36.新たな風
レオナールの元に血相を変えたオレリアがやって来たのは、ちょうど執務の間で休憩をしていたときだった。
「レオナールお兄さま!助けてください……!」
普段は滅多に部屋に来ない妹の訪問に、レオナールは面食らっていた。それは側近たち三人も同じで、顔を見合わせている姿が目に入る。
レオナールはすぐに席を立った。
「……どうした?」
「私では、どうすればいいのか分からなくてっ……!」
「落ち着け、オレリア」
レオナールはオレリアに駆け寄ってそう声を掛けながら、アンリに視線を送る。
頷いたアンリがすぐに散らかったテーブルを片付け、オレリアが座れるようイスを引いた。
レオナールがイスへと促すと、オレリアは鼻を啜りながら大人しく腰掛ける。
「……何があった?緊急事態か?」
「はい、緊急事態です。私の侍女がっ……」
「侍女?」
「侍女が、ラザフォードお兄さまに連れ去られてしまいました……!」
侍女、ラザフォード、連れ去られる。頭の中でオレリアの言葉を反芻したレオナールは、一瞬目の前が真っ暗になった。
「オレリア殿下、詳細を教えてください。どこで連れ去られたのですか?無理やりですか?」
アンリの声に、レオナールはハッと正気を取り戻す。オレリアを見れば、首を横に振っていた。
「詳細は分からないけれど、王都の門番から伝令があったの。“ラザフォード殿下といます、という伝言を預かっています”って……」
「……ちなみに、その侍女というのは……?」
「エマよ。話したでしょう?平民で黒髪の優秀な侍女がいるって」
「……やっぱりそうですよねー……」
アンリが遠い目をしてからレオナールに視線を向けた。レオナールは自分自身に動揺するな、と言い聞かせる。
オレリアの今の話を聞くところ、無理やりどこかへ連れ去られたわけではないようだ。
「オレリア。……その侍女は、いつ兄さんと接点を持ったんだ?」
「……分かりません。エマからラザフォードお兄さまと会ったなんて話は聞いたことがないし、それにお兄さまは、金髪の女性しか興味がないと思っていたので……まさかエマが……」
オレリアは口元を手で覆い俯いてしまった。オレリアが一人の侍女をここまで心配している様子を、レオナールは今まで見たことがなかった。
そしてその侍女は、レオナールが前世から敬愛しているエマだというのだから不思議なものだ。
それが嬉しくもあり、オレリアを少し羨ましく思ってしまうレオナールだったが、今はそれどころではないと状況を整理する。
「オレリアが侍女に平民を選んだことを、兄さんは気にしていた。少し話してみよう、と思って声を掛けただけかもしれない」
「でもお兄さま、私は心配です……!この間も暴漢に襲われかけたのに、今度はラザフォードお兄さまからも無理やり、だなんてことになってしまったら……!」
「無理やり……」
レオナールが急に表情をなくしたことに気付いたアンリが、ビクッと肩を震わせている。
オレリアに気付かれる前に平静を装わなければとレオナールは思ったが、嫌な映像が脳裏にちらついてしまった。
涙目で逃げ回るエマを、ニヤついたラザフォードが追いかけ回す映像だ。
「……」
「で、殿下方、こうしましょう!ルーベンが王都の門番に様子を聞きに行ってから、ラザフォード殿下と侍女を探しましょう!」
「……待て、どうして俺なんだ」
至極冷静にそう言ったルーベンに、アンリが小声で「空気を読め!」と肘で小突いている。
オレリアはちらちらとルーベンを見ていた。
「……ルーベンが、私の侍女を探してくれるの?それなら、私も一緒に……」
「オレリア待て、お前は目立つだろう。王女と王子がエ……侍女を取り合うような構図になれば、一気に国中に噂が駆け巡るぞ。その侍女に肩身の狭い思いをさせたいわけじゃないだろ?」
レオナールの指摘に、オレリアは慌てて「もちろん助けたいです」と答えた。
レオナールの答えも一緒だった。エマをラザフォードの魔の手から救いたい。けれどそれは、レオナールができることではない。
(……いや……顔を隠して、背後から兄を気絶させればいけるか……?)
