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37.エルマとラファド


 エマはフードを深く被りながら、公園の周囲を早足でぐるぐると回っていた。



「……ねぇ、エルマ」


「私はエマです」


「エルマだろう?」


「エマです」



 何度も同じやり取りを繰り返しながら、エマはラザフォードから逃げている。

 ラザフォードも帽子や眼鏡で変装をしてはいるが、ぐるぐると公園を周回する二人は、傍目にも不審に映っているようだ。



「……ねぇ、あの二人…さっきからどうしたのかしら」

「……もしかして、前の女の子が後ろの男に追いかけ回されてるとか?」

「……それなら、騎士に通報した方がいいかしら…?」



 通り過がりにそう話す女性たちの声が聞こえ、エマは冷や汗が流れ出す。

 このまま騎士に通報されれば、さらにややこしいことになってしまう。ただでさえ、今は充分ややこしい状況なのだ。



(二つ前の前世の夫のラファドが、第一王子……前世の護衛騎士のレオが、第二王子……?ああもう、現実逃避したいけど、でも……!)



 このまま逃げ回っていても、何も好転しない。その現実を受け止めたエマは、ピタリと足を止める。

 背後でラザフォードも足を止める気配がした。



「…………僕とまた、会いたくなかった?」



 遠慮がちに問い掛けられた悲しげな声に、エマは唇をきつく結んだ。

 “ラファド”とは恋愛結婚ではなかった。それでも、毎日花に囲まれて一緒に過ごす穏やかな時間は、“エルマ”にとって好きな時間だった。


 ―――けれど。



「……ラファド」



 エマがそう名前を呼んで振り返れば、ラザフォードが目を大きく見開く。そこに滲んだ喜びを、今のエマは受け取ることはできない。



「あなたと過ごした時間は楽しかったし、あなたが病気で亡くなってしまったときは悲しかった。……でも、そのあと私は生まれ変わって別の人生を過ごし、そしてまた生まれ変わって……今“エマ”として過ごしているの」


「……つまり…僕と出逢ったのは、前のその前の人生ってこと?」


「そうよ。そして私は今、明確な目標を抱いてエマとして生きているの。そしてその目標の先にいる……私が追い求めている人は、あなたじゃない」



 “ラファド”と過ごしたあとの人生で出逢った“レオ”。エマは前世で恋に落ち、その恋を今世でも引きずっている。

 そしてその恋を叶える方法として導き出した答えが、レオナールの側近としてそばに立つことなのだ。


 ラザフォードはレオナールと同じ碧眼で、エマをじっと見つめている。



「……君が求めているのは、僕じゃない…」



 ポツリとそう呟いてから、ラザフォードが大きく息を吐き出した。額に手を当て、ゆっくりと頭を横に振る。



「……ごめん、突然のことに少し混乱した。……確かに僕は今この国の第一王子で、君は平民の侍女だ。この瞬間まで、それぞれの人生を歩んできた……それは分かる」


「でしょ?だから、もう前世のことは忘れて、今世では私を“エマ”として……」


「それは嫌だ。僕はずっと、君を置いて先に逝ってしまったことを後悔していたんだから。……どうして、病に罹ったんだろうと…ずっと」



 ラザフォードの言葉の意味が、今ならエマにも分かった。


 ―――『……生きている限り、自由に羽ばたける権利が……僕達にはあるはずなんだ』


 あの言葉は、若くして命を落とした“ラファド”の、未来を切望する言葉だった。



「……ラザフォード殿下」



 エマが今世の名前を呼ぶと、ラザフォードが悲しそうに瞳を揺らした。その姿が以前のレオナールと重なり、エマは苦しくなる。



(……前世の記憶があっても、いいことばかりとは限らない。私も、レオナール殿下も…ラザフォード殿下も。みんな、前世を切り離せないでいる……)



「……今日はもう、戻りましょう。お互いすべきことが残っているはずです」


「………」


「正直私も、まだ頭の整理ができていません。一度持ち帰って、それから……」


「……また、会ってくれるのかな?」



 しょんぼりと眉を下げたラザフォードにそう訊かれ、エマは言葉を詰まらせる。また会ったところで、何かが解決するとは思えなかったし、事態が拗れる予感しかしなかった。


 何より、エマが前世でレオナールと関わりがあり、そのレオナールを追い掛けていると知られてはいけないと思った。



「え……ええと……」


「―――あれ?どういう状況?」



 底抜けに明るい声が響き、エマとラザフォードは同時に声の方を向いた。そこに立っているウェスとルーベンの姿を見て、エマはさらに混乱する。



(ど、どうしてここに二人が!?……落ち着いて私、ここで二人と知り合いかのような態度を取っちゃダメよ)



