと考えすぎてしまい、あまり眠れなかった。
ルーベンに促されソファに座ると、じっと見られていることに気が付いた。
「……どうされました?」
「……いや…、その…君は、昨夜の出来事をどう思っているんだ?」
気まずそうにそう訊かれ、エマは瞬きを繰り返す。昨夜の出来事の詳細はこれから聞かされるはずなので、あまり答えられることはないのだ。
「どう、と言いますと……そうですね、レオナール殿下に選ばれていたのが、か弱い婚約者候補の方だったらより大事になっていたなと思います」
エマの答えは、ルーベンの望むものではなかったようだ。深く刻まれた眉間のシワが、「違う、そうじゃない」と訴えてくる。
見えない何かと葛藤するように、口を開いたり閉じたりしていた。
「……その、つまり…君に婚約者候補役をお願いした殿下のことを、恨んだりは…」
「恨む?しませんよ、そんなこと!」
ルーベンにとても嫌な女と認定をされてしまっているのかと、エマは慌てて否定した。
すると、ルーベンがどこか安心したように息を吐く。どうしてそんな風に思ったのかエマが訊ねる前に、扉が開いた。
最初に入って来たのはラザフォードだ。そのあとにオレリアが現れ、ルーベンに気付くと頬を赤く染める。
そして顔をしかめているアンリと、緊張した面持ちのシルヴァンが続いた。
扉が閉まり、それぞれが席に着く。レオナールの姿はなく、エマは一気に不安になった。
「……皆さん、おはようございます。あの、レオナール殿下は……?」
「おはようエマ。レオナールは来ないよ。僕が意地悪を言い過ぎたみたいでね」
ラザフォードが肩を竦めてそう言ったが、エマはわけが分からなかった。
(レオナール殿下が、欠席…?ラザフォード殿下はどんな酷い意地悪をしたの?)
思わずアンリに視線を向ければ、貼り付けたような笑顔を浮かべていた。とても疲れ切ってきいるのが見て分かる。
「どんより殿下は面倒くさいので、この場には同席しません」
「どんより……?」
「俺が全て把握しているので問題ないでしょう。では、早速報告に移ります」
眉をひそめるエマを置き去りにしたまま、アンリが昨夜の出来事の詳細を話し始めた。
ベックリー公爵の名前が出たとき、パーティーで挨拶に来てエマを睨んでいた令嬢の姿を思い出す。やはり犯人はレオナールの婚約者候補だったのだ。
処罰は既にレオナールが与え、捕らえた男たちもそれぞれ罰が与えられるらしい。
被害らしい被害が出ずに済んだのは幸いだったが、エマが襲われたことを内密に処理するわけにはいかないようだ。
「……今後、似たような事件が起きないとは限りません。レオナール殿下の婚約者候補が襲われた事実と、計画・実行をした人物たちをどう処罰したのかということを、犯罪の抑制のためにも公表する必要があります」
アンリはそう言うと、意見を求めるようにそれぞれの顔を見た。
頬杖をついているラザフォードが、手元に配られた書類を捲りながら口を開く。
「当然の判断だね。僕たち王族が、罪を犯した人間に対してどう行動するのか……それを国民に知らしめる必要がある。同時に、城内でそんな騒ぎが起きてしまったことを咎める声も出るだろうけどね」
「……私の侍女の問題のときもそうだけれど、貴族の品格が下がっているように思えるわ。警備を強化しただけでは、防ぎきれないと思うの…でしょう?お兄さま」
「その通りだよオレリア。能力のない者が高い地位だけを持て余せば、いずれ国は荒んでいくだろう」
ラザフォードの言葉に、隣に座るオレリアが悲しそうに眉を下げた。エマも前世を思い出し、唇を噛む。
王女エマリスの家族は、王族という地位を振りかざして豪遊する人たちだった。そのせいで謀反が起き、城内が惨状となってしまったのだ。
(そうならないためにも、ラザフォード殿下は王都へ平民を呼び込もうとしているし、レオナール殿下は髪色の差別を無くそうとしてくれている。……貴族と平民の垣根が低くなれば、優秀な平民を雇いやすくなる…でも……)
いくら王子の二人が理想のために行動していても、その理想を現実に変えることは時間も労力もかかるだろう。
外側から働きかけながら、内側の変化……つまり貴族たちの考え方を変えなければ、理想のままで終わってしまう。
「それで、公表するにしても問題がある。……エマ、分かるかな?」
ラザフォードに話を振られ、エマは思考を切り替えて頷いた。
「はい。襲われた婚約者候補が、この私の変装……つまり、架空の存在であるという点ですね?」
