40.照らされた新たな道
エマは一人、オレリアの部屋で窓の外を見ながら固まっていた。
窓を拭く手を止め、見間違いではないかとゴシゴシと目を擦る。
けれど、窓から見える騎士の訓練場には、見間違いでも妄想でもなく、エマが会いたいと願う姿があった。
(レオナール殿下……!………と、ウェスさま?)
ウェスに会ったのは、あの傷を抉るような言葉を笑顔で言われた日が最後だ。
思わず布巾を握りしめながら、エマはじっと目に力を入れる。オレリアの部屋は、ちょうど騎士の訓練場が見やすい位置にあった。
レオナールとウェスは、互いに木剣を握り向かい合っている。
経緯は分からないが、これから模擬試合が始まるようだ。また剣を振るう姿を見ることができるのかと、エマは顔を輝かせる。
二人の周囲をぐるりと騎士たちが囲み、アンリとルーベンが少し離れたところで見守っていた。
審判を任されたらしい騎士が、片手を空へ振り上げる。
すると、先に動き出したのはウェスだった。
目にも止まらぬ早さで木剣を振るっており、初めてウェスの剣技を見たエマは感心してしまった。
(……うん。やっぱり護衛枠で側近を目指すのは私には無理ね。補佐はアンリさまがいるし、ルーベンさまだって……)
エマはぎゅっと唇を結びながら、レオナールとウェスの戦いを見守った。
じっと見ていて不思議に思ったのが、レオナールの動きだった。前世で護衛騎士だったときよりも、動きにキレがない。
さすがに今世では騎士のときほど体を鍛えていないとは思うが、それでもエマの目には不自然に映ってしまった。
「………レオ……」
無意識に零れ落ちた名前に、エマはハッとして口元を押さえる。
(違う。あそこで戦っているのはレオじゃなくて、レオナール殿下よ。レオの幻影を追い掛けたままじゃ、レオナール殿下に失礼なんだから)
防戦一方のレオナールが、少し大きく踏み込むとウェスの懐に入り込んだ。そのまま木剣を下から突き出し、ウェスの木剣を弾く。
けれど、弾かれた木剣の元へ軽い身のこなしでウェスが回り込むと、その手のひらに吸い込まれるよう木剣が落ちる。
騎士たちが拍手をしている様子が、エマの目に映った。
「……頑張って…頑張ってください、殿下」
祈るように、エマは小さく呟いた。そのとき、不思議とレオナールの瞳がエマのいる窓辺へ向けられた気がした。
そんなわけないのに、と思いながらも、エマは大きく両手を振る。
ウェスが一気に距離を詰め、木剣を振り下ろすのが見えた。一切躊躇いのない振るい方だ。
しかしその剣先は、レオナールに届くことはなかった。自身の剣で軽々と受け流したレオナールは、跳躍して距離をとる。
すかさず両者共に攻撃体勢に入ったところで、その動きがピタリと止まる。どうやら、アンリが止めに入ったようだ。
騎士たちの手前、レオナールが負けるわけにも、側近で護衛をしているウェスが負けるわけにもいかない。引き分けで止めることが一番最善だ。
エマはそう考えながら、ずるずるとその場にしゃがみ込んだ。つい先程の動きは、間違いなく前世で何度も見た“レオ”のものだった。
心臓がドクンドクンと脈打っている。
(……どうしよう……ものすごく、格好良かった)
口元をニヤけさせながら、エマは窓枠に手を掛けて立ち上がった。レオナールとウェスの周囲には、騎士が群がっている。
その光景を温かい気持ちで見つめながら、エマはすっかり乾いてしまった布巾を湿らせようと振り返る。
―――そして、固まった。
「オ……オレリアさま……!?」
オレリアだけではない。ソファに腰掛けているオレリアの背後に、リリアーヌとルシアも控えている。
いつから戻って来ていたのだろうか。全く気配に気付かなかったエマは、サアッと血の気が引いた。
「す、すみません!せっかくこの部屋での仕事ばかりいただいているのに、こんなサボるような……っ」
「エマ」
オレリアに名前を呼ばれ、エマはビクッと肩を震わせる。頭を下げたままのエマに、コツコツとヒールを鳴らす音が近付いてきた。
呆れられていたらどうしよう―――と、ぎゅっと目を瞑ったときだった。
「レオナールお兄さまのことを、“レオ”と呼んでいるの?」
思わず顔を上げてしまったエマに、オレリアが顔を輝かせる。
「まぁぁ!もしかして、二人はそういう関係なのかしら?」
「え、いえ……!」
「全く気が付かなかったわ!……ということは、ラザフォードお兄さまの件で私が相談に行ったとき、レオナールお兄さまがそわそわして見えたのはそういうこと……?」
