50.そんなつもりはないはずなのに
レオナールは静かに怒りを燃やし、目の前で頭を垂れる二人の人物を見下ろしていた。
ベックリー公爵と、その娘エミリア。
エミリアはずっとカタカタと震えているが、レオナールは優しい言葉をかけようとも思わなかった。例え彼女が、レオナールの婚約者候補であったとしても。
「……それで、」
レオナールが低い声で話し出すと、エミリアが大きく肩を揺らす。ベックリー公爵はじっと床を見つめていた。
「君がしでかした件について、何か申し開きはあるか?」
レオナールの問いに、沈黙が続く。隣のアンリが書類を捲る音だけがやけに大きく響いた。
その書類には、つい先ほどエマが襲われた件についての詳細が記載されている。
エマの護衛をしていたシルヴァン、城内の警備中にその場に居合わせたウェス、そして捕らえた者たちの発言を、アンリが手早くまとめ上げてくれていた。
正直なところ、事前に練られていた計画の割には穴だらけだった。
捕らえた者たちを別々に聞き取りしたところ、皆がエミリアの指示だと答えた。エミリアが事前に報酬を渡した形跡もあり、捕らえた者の中にはベックリー公爵家で働く騎士もいた。
これで本人が認めれば、すぐにでも処罰を与えることができる。
「……申し開きはあるか、と聞いている」
沈黙を貫く目の前の親子に苛ついたレオナールは、再度そう訊いた。
一段と低くなった声と共に、部屋の温度が下がる。
「……な、何もございません、レオナール殿下…!この度は、私の娘の勝手な行動により、多大なるご迷惑を……」
「迷惑?」
震える声で発したベックリー公爵の言葉に、レオナールは思わず笑ってしまった。
「迷惑だなんて可愛いものじゃない。あなたの愚かな娘は、明確な悪意を持って俺の婚約者候補の一人を襲わせた。これは立派な犯罪だ」
「……っ!ですが、娘は殿下を想うあまり、行き過ぎた行動をとってしまったわけでして……」
「だから何だ?誰かを想う気持ちが強ければ、何をしてもいいと?」
「そ、それは……」
もごもごと口ごもるベックリー公爵を、レオナールは冷めた目で見ていた。愚かな父親が愚かな娘を庇ったところで、何の解決にもならないのだ。
身分だけが立派で中身の伴わない人間を、レオナールは嫌というほど見てきている。
アンリに視線を向ければ、大げさに肩を竦められた。その呆れた目は「ダメだこいつら」と言っているに違いない。
ずっと震えていたエミリアが、ようやく小さな声を漏らした。
「……おかしいじゃないですか……」
「なに?」
「おかしいです…!私が一番……レオナール殿下の婚約者に相応しいのにっ…!」
その根拠のない自信はどこからくるのだろうかと、レオナールは頭を抱えたくなった。エミリアは早くから婚約者候補として名前が挙がっていたが、会話をしたことはほとんどない。
他の婚約者候補たちも同じだった。今夜の会場に多くが参加していたが、その立ち居振る舞いを見ても、エマより優秀だとは思えなかった。
レオナールは前世で“エマリス”の完璧な王女姿を見ていたため、婚約者候補に求める最低基準が王女クラスになってしまっているのだ。
「所作、言葉遣い、知識……どれを取っても、君は彼女に敵うはずがない。それ以前に、同じ舞台にも上がれないけどな」
「……ど、どうしてですか…!?」
「当たり前だろ。自分一人の力で俺の隣に立とうとしない時点で、君はその資格を失ったからだ」
平民で髪色の暗いエマは、逆境に立ち向かって進み続けてくれている。
そんなエマだからこそ、周囲の人間は力になりたいと手を差し伸べる。味方を増やし前だけを見つめながら、一歩ずつレオナールの背中を追いかけてきてくれている。
汚い手を使って他人を蹴落とそうとする人間と、比べること自体がおかしいのだ。
「ベックリー公爵。あなたの娘は公爵家から除籍処分とし、俺の婚約者候補からは外す。どの更生施設に送るかは追って沙汰を出す」
「…………はい、殿下」
「そんなっ……!お父さま、私っ…!」
「諦めろエミリア。……お前は、それだけのことをしたんだ」