「そうだ。世間に公表すれば、襲われた婚約者候補に興味が向くことは避けられない。それがどこの誰なのかと、探る人間は必ず現れる。―――そして最悪な結果が、その婚約者候補が偽物であったとバレることだ」
鋭い視線が、アンリとルーベンに向けられる。二人の顔に緊張が滲んだ。
ラザフォードが冷ややかな声で言葉を続ける。
「お前たち、どうしてレオナールを止めなかった?王子が婚約者候補として偽物を用意したことが広まったら、王家の評判はどんどん落ちていくだろう」
「……申し訳ありませんでした」
「側近なら、常に最悪を想定して動け。いくら僕を嫌っていても、事前に教えてもらっていればもっと対策を立てられていた。……ここまでエマに負担をかける必要はなかったんだ」
アンリとルーベンは項垂れている。エマはラザフォードの言うことはもっともだと思ったが、全ての責任がレオナールたちにあるわけではない。
「……ラザフォード殿下、私もこうなってしまった原因の一人です」
「エマ、それは違う。君はレオナールのワガママに巻き込まれた人間だ」
「いいえ。レオナール殿下のワガママを、利用しようとした人間です」
エマがそう言えば、その場にいた全ての人物の視線が向けられる。
「私は、昨夜のパーティーを実力を示す場として利用しました。断ることもできたのに、レオナール殿下の提案を喜んで受け入れたのは私です」
「そ…それなら、私にも責任はあるわ…!エマのためになると思って、喜んで背中を押してしまったんだもの!」
オレリアがエマを庇うように声を上げると、ラザフォードは片手で顔を覆って首を振った。
「分かった、僕以外の関わった全員が同罪だ。……けれど、一人だけ違うだろう。完全に巻き込まれたのは君だね、騎士くん」
ずっと黙り込んでいたシルヴァンが、ラザフォードの視線を受けてピクリと反応を示す。
その通りだ、とエマは思った。この場でエマの前世が繋いだ関係を知らないのは、シルヴァンただ一人である。
エマが変装した婚約者候補の護衛に選ばれ、襲撃に遭い、エマの正体を見破ってしまった。その結果、口止めのためにこの場に呼ばれている。
(シルヴァンさまって……実力を隠すタイプよね。そもそも、どうして護衛の役割を引き受けたんだろう)
エマは未だに、オレリアの侍女問題が解決したあとに、シルヴァンから投げかけられた言葉を覚えている。
―――『下手に注目を浴びるより、目立たないようひっそりと生きる方が楽ではないですか?』
それがきっとシルヴァンの生き方なのだと、エマはそう思っていたのだ。
もうひっそりと生きられないであろうシルヴァンに、エマは申し訳ない気持ちになった。自分と関わらなければ、こんなことにはならなかったのにと。
エマと目が合ったシルヴァンは、ゆっくりと口を開く。
「エマさんは……実は他国の王女だったとか、そういうわけではないんですよね?」
「え?あ、はい。村出身のただの平民です」
前世は王女でした、とは言わないでおく。これ以上巻き込むわけにはいかないと思ったからだ。
けれど、やはりそれだと疑問に思われてしまうようだ。
「村出身の平民……なのに、王族の皆さまと関わりがあるんですね。それも、レオナール殿下の偽の婚約者候補に選ばれるほどに」
「それは……」
エマは続ける言葉に迷った。正直に前世を話す以外で、シルヴァンの疑問を解決させる方法が見当たらない。
助けを求めるように周囲を見渡すと、それぞれが険しい顔をしていた。アンリだけは全てを諦めたような顔で遠くを見ている。
ラザフォードが仕方ないなと言うように肩を竦めた。
「……真実を知りたいなら、僕が包み隠さず話そう。その代わり、君はもうただの騎士ではいられないよ。そうだな……実力があるみたいだし、僕の側近はどう?」
ラザフォードが「良い条件だろう?」と妖しく笑う。助け舟を出してくれたのだと、エマには分かった。
側近になるのが嫌なら、これ以上踏み込まずに黙っていろという、ラザフォードの脅しのような救いの言葉だ。
シルヴァンは数秒押し黙り、すぐにフッと口元を緩める。その反応は意外だったが、次の言葉はより想像もしないものだった。
「真実は知りたいですが、ラザフォード殿下の側近になることは、俺には身に余るお話です。それに―――仕えたいと思う方は、すでに別にいます」
シルヴァンの紫の瞳が、何故か真っ直ぐにエマへと向けられていた。




