41.変わらない答え
その日は、朝から空模様が怪しかった。
雨が降ったら嫌だなと思いながら、エマは雨具を用意して小屋を出る。いつもと同じ道を歩きながら、曇天の空を見上げた。
(あーあ……頭がガンガンする。思えば王都に来てから、常に休んでる暇なんてなかったなぁ……)
使用人になり、変な仮面をつけて騎士と戦った。選抜試験を受けて侍女になり、嫌がらせを乗り越えた。
ようやく一息つけると思ったところで、直面した問題が二つある。
一つは、第一王子ラザフォード。
彼は前世の前世、エマが“エルマ”として花屋を営んでいたときの夫、“ラファド”だった。
ラザフォードはエマを側近にすると言い出したが、現段階ではまだオレリアが阻止してくれている。けれど、そろそろ向き合わなくてはならない。
もう一つは、エマが目指す道のことだ。
レオナールの側近を目指しているエマだったが、この間のオレリアの話を聞いて以来、どうしても考えてしまうのだ。
―――レオナールのそばではなく、隣に立つ自分の姿を。
(身の程知らずよ、エマ……私は平民。私は黒髪。レオナール殿下の隣に、婚約者として立つなんて、そんなこと……)
「……おい、大丈夫か?」
突然聞こえた声に、エマはハッと我に返る。気付けば王都の橋を渡りきって、門の前まで辿り着いていた。
仲良しの(エマが勝手にそう思っている)門番が、思い切り眉を寄せている。
「あー……、はい。いろいろと頭が痛いです」
「天気のせいか?降りそうだもんな」
「ですねぇ…。というか、最近って門番は固定なんですか?」
規則である身分証の確認のためにネームプレートを渡しながら、エマはそう問い掛けた。
エマが王都へ来た当初は、毎日のように門番が変わっていたような気がするのだが、最近はほとんど同じ顔ぶれだ。
「ああ…城の方の門番が、前に何かやらかしたみたいでな。門番の適正検査みたいなのをして、結構な人数がふるい落とされたよ。それで、残った人数で配置していったら大体固定になった…って感じだな」
「城の、門番……」
エマは以前、城で絡まれたガラの悪い門番を思い出す。もしかして、あの一件からアンリあたりが対応してくれたのだろうか。
心の中でアンリを拝みながら、エマはネームプレートを受け取る。
「門番の固定制度って良いですよね。毎日出入りする人の顔を覚えやすいし、何かあったときに対応しやすいし」
「……ん?」
「“いつも同じ人がいてくれる”ってだけで、安心する人もいますしね。……では、行ってきます」
「あ、ああ。行ってらっしゃい」
どこか不思議そうな顔をした門番にペコリと会釈をして歩き出してから、エマの思考はまた、同じ悩みへと戻っていくのだった。
「……ちょっと、その顔はなんなの?」
「え?……おはよ、リリアーヌ」
既に侍女の服へと着替えていたリリアーヌは、エマが更衣室に入ると思い切り眉を寄せてきた。
「全体から辛気臭いオーラが漂ってるんだけど。オレリアさまに会う前にどうにかしてよね」
「それは大丈夫よ。ちゃんと切り替えるから」
「……何悩んでるのよ。前世の話?」
睨むような視線を送ってくるリリアーヌが、実は心配してくれているのだと、エマにはもう分かっている。
くすりと笑い、エマは着替えながら頷いた。
「そうね、前世も関係あるかな」
「……レオナール殿下のことも?」
「そうね」
「……ラザフォード殿下のことも?」
エマがピタリと手を止めてリリアーヌを見ると、呆れたような顔を返される。
「さすがにこれまでの現状からして、何もなかったとは思えないわよ?追いかけ回されてるんでしょ?」
「あ……うん。そうね」
てっきり花屋の前世の話がバレているのかと思ったエマは、内心安堵のため息を吐いた。
それでも、リリアーヌとルシアに迷惑を掛けてしまっていることは事実だ。
と、そこでエマはルシアの姿がまだないことに気付く。
「あれ、ルシアは?もう先に行ったの?」
「私は見てないわよ?いつも一番先に来て待ってるのにね」
そうリリアーヌが言ったところで、タイミングよく扉が開く。珍しく遅く現れたルシアは、顔を真っ青にしていた。
「……ルシア?大丈夫?」
「エマ、ごめん……逃げられなかった」
唇を震わせながら、ルシアがエマを見る。その言葉だけで何があったのか理解したエマは、目を細めて廊下へ出た。