エミリアは顔を歪め、その場で泣き崩れた。ベックリー公爵はぐっと唇を噛み、跪いたままの姿勢を保っている。
もしエミリアを庇おうものなら、公爵も切り捨てようとレオナールは思っていたが、チャンスを与えることにした。
「……娘の行動の責任は、親にもある。だが……三か月の猶予をやろう。公爵位は本日付けで剥奪するが、それでも国のためになる実績を残せたならば、新たに子爵位を与えることにする」
「……!はい…!ご厚情感謝致します……!」
レオナールの言葉にベックリー公爵は深々と頭を下げ、アンリは険しい顔を浮かべていた。
退室を促すと、公爵は泣きじゃくるエミリアを引きずるようにして去って行った。
扉が閉まるなり、アンリの鋭い小言が飛ぶ。
「全く、殿下!少し甘すぎるんじゃありませんか?一度爵位剥奪のあとにまた与えるって、手続きも面倒なんですがね!」
「仕方ないだろ。最初から降爵だと、まだ爵位が残っていることで気が緩む。一度剥奪してどん底に落としてから希望を見せた方が、躍起になるだろ?」
「……結果を残せなければどうするんです?」
「そのときは、それまでだ。爵位剥奪のまま、彼の人生は転落する」
アンリは「なるほど、甘すぎではありませんでしたね」と言いながらため息をついた。
執務机に手をついたレオナールは、もう片手で顔を覆って瞼を閉じる。エマは大丈夫だろうかと、そう思ったところで扉が叩かれた。
顔を上げたレオナールは、扉付近に立つルーベンに視線を向けた。頷いたルーベンが扉を開けると、そこにいたのはラザフォードだった。
「兄さん、エマは……」
「レオナール。お前はどういうつもりだ?」
無表情で近付いて来たラザフォードの問い掛けに、レオナールは眉をひそめる。
「どう、とは?」
「どういうつもりで、彼女に婚約者候補のフリを頼んだ?前世で王女だった記憶があるエマを頼れば、お前が選ぶ気のない婚約者候補たちを黙らせられると思ったのか?」
その静かな圧に、否定することができないレオナールは口を閉ざした。ラザフォードが畳み掛けるように口を開く。
「お前はエマを利用しているだけだ。自分を追いかけてくれる都合の良い存在として、捨て駒のように扱っているんだ」
「……っ違う!」
レオナールは声を荒げた。エマを捨て駒だなどと思ってもいないし、利用しているつもりもなかった。
(でも兄には……周囲には、そう思われている…?)
その事実に、レオナールは愕然とした。それと同時に、エマにはどう思われているのだろうと不安になる。
側近を目指してくれているエマに、婚約者候補の役を演じてもらったことは、結果的に彼女の道の妨げになってしまったのではないか―――そう考えた瞬間、レオナールは自分の身勝手さに気が付いた。
「俺、は……」
続きの言葉が出ず、気遣わしげなアンリの視線が向けられた。ラザフォードとの間に割って入ろうか考えている顔だった。
ラザフォードがレオナールの胸元を突き放すようにトンと叩く。
「お前にとってのエマの立ち位置を、もっとちゃんと考えてから行動するんだな。……そんな態度だと、僕が彼女を奪ってしまいたくなる」
「…………」
「また明日、改めて場を設けてくれ。護衛をしていた騎士にエマの変装がバレたらしいから、口止めをする必要がある」
「……分かりました」
ため息をついたラザフォードが、アンリとルーベンに「お疲れ」と短く言って部屋を出て行く。
側近二人の視線が刺さり、レオナールは苦々しい顔をした。
「……俺がしたことは過ちだったか?」
「……いえ、殿下。それが過ちだったかどうかは、彼女の言葉を聞かないと分かりません」
ルーベンが励ましの言葉をくれる。エマが今回のことをどう思っているかは、確かに本人に聞かないと分からない。
それでもレオナールは、ラザフォードの言葉で頭を殴られたような気分になっていた。
「ルーベン、困った。どんより殿下だ」
「……そうだな、どんより殿下だ…」
アンリとルーベンがひそひそと話している間、レオナールはじっと何もない床を見つめていた。




