30.シルヴァンの疑問
シルヴァンは、適度に手を抜いて生きている男だった。
騎士となったのは幼い頃から憧れだったからだ。けれど、そこで出世したいとは思わなかった。
重い責任を背負うことが嫌だったし、ただの騎士の一人として毎日を過ごす方が性に合っていたからだ。
シルヴァンには隊長クラスの実力があるにも関わらず、訓練や模擬試合ではいつも手を抜いていた。
そんな平凡な毎日をのらりくらりと生きていたシルヴァンだったが、ここ最近奇妙な出来事を経験している。
まず、騎士たちの間でしばらく話題となっていた“珍妙事件”。
レオナールの側近であるウェスが連れてきた、仮面をつけたどこの誰とも分からない女性と、シルヴァンは戦わされることとなった。
できれば関わりたくなかったが、ウェスの命令に逆らえるはずもない。そしてこの勝負に、シルヴァンは負けた。
―――負けるよう、誘導させられた。
シルヴァンには分かっていた。“珍妙ちゃん”と呼ばれる女性は、シルヴァンの行動を分析した上で“転ぶ”という選択したのだ。
そして、結果的にシルヴァンの腕を掴んで勝利した。
正体が誰であれ、とんだ曲者だとシルヴァンは感じていた。実力を隠して相手を油断させる面倒くさいタイプ―――自分と同じタイプの人間だと。
次に、不思議な使用人に遭遇した。
茂みの中から突然姿を現した、黒髪の女性の使用人だ。
訓練の休憩中に野良猫がいると情報が入り探していたところ、他の騎士と共に遭遇し、見るからに怪しかったためシルヴァンが質問する流れとなってしまった。
あまり王都では見ない黒髪の使用人は、シルヴァンの問いに難なく答えた。渡されたネームプレートも本物だった。
けれど、その自然すぎる態度が、逆に不自然に思えたことは確かだった。
騎士は、女性の使用人に人気がある。さらにシルヴァンは容姿に恵まれていた。
大抵話し掛けた女性は浮かれた態度を隠さないのだが、黒髪の使用人からは好意というものをほんの少しも感じなかった。
その使用人に決まった相手がいるのならその態度も頷けるのだが、シルヴァンはどこか引っ掛かっていた。
そして何の縁か、その黒髪の使用人は今、シルヴァンと連れ立って歩いている。
今朝突然に警備の配置を変えられたところ、悲鳴が聞こえ駆けつければ、男に襲われている女性の姿があった。
助けた女性はあの黒髪の使用人で、今は第一王女オレリアの侍女となっているらしい。
そういえば、最近城内で黒髪の侍女が……と噂話を聞いたような気がすると、そう思いながらシルヴァンは歩みを進める。
あの口調のきついオレリアに庇われていたあたり、よほど優秀な人間なのだろうと結論づけたところで、医務室へ辿り着いた。
「では、ひとまず手当てを受けてください。あとで騎士の誰かが先ほどの件で聴取に伺います」
「……はい、分かりました」
振り返ったシルヴァンの目に、痛々しく腫れた頬が映る。微笑む侍女の名前を、シルヴァンは頭の片隅から引っ張り出していた。
「エ……エマさん、でしたっけ?」
「……はい。エマ・ウェラーと申します」
ほんの一瞬の僅かな動揺に、シルヴァンは気付いた。けれど、どうして動揺する必要があるのかと疑問に思う。
「……侍女に、なられたんですね?」
突然のシルヴァンの問いに、エマは目を瞬いた。
「……はい。選抜試験を受け、オレリア殿下に選んでいただけました」
「それから嫌がらせを受け、今日はあんな目に遭ったと……?」
「そうですね。私は平民で、この髪色なので」
それが当たり前のことかのようにエマが言った。髪色のせいで、理不尽な目に遭ってきたのだろうとシルヴァンはすぐに分かった。
だからこそ、つい問い掛けてしまう。
「下手に注目を浴びるより、目立たないようひっそりと生きる方が楽ではないですか?」
シルヴァンは再度目を瞬くエマを見て、バカなことを聞いてしまったと首を振る。
「すみません、忘れてくださ……」
「何も目標がなければ、私は生まれ故郷の村でひっそりと暮らしていたと思います。実際にそうしたいと思っていました……つい最近までは」
そう答えたエマは、シルヴァンを見ているようで、その先にある別の何かを見ているようだった。大きな瞳に、静かで力強い意志を宿している。
