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32.新たな出発点


 エマが侍女たちに貶められ、暴漢に襲われかけた事件が広まることはなかった。

 それは、エマが隠すことを望み、オレリアが徹底的に働きかけてくれたことが大きい。


 主犯格の侍女に雇われた男たちは、現在も牢で罪を償っている。

 侍女たちは職を失い、今後一切城内で働くことを禁止された。それぞれ爵位があるので、家に戻れば家族からの厳しい叱責も待っているだろう。


 エマはオレリアに、今回の計画を打ち明けてくれたクラーラに関して処罰の減刑を願い出ていた。

 オレリアはそれを受け入れてくれ、使用人に降格という提案をしてくれたが、クラーラは辞職を申し出たらしい。

 家に戻り、一から学び直してから、また侍女を目指すと言って城を出て行った。



 オレリアの侍女が一気に四人退職し、城内ではエマが何かをしたのではと噂が広まっていた。

 事件の内容を明らかにすれば誤解は解けるのだが、そうすれば今度はエマが暴漢に襲われたという事実が広まってしまう。

 どちらを取るかという話になったとき、エマは事実を隠すことを選んだ。



「ねぇエマ、あなたとんでもない悪女に出来上がっているみたいだけど……これで良かったの?」



 エマが淹れた紅茶を優雅に口に運びながら、オレリアが眉を寄せて問いかけてきた。エマは笑いながら答える。



「良くありませんね」


「もう、だから少しは事実を公表すれば?と言ったのに」


「でも……事実はこの先否定することはできませんが、噂なら否定できますから」



 暴漢に襲われかけたという事実が広まれば、エマは傷物扱いされてしまう。けれど、ただの根も葉もない悪女という噂なら、それを否定する振る舞いを続けて誤解を解けばいいのだ。