 ちら、とラザフォードの様子を見れば、思い切り眉を寄せて二人を見ていた。



「ルーベン、ウェス。どうしてこんなところに二人でいるんだ?」


「……ラザフォード殿下、我々が探していたのは、そこのオレリア殿下の侍女です」


「どうしてオレリアの侍女を、レオナールの側近が探す必要がある?」



 最もな質問に、エマは内心ハラハラしながら二人の答えを待った。ルーベンが姿勢を正して口を開く。



「……オレリア殿下が侍女の行方を心配し、レオナール殿下の元へ相談にいらしたのです」



 その答えに、エマは「え…」と小さく声を上げた。まさかオレリアがエマを心配し、レオナールに相談するとは思わなかったのだ。

 その事実が嬉しくて、エマはつい頬が緩んでしまう。


 逆にラザフォードは面白くなさそうに顔をしかめ、少しズレていた眼鏡の位置を中指で戻した。



「オレリアがレオナールに、ね……。この侍女がオレリアにとって特別なことは分かった。でも、それも今日までだ」


「……どういう意味ですか?」


「彼女は僕がもらう。今すぐにでも、僕の側近にしよう」


「!?」



 ルーベンとウェスの驚いた視線が向けられ、エマは引きつった笑いを返した。思い切り頭を横に振りたいがそうもいかず、どんどん絡まっていく複雑な糸に目眩がする。


 助け舟を出してくれたのはルーベンだった。



「……ラザフォード殿下。彼女はオレリア殿下の侍女として雇用契約を結んでおります。彼女の意思を無視せず、オレリア殿下とも話し合われては…」


「本当に堅物だなぁ、ルーベン。僕の思い描く理想の国の構築には、彼女が……エマが必要なんだよ」



 ラザフォードは、この場で前世の話をするつもりはないようだった。それはエマにとってありがたいことだが、ラザフォードの側近になる気は全くない。

 何とか穏便に断る理由がないものかと考えていると、ウェスに肩を叩かれる。



「静かに。ルーベンさんが囮になっている間に、死角から抜け出すよ」



 耳元でそう囁かれ、エマはこくりと頷く。ラザフォードの目は、鬱陶しそうにルーベンに向けられたままだ。

 こっそりとラザフォードの背後へ回り込み、走り出したウェスのあとを追う。エマは心の中でラザフォードに謝った。



(……ごめんね、ラファド。私はあなたの望みどおりに近くにいることはできないの)



 公園を抜け、店が立ち並ぶ大通りに出る。人混みを抜けながら、エマとウェスは城門へと向かっていた。

 すぐに門番に通してもらい、城の敷地内に入ったところでようやくエマは安心した。と言っても、ラザフォードもすぐに城内に戻って来るとは思うのだが。



「……ねえ、珍妙ちゃん」



 前を歩くウェスが突然立ち止まり、くるりと振り返った。とても返事をしたくない呼ばれ方だが、エマは「はい」と返す。

 ウェスは口元に笑みを浮かべていたが、ぞくりとする不敵な笑みだった。



「この城の王族は、どうしてみんな君に惹かれるのかなぁ?それがオレには不思議で仕方ないんだよね」


「それは、私にも……」


「ねぇ、君が目指すのはレオナール殿下の側近でしょ?でも実際はこうやって、その周囲の人達を巻き込んで引っ掻き回してるだけだよね?違う?」



 灰色の瞳が、鋭くエマを射抜いた。反論はできずに、ぐっと唇を噛みしめる。

 そんなエマに向かって、ウェスは満面の笑みを浮かべた。



「早くオレに、君の価値を証明してみせてよ。―――それができないなら、鬱陶しいから早くここから消えてくれる?」



 明確な敵意に、エマは言葉が出なかった。嫌な汗が背中を伝い、無意識に体が震えだす。

 今ウェスから向けられているのは、喉元に刃物を突きつけられている感覚になる敵意だった。



「……じゃ、ここからは自分で戻れるよね?バイバイ〜」



 何事もなかったかのようにウェスがひらひらと手を振って去って行く。

 取り残されたエマは、ぐりぐりと心を抉られる音を感じていた。



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