「……ち、違うんですっ!!」
エマが大きな声で否定すると、オレリアが目を瞬かせる。エマは顔を真っ赤にしながら、覚悟を決めて次の言葉を口にした。
「私の……長い長い、片想いなんです……」
オレリアたちが、いつから部屋にいたのかは分からない。それでも“レオ”と呼んだことを聞かれてしまった以上、下手な誤魔化しはできないとエマは思った。
これでもかと布巾を握りしめていたエマに、オレリアは花が咲くように笑った。背後には咲き乱れる薔薇の幻影が見える。
エマの両手を取り、嬉しそうに口を開いた。
「素敵……!もしかしてレオナールお兄さまに近付きたくて、城で働くようになったのかしら?私の侍女になったのも?」
「それは、その……」
「責めているわけじゃないの。結果的に、エマが私の侍女になってくれたのは幸運だもの」
オレリアがふふっと優しく笑う。その笑顔に、エマの涙腺がじわりと緩んだ。
(私は……優しいオレリアさまに、全てを黙ったままでいたくない……)
それは、一種の賭けのようなものだ。受け入れてもらえるか、もらえないか。
受け入れてもらえなければ、エマはたちまち侍女の立場を諦めなければいけなくなる。
それでもエマは、不思議な縁が繋がる今世で生きる人達を、信じたいと思った。
「……オレリアさま。リリアーヌ……ルシアも。聞いてほしい、お話があります」
エマは自分と向き合ってくれる三人に、前世の話を打ち明けることに決めた。
「……と、いうわけなんです」
全てを話し終えたエマは、ポカンと口を開けている三人を順に見る。いつかの家族と同じような反応で、思わずくすりと笑ってしまった。
「すみません急に、信じられませんよね」
「……信じられない話だけれど……いろいろと納得がいくわ」
口元に手を添え、オレリアがポツリと言う。
「あなたの知識や所作は、平民離れしすぎているもの。堂々とした佇まいも、前世で王女だったならと納得がいくわ」
「そうですね……私も妙に納得しました。モヤモヤが晴れてスッキリとした気分よ、エマ」
リリアーヌがそう笑ってエマを見た。その隣で、ルシアが瞳をうるうるとさせている。
「エマ……前世で殺されちゃった記憶があるなんて、辛すぎる…。話してくれて、ありがと」
「ルシア……リリアーヌ。オレリアさまも…こんな嘘みたいな話を、信じてくれるんですか……?」
受け入れてくれたら嬉しいと思って話したエマだったが、こうもすぐに受け入れられるとは思ってもいなかった。
オレリアが可愛らしい笑顔を浮かべる。
「意味もない嘘をあなたがつくなんて、誰も思っていないわよ。それに……あなたがレオナールお兄さまのことを話す表情は、恋する表情そのものだったもの」
「………!あ、ありがとうございます。でも、どうか私の気持ちは……」
「ええ、誰にも言わないわ。でも…お兄さまも前世の記憶があるのでしょう?」
エマはこくりと頷きながら、レオナールの前世についてはどこまで話していいものかと頭を悩ませる。
ちなみに、ラザフォードの件はややこしくなるのでまだ打ち明けてはいない。
「私とレオナール殿下の前世の記憶については、殿下の側近の御三方は知っています。でも、城内ではお互いに接点のないフリをしています」
「そうね……賢明な判断だわ。いくらエマに実力があるとは言え、平民であることとその髪色だけで、悪意ある噂はすぐに広まるもの」
オレリアがため息をつきながらも、嬉しそうに表情を緩めていた。
「……でも、話してくれて嬉しいわ。それでエマは、お兄さまの婚約者の座を狙っているのかしら?」
「…………えっ?」
「とても厳しい道のりだとは思うけど……実績を積んで、王家の人間全員の推薦があれば、なれる可能性はあるかもしれないわよ」
きらきらと瞳を輝かせながら、オレリアがエマの顔を覗き込む。
エマは慌てて首を横に振った。
「そ、そんな理想は描いていません!私はただ、レオナール殿下のそばにいられる側近の立場を目指していて―――…」
「側近?でもそれは……お兄さまが他の女性と結婚しても良いってことなの?」
オレリアの問いに、エマはぐっと眉を寄せた。良いわけがないが、それを覚悟してまで、エマは側近になろうと思ったのだ。
(でも……王家の人間全員の推薦があれば、平民でもレオナール殿下の婚約者になれるの……?)
突然照らされた新たな道に、エマは大きく心が揺らいでしまうのだった。




