31.寄り道
エマの目の前にいるのは、間違いなくレオナールだ。だからこそ、どうして?と疑問が浮かぶ。
エマは慌てて周囲を見渡した。幸い廊下には誰もいないが、誰かに見られたらあらぬ噂を立てられてしまう。
「レオナール殿下、側近の方は?お一人ですか?」
「ああ、パーティーはまだ何事もなかったかのように続いているから。もう間もなく終了だけどな」
「そうですか。国民の皆さんが楽しめているようなら何よりですが……どうして……」
レオナールのひやりとした手が、エマの頬に触れた。湿布の上からでも感じた冷たさに、思わずピクッと反応してしまう。
「ごめん、俺は手が冷えやすくて。さっきまで外にいたから」
「……」
頬に触れられている。そのことをようやく認識したエマは、みるみる内に体温が上昇した。
「……っだ、誰かに見られたら大変ですので」
「……そうだな。痛みはどうだ?」
すんなりと手を離したレオナールは、少しだけ寂しそうにそう問い掛けてくる。
(もしかして……私が殴られたことを、誰からか聞いた?それで心配してここまで……?)
レオナールの行動は、誰かに見られでもしたら危険な憶測を呼ぶものだ。それでもエマは嬉しいと感じてしまい、それを否定するように首を振る。
「問題、ありません。ウェスさまが手配してくれた騎士さまが助けてくださり、侍女たちの悪事をオレリア殿下に気付いてもらうことに成功しました」
「ああ、話は既に聞いた。君を助けたのは、偶然居合わせた騎士―――これで、俺の側近が君を救う計画に協力した証拠はないな」
楽しそうにレオナールが笑った。その笑顔に胸が高鳴りながら、エマは眉を下げて頷いた。
エマを助けるのは、レオナールの側近でない方が良かった。少しでも関わりを周囲に勘付かれてしまえば、この先の道に支障が出てしまうからだ。
そしてエマを襲う暴漢と、主犯格の侍女との関係性を、オレリアの前で暴く必要があった。そのために、クラーラから計画を聞いたエマは、ウェスと共に作戦を立てた。
まず、ウェスは当日予定になかった厨房裏の倉庫付近に騎士を配置する。
倉庫へ行くよう侍女に指示されたエマは、事前に木箱を詰め込んでおいた倉庫まで暴漢を誘導する。そして雪崩落ちる木箱で隙を狙い、一度逃げる。
そのあとわざと捕まり、暴漢たちに何かをされてから悲鳴を上げる。
駆け付けた騎士にその状況を目撃させてから捕らえてもらわないと、言い逃れをされる可能性があったからだ。
そして、クラーラの役目はオレリアとその侍女たちを裏庭へ連れ出すことだった。その重要な役目を、クラーラは無事に遂行してくれた。
「……オレリア殿下には、お会いしましたか?」
「俺の前では気丈に振る舞っていたが、おそらく自分を責めているだろうな。侍女たちが今まで何人もを虐めて辞めさせていたことに、どうして気付けなかったのかと」
「そうですか……」
エマは一度俯き、すぐに顔を上げた。まずはオレリアに自分は大丈夫だと伝える必要があると、そう思ったからだ。
もう一度周囲に誰もいないことを確認してから、エマはレオナールに話し掛ける。
「わざわざ様子見に来てくれて、ありがとうございます。私はオレリア殿下のところへ行きたいと思います」
「なんだ、熱い抱擁を期待していたのに」
「……からかっていますよね?できるわけないでしょう。今も誰かがあの角を曲がってくるんじゃないかとヒヤヒヤしているんですけど」
じろりとエマが睨めば、レオナールは悪戯に笑う。やはりからかっているようだ。
「安心してほしい。俺だって周囲に誰かいる状況で、君に話し掛けたりはしないから。……君が俺の近くまで来てくれることを、信じて待つつもりだ」
「……はい。待っていてください」
「ただ……大人しく待っているだけのつもりはない、ってことも伝えておく」
「……はい?」
思わず訊き返してしまったが、レオナールはそれ以上言うことはないと言うようにニコリと笑った。エマとしてはその先が気になって仕方がない。
(大人しく待っているつもりはない……って、何をするつもり?)
