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42.邂逅


 鈍色の空から雨が降り出し、窓に雨粒が当たり始めた。

 エマはその音を聞きながら、ラザフォードから視線を逸らさない。



「……そうか…」



 ポツリと小さな声でそう呟いたラザフォードは、頭を抱えて俯いてしまった。



「予感はしていたけど、こうもバッサリと切り捨てられるとキツイな」


「……申し訳ありません」


「謝らないでくれ。本当のことを黙って僕を利用することもできるのに、それをしないのが君の優しさだと……僕は分かっているから」



 少しだけ顔を上げたラザフォードが、エマを見てフッと笑みを零す。



「それで、君が追い求めているのはレオナールなんだろう?」


「…………え」



 当たっているだろ?と言うような口調で問い掛けられ、エマはポカンと口を開けてしまう。

 咄嗟に誤魔化すことができずにいると、ラザフォードが長い脚を組んだ。



「君の出身であるモルド村。そこに逃げ込んだ悪徳伯爵を追い掛けたレオナール。そして君は何故か王都にやってきて、今はオレリアの侍女だ。……誰を追い掛けているかなんて、僕には嫌でも分かるよ」


「…………」



 ラザフォードは、レオナールの行動を把握している。それがエマとの関係を結びつける鍵となり、真実を導き出してしまった。

 エマは自分の握った両手を見つめながら、心の中でレオナールに謝った。



(ごめんなさい、レオナール殿下。この人に下手な誤魔化しは通用しない。それなら私は誤魔化さずに、あなたへの道を守り抜く)