「でも、“こうありたい”という目標を抱いてしまったんです。だから私は、その場所に辿り着くまでは、どんな目に遭ったとしても絶対に諦めません」
「………」
「シルヴァンさまも、きっといずれできますよ。なりふり構わずに目指したくなる、そんな目標が」
ふふっと笑ったエマは、黙ったままのシルヴァンを見てハッと口元を手で覆った。
「すみません、生意気なことを言いました」
「あ、いや……」
「本当に、助けてくださってありがとうございました。手当てを受けてきますね」
シルヴァンが何か言うより先に、エマは頭を下げてからそそくさと医務室へ入っていく。
閉まった扉を見つめながら、シルヴァンは不意打ちで背中を斬られたような気分になっていた。
明確な目標もなく、目立ちすぎないようひっそりと過ごしているシルヴァンにとって、エマが未来を見据えて話す表情は眩しすぎたのだ。
「……」
くるりと背を向け、シルヴァンは捕らえた男たちのいる牢へ向かって歩き出す。消化しきれないモヤモヤとした気持ちを抱えながらも、もうエマと話す機会はないだろうと割り切った。
数歩進んでから、シルヴァンは一度足を止めた。ふと疑問に思ったのだ。
―――どうして名乗っていないのに、自分の名前を知っていたのだろうか、と。
***
医務室へ入ったエマは、その場で頭を抱えてしゃがみ込みたくなっていた。
(ああもう……、また変な印象を持たれたような気がする……!)
ただでさえエマはシルヴァンに、茂みから突然現れた使用人、という怪しい印象を持たれていたはずだ。そこに暴漢に襲われ生意気な意見を言ってきた侍女、が加わってしまった気がする。
「おーいそこの君、どうした?」
「あ……すみません、手当てをお願いします……」
エマはのろのろと歩き出し、「こりゃまた痛そうだなぁ」と眉を寄せた初老の医師の手当てを受ける。そのあとにカルテを取り出した医師から質問を受けた。
「じゃあ、そのケガの理由とケガを負った場所を教えてくれるかな」
「ええと……厨房の裏口付近で、暴漢に襲われそうになったときに抵抗したら殴られました」
「え?なんて??」
医師が眼鏡の奥で目を丸くする。エマは苦笑しながら補足をした。
「大丈夫です。騎士の方に助けていただき、オレリア殿下もご存知ですので。あとで私のケガの状況の確認があるかもしれませんので、そのときはよろしくお願いします」
「……なるほど、訳アリだということは分かったな」
頬をポリポリと掻いたあと、医師はカルテに記入を始めた。ペンを走らせながら再び口を開く。
「おっと肝心なことを聞き忘れていた。所属はオレリア殿下の侍女で……名前は?」
「はい。エマ・ウェラーです」
「ウェラー……?」
医師の手がピタリと止まり、エマをじろじろと見始める。それから「ああ!」と嬉しそうに声を上げた。
「もしかして君、リディの娘さんかな?目元がそっくりだ」
エマは突然出てきた母の名前に驚きながらも、王都で医師の手伝いをしていたという話を思い出す。
「……母が助手をしていた先生ですか……!?」
「ははっ、そうだよ。以前は診療所を持っていたんだが、今はこうして城内の医師をしている。いやぁ、こんな偶然があるんだなぁ」
医師は目を細めながらそう言って、カルテを閉じると微笑んだ。
「リディもそうだったが……君も王都ではなかなか過ごしづらいだろう。城内は少しマシだと思うが、もし心が傷付いたら私のところへ来なさい。少しくらいなら力になれる」
「……ありがとうございます……!」
思わぬ縁に、エマは深く頭を下げた。助手をしていたリディの話を聞きたいところだったが、エマにはまだやるべきことが残っている。
「あの、心が傷付いていなくても……たまに顔を出してもいいですか?母の話を聞かせてください」
「ははっ、勿論だとも。さすがリディの娘だな……心が強そうだ」
それはエマにとって、とても嬉しい褒め言葉だった。立ち上がってからもう一度頭を下げ、明るい気持ちのまま医務室を出る。
そして目の前に立っていた人物を見て、エマは口角を持ち上げたまま固まった。
「……良かった、まだいた……エマ?」
「……レオナール殿下??」
息を切らしているレオナールが、エマに名前を呼ばれ微笑んだ。