どこからか話し声が聞こえ、エマはこれ以上長居はできないと悟った。恨みがましい目でレオナールを見てから頭を下げ、足早にその場を立ち去る。
振り返りたい気持ちをぐっと堪えながら、エマはオレリアの元へと急いだ。
オレリアの部屋の前には衛兵が立っていた。会釈をしてから扉を叩き、エマはオレリアに呼び掛ける。
「オレリア殿下、エマです。ただ今戻りました」
すぐに扉が開いたかと思えば、そこにいたのは侍女長のジャネットだった。促されて中へ入れば、ソファに腰掛けていたオレリアが立ち上がる。
丁寧に纏められていたはずの髪は乱れ、目元は赤くなっていた。レオナールの『自分を責めているだろう』という言葉を思い出し、エマはゆっくりとオレリアに近付く。
「……オレリア殿下、私は……」
「……っ、ごめんなさい!」
突然の謝罪に、エマはその場で立ち止まった。オレリアの瞳が揺れ、今にも泣き出してしまいそうだ。
下唇を噛み、泣かないようにと堪えているオレリアを見て、エマの口からは自然と言葉が零れ落ちていた。
「オレリア殿下のせいでは、絶対にありません。謝るのは私の方ですから」
「え……?」
「殿下の侍女たちの悪事が暴かれるよう、画策したのは……私です」
オレリアの瞳が見開かれ、エマは眉を下げて微笑む。ここまで打ち明けるつもりはなかったが、このままオレリアに自分を責めてほしくはなかった。
前世で王女だったエマが自分を責めていたときは、いつも慰めてくれる存在がいた。そんな存在が、今のオレリアには必要だと思ったのだ。
コツ、と靴音が響き、ジャネットがエマに近付いて来た。
「エマさん……事のあらましを、詳しく聞いてもいいかしら?」
「はい。全てお話します」
エマは頷いてから、侍女に嫌がらせを受け始め、クラーラから計画を聞いたこと、そしてそれに対し作戦を立てたことを話した。
ウェスが関わったことだけは、どうしても話せないので伏せておく。
全てを聞いたオレリアは、よろよろとソファに座り込み、両手で顔を覆った。
「……あなた……何をやっているの……?」
「申し訳ありません、余計なことを……」
「違うわよ!どうして私に相談もせず、自身を危険に晒すようなことをしたのかってことよ!」
両手を顔から離し、オレリアがキッと鋭い視線をエマへ向ける。
「まだ子どもの私が頼りないことなんて、分かっているわ!だから侍女たちになめられないように、弱さを見せないよう気丈に振る舞っていたら、城の人たちからは性格がきついって思われるし……!」
「……オレリア殿下……」
「侍女が一人だけ何度も入れ替わる理由を、きちんと調査しなかった私が悪いのも分かっているわ。でも……少しでもいいから、私を頼って欲しかった……」
徐々に言葉の勢いを失くし、オレリアの瞳にじわりと涙が滲む。そしてまた唇を噛み、眉を寄せて堪えていた。
(……殿下は、侍女の中に心を許せる人がいなかったのね。私も王女のときはそうだったけど……レオがいたから頑張れた。だから……)
「……では、オレリア殿下は私には弱さを見せてください。私では頼りないと思いますが、殿下を支えます。そして私が困ったときは……殿下が助けてください」
自分が誰かに必要とされている。その事実が力となることを、エマは知っていた。例え必要としてくれているのが、たった一人だとしても。
エマが微笑めば、オレリアは涙を滲ませたまま苦笑した。
「何を言っているの?私は最初からあなたを頼りにしていたわ。私が本当に仕えて欲しいと思って選んだ侍女は、あなたが初めてなのよ―――エマ」
オレリアの予想外の言葉に、エマは瞬きを繰り返す。肩を優しく叩かれ振り返れば、どこか嬉しそうに微笑むジャネットがいた。
「私の心配は杞憂だったようね。あなたがオレリア殿下の侍女に志願してくれて……本当に良かったわ」
「侍女長……」
エマがオレリアの侍女に志願した理由は、レオナールに近付くためという邪なものだ。
それでも、実際にオレリアという王女と接して、エマは前世の自分を見ているような気分になっていた。だからこそ放っておけないと、そう思う。
「オレリア殿下、これからもよろしくお願い致します」
レオナールの側近となる夢を諦めるつもりはない。ただ、少しだけ寄り道をすることをエマは決めたのだった。