 ラザフォードへと視線を移したエマは、覚悟を決めて口を開く。



「はい。私はレオナール殿下の味方になる道を目指しています」


「やっぱりね。それで君とレオナールは、僕と同じように前世で繋がっていた……違う?」



 そこまで推測されているのかと、エマは思わず苦笑してしまった。そういえば“ラファド”は頭の回転が早かったなと思い出す。

 花屋の経営面で、随分と助けてもらっていた。その才能が今、第一王子として役立っているのだろう。



「当たりです。前世の前世であなたと出逢い、前世でレオナール殿下と出逢いました」


「それで、前世の君は何をしてたの?レオナールは君の夫だったわけ?」


「いえ……私は王女で、レオナール殿下は護衛騎士でした」



 エマの前世を聞いたラザフォードは、予想外だったのか目を瞬かせていた。



「王女と護衛騎士?……なるほど、君の所作はその時に身に付いたものなのか。それにしても、王女から平民…しかも黒髪に転落って、笑えないね」


「そうですね。でも、私は今世の自分の人生も楽しんでいますよ?」


「それは見ていたら分かるよ。そうじゃないと、王都に来た時点で君の心は折れていただろう。……それほどに、貴族の中で平民の価値は低い」



 やれやれと言うようにラザフォードが頭を振る。けれど、エマは一つの希望を抱いていた。

 前世の記憶があるラザフォードとレオナールが力を合わせれば、髪色の差別を完全に撤廃することができるのではないか―――そんな希望を。



「ラザ……」



 エマがラザフォードの名前を呼ぶのを止めたのは、扉がノックされたからだ。え?と思ったエマの耳に、信じられない声が届く。



「失礼します。……兄さん、こんなところに突然呼び出して一体……」



 扉から入って来たレオナールは、エマの姿を見てピタリと動きを止めた。それはエマも同じだった。

 呼び出し、ということは、ラザフォードがレオナールに事前に声を掛けていたということだ。


 エマが視線を向ければ、ラザフォードはにこりと微笑んだ。



「黙っててごめんね。早めに確認しておきたいことがあって」


「……な、何を…?」


「―――兄さん」



 地を這うような低い声が響き、エマはビクッと肩を震わせた。レオナールは恐ろしく冷たい瞳をラザフォードに向けている。



「これはどういうことですか?オレリアの侍女との密会の瞬間を、俺に目撃させてどういうつもりですか?」


「はは、お前に自慢しようと思ってね。羨ましいだろう?」


「自慢……?まさか、あなたの側近に引き抜くことに成功したとでも?」


「うん、たった今ね」



 ラザフォードが息をするように嘘を吐き、エマは一瞬頭が混乱した。けれどすぐに否定しなければと口を開く。



「ち、ちが……、」



 思わず立ち上がったエマの横を、レオナールが勢いよく通り過ぎて行った。そのままラザフォードの胸ぐらを掴み、ソファから立ち上がらせる。

 ラザフォードはレオナールの手をパシッと払い除けた。



「王子のする行動じゃないぞレオナール、気を付けろ。血気盛んなのはお前の側近たちだけで充分だ」


「……っ、俺は…!」



 レオナールが拳を握った姿が目に入り、エマはハッとする。唐突にミリアの言葉が頭に蘇った。


 ―――『この先にエマを奪い合って、大変なことになったりしない?』


 エマは反射的に駆け出すと、レオナールの背中に思い切り抱きついた。



「待ってください……!」


「!?」


「私はラザフォード殿下の侍女にはならないし……全て、バレてしまっているんです!」



 レオナールの瞳が、エマを映した。一瞬の動揺が見えたが、すぐに目を細めてラザフォードに視線を戻している。

 対してラザフォードは、両手を挙げてエマを見た。



「止めるのが早いよ、エマ。肝心な言葉が聞けなかった」


「え?」


「……レオナール。“俺は…”の続きは?」



 鋭く射抜くような視線だった。ラザフォードの言葉に、レオナールの体が強張っているのがエマに伝わる。



(思わず抱きついて止めちゃったけど…離れた方がいいよね……?)



 エマは気付かれないようにそろりと体を離そうとしたが、レオナールの手がエマの腕を掴んだ。

 ん?と思った瞬間、エマはレオナールに肩を抱かれていた。



「―――俺は、エマが俺のそばに必ず来てくれると、信じてる」



 すぐ近くで言われたその言葉は、エマの心臓を鷲掴みにするほどの破壊力だった。ぞくりと鳥肌が立つと同時に、泣き出してしまいそうになる。


 肩を抱いてくれているレオナールの手の上に、エマはそっと自分の手を添えた。

 隣を見上げれば、すぐそこにレオナールの端正な顔がある。



「私は、必ず……あなたの隣に立ちます。レオナール殿下」



 それは、たった今エマの中で芽生えた明確な目標だった。


 ―――そばではなく、隣に。微妙な言い回しの変化に、レオナールはきっと気付かない。

 けれど、気付かないままでいいとエマは思った。側近の座を目指していると、今はまだそう思ってくれていた方が都合がいいのだ。



 レオナールが嬉しそうに顔を綻ばせる。この笑顔を、今度こそ隣で護りたいと、エマは強く思った。

 二人のやり取りを見ていたラザフォードが、フッと口元を緩ませる。



「……ここまで見せつけられたら、潔く引かないと格好悪いな。僕は君たちの行き着く先をこの目で見届けよう」


「ラザフォード殿下……」


「僕はエルマのことが好きだけど、弟であるレオナールのことも大事なんだ」



 ラザフォードの視線を受けたレオナールが、パチパチと瞬きをしてからこめかみにトンと指を当てた。



「ええと…ちょっと待ってください。俺だけまだ状況がよく……エルマって誰ですか?」


「あ、私の前世の名前です。エマリスの前の」


「え!?さらに前世の記憶が!?」


「はい。その前世で私はエルマとして生まれ、ラザフォード殿下は…」


「―――僕は、エルマの夫だったんだよ」



 エマの言葉を引き継いだラザフォードが、レオナールに向かってとても良い笑顔を向ける。



「おっ……と…………?」


「そう。つまり、僕とエマは前世で夫婦だったということだ」


「ふう……ふ…………?」



 レオナールが壊れた機械のようになっていた。エマは慌ててレオナールの服をくいっと引っ張る。



「レオナール殿下!確かに私とラザフォード殿下は前世で夫婦でしたが、今世では違う道を歩みますので!」


「……エマ…」



 どこか傷付いたような表情を浮かべるレオナールを見て、エマは困ったように眉を下げた。

 いくら今はレオナールのことが好きだとしても、前世でラザフォードと結婚していた事実を変えることはできない。花屋の娘として生まれ、その先を生きたからこそ手に入ったものもたくさんある。


 エマが次の言葉に迷っていると、ラザフォードが扉に向かって歩き出した。



「エマ、この場は今だけ貸すよ。レオナールと話すといい」


「……ラザフォード殿下…」


「その代わり、この先も距離を保ちつつ……僕の夢に協力してくれるかな?」



 扉に手を掛けたラザフォードが振り返り、エマはその瞳をしっかりと見て頷いた。

 ラザフォードは満足気に笑うと、ひらひらと手を振って部屋から出て行く。エマは深呼吸をしてからレオナールと向き合った。



「レオナール殿下。……私に少し、あなたの時間をください」



 レオナールの瞳が揺れる。返事の代わりに、エマの体は優しく抱きしめられていた。



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