「平民で黒髪の元使用人は、汚い手を使い王女の侍女となり、他の侍女を蹴落とした悪女らしい……改めて聞くと恐ろしい女ですね、私」


「平然とそう言えるのは、確かに恐ろしいわよ」



 呆れたような視線を向けられ、エマは笑いながら二杯目の紅茶を注ぐ。オレリアは口をつける前に、扉付近へ視線を向けた。



「あなたたちはどう思うのかしら?」



 オレリアに話し掛けられたのは、新たに決まった二人の侍女だった。

 一人は、侍女選抜試験のときにエマに敵対心を剥き出しにしていたリリアーヌ。そしてもう一人は、使用人のときの友達のルシアだ。



「……私は、心配する必要はないと思います。実力は確かだと思いますし……神経は図太いですし」



 リリアーヌは失礼な言葉を付け足し、エマに向かって鼻を鳴らす。相変わらずの態度に見えるが、選抜試験のあとには態度が悪かったと謝ってくれていた。

 だからこそ、新しい侍女の選抜を任せたいとオレリアに言ってもらえたエマは、一人目にリリアーヌを推薦していた。

 きちんと自省の心を持っており、選抜試験のときになかなかの実力を発揮していたからだ。



「わた……私は、エマより自分のことの方が心配ですすみません……!」



 震える唇を開いたルシアは、今にも泣き出してしまいそうだった。

 ルシアもエマが推薦しており、侍女長のジャネットもルシアならやっていけると判断してくれた。

 侍女の話を持ちかけたときはとても喜んでいたのだが、実際にオレリアを前にして急に不安になってしまったようだ。



「ルシア、基本的なことなら私が教えられるから大丈夫。リリアーヌもいるしね」


「言っておくけど、私は他人に教えるのは下手くそよ」


「……それを堂々と言うの?」



 エマたちが話している様子を見て、オレリアがくすりと笑った。



「私、今まで侍女とは距離感を保たなければと思っていたの。でも……エマのおかげで、少しは近付いた方がお互いの為になるのかもと思い直したわ」


「オレリア殿下……大丈夫です。私は殿下の味方ですから。リリアーヌもルシアも、そうよね?」



 エマの問いに、二人は揃って「もちろんです」と答えた。オレリアは嬉しそうに目を細めている。

 そこでふと、エマは少し気になっていたことをオレリアに聞いてみることにした。



「オレリア殿下、私を侍女として選び、信頼してくださっていることは嬉しいのですが……見ての通り平民で黒髪ですが、どうしてですか?」



 空になった紅茶のカップを片付けるエマに、オレリアは年相応の無邪気な笑顔を浮かべた。



「人の優劣を判断するのに、見た目は関係ない。……レオナールお兄さまが呪文のように繰り返していた言葉が、ずっと頭にあっただけよ」



 その言葉に、エマは不意に泣きそうになってしまうのだった。







 ***


 エマはオレリアの侍女として、忙しくも充実した毎日を送っていた。

 リリアーヌとルシアとの関係も良好で、オレリアともだいぶ打ち解けることができた。

 使用人たちからはきつい王女と言われていたオレリアだったが、エマたちにはよく無邪気な笑顔を見せてくれるようになっていた。そのことが、エマはとても嬉しかった。



 ある日、オレリアが王都の視察から戻って来ると、これでもかとため息を吐き出した。エマたち侍女は互いに顔を見合わせる。



「……オレリアさま、どうされました?」



 代表してエマが問い掛けると、オレリアは頬杖をついて窓の外へ視線を向けた。ちなみに殿下呼びをやめたのは、オレリアが望んだからだ。



「ラザフォードお兄さまの女癖、どうにかならないのかしら」


「ラザフォード殿下……」



 エマは一度しか見たことのない、第一王子ラザフォードの姿を思い出す。レオナールと似た容姿で、とても眩い笑顔を振り撒いていた。

 隣に立っていたルシアが、肘でツンツンとエマを小突く。



「エマ、もしかして知らない?ラザフォード殿下は城内の使用人にも手を出しているのよ」


「え……」


「それで手を出された方が殿下に本気になって、でも殿下にとっては遊びだから、突き放されて泣いて辞めていく……までがパターンよね」



 逆隣のリリアーヌがそう言って肩を竦めた。どうやら有名な話のようだ。

 オレリアは窓の外へ向けていた視線をエマたちへと戻す。



「城内だけじゃないわ。王都へ視察に出るたびに女性を引っ掛けてどこかへ消えるのよ。お兄さまの護衛騎士には同情するわ」


「ラザフォード殿下に婚約者はいらっしゃらないのですか?」


「候補なら溢れかえるほどいるわ。でも一人に絞れないとか言って遊び歩いているのよ……少しはレオナールお兄さまを見習ってほしいわ」



 レオナールの名前が出たことで、エマはドクンと心臓が高鳴る。動揺を表に出さないようにしながら、エマは何気ない調子でオレリアに問い掛けた。



「……レオナール殿下も婚約者候補はたくさんいらっしゃるのですか?」


「ええ、そうね。レオナールお兄さまもまだ決めてはいないけど、ラザフォードお兄さまみたいに女性を弄んだりはしないわ」



 婚約者候補がたくさんいる。その現実に想像以上にダメージを受けていると、ルシアがニヤけた顔でエマを見ていた。

 ルシアはエマが、レオナールの愛人の立場を狙っていると思い込んでいる。

 その視線に気付かないフリをしながら、エマは口を開いた。



「……ラザフォード殿下が心から好きになる方が現れれば、状況が変わるかもしれませんね」


「そうね……このままだと婚約者が決まっても他の女性に手を出しそうだわ。そんなことになれば、私とレオナールお兄さまも迷惑だし……ああもう、想像するだけで憂鬱になる」



 このオレリアの口振りからして、ラザフォードの女癖の悪さは相当なようだ。エマはこっそりリリアーヌとルシアに問い掛ける。



「……ねぇ、もしかして二人も声を掛けられたりしたことあるの?」


「ないわよ。ラザフォード殿下が手を出すのは金髪の女性だけだもの」


「ね。私たちは金髪じゃないし、オレリアさまの侍女だから、この先も心配はないと思う」



 二人は明るい茶髪で、エマはほぼ黒髪だ。もし声を掛けられたら王子相手に断ることはできないと思ったのだが、杞憂だったようだ。


 そして、エマの中でラザフォードの存在が頭の片隅へ行きかけていた頃だった。



「―――おや、もしかして君はオレリアの侍女?」



 書庫からの帰り道、エマはラザフォードに声を掛けられていた。



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