危険な考えを頭に浮かべながらも、レオナールはアンリ、ルーベン―――そして笑みを浮かべながら黙って立っているウェスへと視線を移す。
(アンリ……は兄に顔が良いからと嫌われているし、ルーベンは真面目すぎて言いくるめられそうだし、ウェスは……問題が起きる気しかしない)
一緒に生まれ育ちながら、未だにレオナールはラザフォードという兄の考えが掴めないでいた。
特定の側近を連れず、ふらふらと城内や王都を歩き回っては、女性に手を出している。レオナールを“可愛い弟”と言う割に、滅多に話しかけて来ない。けれど、常に動向を探られている気配はある。
エマには話していないが、レオナールは一度国王に城から追放されたことがあった。
そのときレオナールを庇ってくれたのは、側近三人だけだ。ラザフォードもオレリアも、城を出るレオナールをただ黙って見ているだけだった。
今はこうして城に戻ることが出来ているが、未だに兄妹の仲はギスギスしている。
それでも、オレリアが頼りに来てくれたことは間違いない。エマが繋いでくれた縁を、レオナールがこの場で断ち切るわけにはいかないのだ。
「……ルーベン、やはりお前に頼みたい。……頼まれてくれるか?」
レオナールがそう訊けば、ルーベンがすぐに頭を下げる。
「はい、もちろんです。行ってまいります」
「あ、殿下!オレも行ってきてもいいですか?」
ルーベンが颯爽と扉に手を掛けたところで、ウェスが手を大きく挙げた。こういった面倒事にウェスが自分から立候補するのは珍しかったため、レオナールは目を丸くする。
「……二人で、か?さすがに……」
「でも殿下、ルーベンさんがラザフォード殿下に言葉で敵うと思いますか〜?ルーベンさんが犠牲……囮になって、オレがこっそり珍妙ちゃんを連れてきますから!」
もっともらしい理由を述べながら、ウェスが笑う。オレリアは「珍妙ちゃん……?」と怪訝そうな顔をしていた。
レオナールは少し悩んでから、笑顔を浮かべるウェスに向かって頷いた。
「任せていいんだな?」
「はい!さ、頑張りましょうルーベンさん!」
軽やかな足取りのウェスと、眉をひそめたルーベンが揃って部屋を出て行く。
閉まった扉をじっと見つめていたアンリが、肩を竦めてから口を開いた。
「……どうなっても知りませんよ、レオナール殿下」
「分かってる。信じるしかないな」
「お兄さま、大丈夫なのですか……?」
心配そうにそう問い掛けてくるオレリアに、レオナールは「一緒に待とう」と微笑んだ。
オレリアはこくりと頷いてから、躊躇いがちに口を開く。
「……あの、今更ですが……突然押しかけてごめんなさい」
「いや。大切な侍女なんだろ?……良かったな、気を許せる相手が見つかって」
「はい。平民の生まれですが、実力があり所作も綺麗です。黒髪なのに……わざわざ王都で働こうと思った理由は分かりませんが、私はこの出会いに感謝したいです」
「……そうか」
エマが王都へ来たのは、レオナールがエマを手放せずに半ば無理やり連れてきたからだ。それでもエマは、レオナールの側近を目指すと言ってくれた。
そしてその道の通過点として城の使用人となり、今はオレリアの侍女となっている。
(オレリアには悪いが、エマには俺の側近になってもらわないと困る。……そうでないと、俺は表立って彼女を護れないからだ)
エマがオレリアに呼び込んでくれた新たな風を、早く身近で感じたい。そう思いながら、レオナールは誰にも気付かれないよう小さく笑った。