そこには、予想通りラザフォードの姿があった。壁に背を預け両腕を組むラザフォードは、まるで絵画のようだった。
“ラファド”は平凡な容姿だったな、とエマは前世での姿を思い出した。
“エルマ”は平民では珍しい金髪だった。対して“ラファド”は、平民に多い暗い茶髪だ。
第一王子ラザフォードも、第二王子レオナールも、前世では二人とも平民だったなんて、誰も想像できないだろう。
「………!」
エマに気付いたラザフォードが、壁から背を離す。その瞳に滲む嬉しさに気付き、エマは胸が痛んだ。
「エル……、エマ。突然ごめん。でも僕は……」
「いえ、大丈夫ですラザフォード殿下。……もう一度、お話をしましょう」
目を逸らすことなくそう言えば、ラザフォードは何かを察したように悲しそうな顔をした。
そのまま手招きされ、エマは大人しくついていく。
(またオレリアさまに心配かけちゃうな……。でも、ちゃんと気持ちを伝えないと…私もラザフォード殿下も、前には進めない)
ラザフォードはすぐ近くの空き部屋に入り、エマも周囲を確認してから中へ続く。二人きりということに警戒して扉付近で立ち止まれば、ラザフォードがくすりと笑った。
「そこまで警戒心剥き出しにされると傷付くね」
「それは……失礼しました」
「大丈夫、無理やりに何かをしたりはしないよ。僕は君に……嫌われたくはないから」
ラザフォードは近くのソファに腰掛け、前のソファを指差した。座れという命令だと受け取ったエマは、深呼吸してから大人しく従う。
ソファに座ったエマを、ラザフォードはじっと見ていた。
「本当に、エルマと容姿は似ていないな。まぁ、僕もそうか。……それでも、花に対する愛はエルマと何も変わらない」
「もしかして……子どもに花冠を作ったときに、私がエルマだったと気付いたんですか?」
「それはきっかけにすぎないよ。僕が気付いたのは、“お花も生きてるから”って言葉のおかげ」
花に囲まれて生活していた“エルマ”の、口癖のような言葉。あのときも自然と零れた言葉で、ラザフォードに気付かれてしまったらしい。
エマはラザフォードを見つめ返す。
「……ラザフォード殿下は、私が知っているラファドとは少し違います。女癖は悪くなかったし、笑顔の裏で罠を張るようなタイプでもありませんでした」
「今の僕の評価、酷すぎないかな?」
ラザフォードは肩を竦めると、ゆっくりと窓の外へ視線を向けた。
「……前世では、エルマという妻がいたからね。本人は気付いていなかったかもしれないが、僕は本気でエルマが好きだった」
「………」
「そして僕は病に倒れた。その先にある人生を謳歌できないまま、エルマを置き去りにした。……だからラザフォードとして生を受けたとき、僕が叶えたい想いは一つだけだった」
曇天模様の空を眺めながら、ラザフォードが言葉を続ける。
「この世界で生きる誰もが平等に、大切な人と寄り添って生きることができるように。……その為なら僕は、他人を使うことを厭わない」
今世でラザフォードは、誰もが自由に羽ばたくことのできる国を…世界を創ろうとしている。
それは決して自分本位なものではなく、かつての“ラファド”の優しさが溢れる、素晴らしい願いだ。
(でも……その願いと想いは、ラファドのもの。例え叶えられたとしても、ラザフォード殿下にとっての意味は……?)
そのとき、ラザフォードの碧眼がエマを捉えた。
「……叶えたい想いは…一つだったはずなんだ。でも、今は違う。……僕は今世でもずっと君の面影を探し求めていて、そして出逢うことができた」
「……ラザフォード殿下…」
「お願いだ、エマ。もう一度…僕の隣にいることを選んでくれないか」
真剣な眼差しから、ラザフォードの本気が伝わってくる。それほどまでに、“エルマ”の存在が“ラファド”にとって大きかったのだと、エマは今知った。
愛を囁き合う結婚生活ではなく、穏やかに笑い合う結婚生活だった。あの日々を思い出しながら、エマはそっと目を伏せる。
膝の上で重ねていた手をぎゅっと握りしめてから、エマはラザフォードを真っ直ぐに見据えた。
「私の答えは、変わりません。―――私が追い求めている人は、あなたではありません」
とても残酷な言葉を、エマは表情を変えずに言い放った。これがお互いのためだと、そう自分に言い聞かせながら。




