45.役立つために
ものすごく疲れ切った顔をしたアンリが訪ねて来たのは、オレリアの部屋で勉強会をしていたときだった。
オレリア、リリアーヌ、ルシアが横一列に並び、エマはその前で講師役をしていた。すぐに動けるエマが扉を開けると、よろけながらアンリが部屋に入ってくる。
「皆さん……お揃いで…」
「アンリさま?大丈夫ですか?」
「ははは」
乾いた笑いが虚しく響く。アンリはオレリアの元まで歩くと、一枚の手紙のような便箋を手渡した。
それを受け取ったオレリアは、首を傾げながら目を通している。
「私に?誰から……」
途中で言葉を止めたオレリアが、大きな瞳をアンリに向け、それからエマへと向けた。
ん?とエマが思っていると、オレリアがふわりと微笑む。慈悲深い女神のような笑みだ。
「アンリ……勿論よ。勿論協力すると、お兄さまに伝えてちょうだい」
「……いっそのこと断ってくれた方が嬉しいんですけどね」
「断るわけないでしょう?エマ、こっちへ来て」
エマはオレリアの元へ向かいながら、リリアーヌとルシアに視線を投げる。二人とも「何事?」と言いたげに首を傾げていた。
オレリアが手紙をエマの目の前に広げ、そこに書かれた綺麗な字を目で追っていく。読み進めるにつれ、エマは口元が引きつっていった。
オレリアに手紙を書いたのは、レオナールだった。
そしてその内容は―――謎の婚約者候補として、エマを借りたいということだった。
「ちょ…ちょっと待ってください。謎の?婚約者候補??」
「エマさん、あなたにはこちらを」
アンリが全てを諦めたような顔で別の手紙を差し出してくる。そこに短く書かれた文字も、レオナールのものだった。
―――『エマ。俺の側近になる前に、婚約者候補役をしてくれないか?』
混乱したままアンリへ視線を向けると、ため息とともに説明された。
次のレオナールの生誕祝いのパーティーで、同伴させる婚約者候補を選ぶことが嫌なので、代わりにその場限りの婚約者候補を……エマを、同伴させることに決めたと。
エマは思い切り頭を振った。
「む、無理です。ありがたいお話ですが、ただの侍女で、平民で…しかも髪色の暗い私が隣に並べば、レオナール殿下が白い目で見られてしまいます」
エマはいずれレオナールの婚約者になりたいと思ってはいるが、それは今ではない。まずは実績を積み、“平民”や“黒髪”で判断されなくなってからが勝負だと思っていた。
レオナールが相手役として選んでくれたことは嬉しいが、それよりも周囲の目が気になってしまう。
「そんなことは分かっています。ですから、あなたを“謎の婚約者候補”にするんです」
「それは、どういう……」
「現在、特注のウィッグを作っています。あなたの髪色はそれで誤魔化し、前世の知識をフル稼働で貴族になりきってください。当日は喉を痛めているという理由で一切話さなくて結構です」
「…………」
それは最早、決定事項のように思えた。レオナールが提案した時点で、アンリは動き始めていたのだろう。
ならば、ここで断るのはアンリに余計な負担をかけてしまうと、エマはぎゅっと唇を結んだ。この前セインとミリアに会えたのは、他ならぬアンリのおかげなのだ。
「……分かりました。私にできることを、精一杯やらせていただきます」
エマの答えに、アンリは困ったような安心したような複雑な表情をしていた。
肩を竦めてからリリアーヌとルシアに視線を向ける。
「今回のことは、他言無用です。当日は侍女のあなた方も参加していただきますので、全力でエマさんの正体がバレないようサポートをお願いします」
「「はい」」
リリアーヌとルシアが真剣な表情で頷き、アンリはオレリアに頭を下げた。
「では、オレリア殿下。当日と、それまでの打ち合わせで何日かあなたさまの侍女をお借りします」
「ええ、よろしくね」
オレリアが楽しそうに笑うと、アンリは最後にエマに向かって口を開いた。
「では、レオナール殿下のために……よろしくお願いします」
「はい、分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
また連絡します、と言ってアンリが部屋を出て行った。扉が閉まった瞬間、オレリアがエマの手を取って喜ぶ。
「やったわねエマ!お兄さまの婚約者候補になれるわ!」
「あ、あくまで役ですので…」
「役でも何でも、エマの実力を示すチャンスじゃない!これで周囲に存在を知らしめれば、いずれ有利に動くことができると思うわ!」
目を輝かせるオレリアの言葉に、エマは瞬きを繰り返す。確かにその通りだと思った。
失敗すればレオナールの顔に泥を塗ることになるが、成功すればエマの存在が知れ渡るかもしれない。……“謎の婚約者候補”として、ではあるが。
「エマ、頑張って!私応援してるから!」
「私もよ。平民が王子殿下の婚約者候補だなんて、夢があるじゃない?」
「ルシア…リリアーヌ……」
友人と呼べる二人の存在が、エマの心の闘志を燃やす。前世で身につけたものを、レオナールのために発揮できるチャンスだ。
「やるわ、私…!完璧な婚約者候補を演じきってみせる……!」
三人分の拍手を受けながら、エマはぐっと拳を握った。
***
それから、エマはオレリアたちに講義を繰り返しながら、自分の知識や所作を見直す日々が続いた。
アンリとルーベンが交互に現れ、当日の段取りを確認していく。ルーベンが来るたびに、オレリアはそわそわと前髪を撫でつけていた。
パーティーが近付いてきたある日、エマは訓練場に続く廊下でその姿を見かけた。
周囲を見回し、人の目がないことを確認してから素早く駆け寄る。
「……ウェスさま!」
名前を呼べば、ウェスが足を止めて振り返る。
「あー……珍妙ちゃん。おはよ〜」
「おはようございます、エマです」
名乗ったところで、またすぐに忘れられそうだなと思いながら、エマは早速本題に入る。
「ウェスさまが求める価値を、今すぐに証明することはできません。でも、ここから去るつもりはありませんし、価値の証明を諦めるつもりもありません」
「ふ〜ん。それで?」
エマの言葉に、ウェスは笑みを浮かべている。感情の何もない不気味な笑みだった。
ウェスが求める価値というものを、エマはずっと考えていた。それが知識なのか、戦闘技術なのか……色々と考えたところで、行き着く先は同じだった。
ウェスの主であるレオナールの役に、立つか立たないかだ。
「……私のことは嫌いで構いません。それでも、私がレオナール殿下の役にどう立てるか、見ていてほしいです」
真っ直ぐに見つめてそう言えば、ウェスが突然可笑しそうに笑い出す。
「あははっ!やっぱり君って変だよね」
「へ、変ですか?」
「うん。別にオレの言葉なんて気にせずに、殿下に引き抜いてもらえばいいことなのに」
頭の後ろで手を組みながら、ウェスが唇の端を持ち上げる。
「いいよ、見ててあげる。君がどうやって殿下の役に立とうともがくのか」
「……はい。お願いします」
「あ。それと別にオレ、君のこと嫌いじゃないからね?」
目を丸くするエマに笑ってから、ウェスがくるりと背を向けて歩き出す。数歩進んで振り返り、べえっと舌を突き出した。
「ちょっと邪魔だなって思ってるだけ」
「…………」
またスタスタと歩き出したウェスの背中を、エマは口元を引き攣らせながら見送った。
(邪魔、って……嫌いと似たようなものじゃないの?こうなったら、とことん価値を証明してやるんだから…!)
闘志を燃やし続けながら、エマは来たるべき日に備えるために、ウェスとは反対方向へ歩き出した。




