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25.嫌がらせ


「……どうした?寝不足か?」



 王都の門番にそう問い掛けられ、エマはネームプレートを掲げながら苦笑いを返す。

 さすがにもう王都へ入る段階で足止めを食らうことはなくなっていたが、こうやって話し掛けてくる物好きはこの男性だけだった。

 名前も知らない門番だが、このちょっとしたやり取りがエマの息抜きになっている。



「はい、少し……。目の前に大好物を並べられて、一切手を出すなと言われるような苦痛を味わったと言いますか……」


「何だそれは?虐めか?」



 門番は眉をひそめながらも、「負けるなよ」と言って送り出してくれた。エマは軽く手を振りながら城へと向かう。



 昨夜レオナールに抱きしめられたエマは、抱きしめ返さないようにずっと自分の服を掴んでいた。おかげでその服はしわくちゃになってしまった。

 あのあとレオナールは自分だけどこかスッキリとした顔をして、「また会おう」とにこやかに去っていたのである。

 ポツンと玄関口に取り残されたエマは、しばらくその場から動けなかった。ようやく動けるようになったとき、今度は怒りに支配されていた。


(ずるい、本当にずるい。でもあんなに嬉しそうな顔をされたら、文句なんて言えない)


 昨夜の温もりを思い出すだけで、エマは顔から火が出そうになった。

 もしかして、前世で“レオ”も私のことを?―――などと考え出してしまい、エマは何度もベッドの上でじたばたと暴れ、なかなか寝付けなかった。



 欠伸を噛み殺しながら、城門をくぐる。こちらの門番も顔なじみが多くなってきた。

 ちなみに、前にエマにちょっかいを出しルーベンに気絶させられた門番は、今何をしているのか分からない。


 いつものように使用人の更衣室に向かおうとしたエマは、慌てて向きを変えた。

 オレリアの侍女となったエマには、新しく専用の更衣室が充てがわれている。事前に侍女長のジャネットに聞いていた部屋に辿り着くと、既に二人の侍女が着替えていた。



「おはようございます、エマ・ウェラーです。本日からよろしくお願いします」



 エマはなんとなく予想はしていたが、挨拶の返事はなかった。エマを一瞥もせずに丸ごと無視した挙げ句、侍女同士で話し始めている。


(うーんこれは……初めてだとすぐ心が折れそう)


 おそらく、今まで辞めていったオレリアの侍女は、このような仕打ちに耐えられなかったのだろう。

 エマは躊躇いなく部屋に入り、何事もなかったかのように新しい侍女の服へと着替え始めた。


(さすが王女殿下の侍女のお仕着せ。生地は一級品だし、細部にもこだわりがある……それに動きやすそう)


 落ち着いた色味の紺のワンピースに袖を通し、ヘッドドレスを着けていると、残りの二人の侍女がやって来た。エマが挨拶をしても、やはり無視だ。

 そして四人揃ってすぐに更衣室を出て行こうとするので、慌ててそのあとをついていく。

 エマはこの先どうなるのか不安を抱えながら、同じような金髪が揺れる後ろ姿を追い掛けた。



 侍女たちはオレリアの部屋の前に立つと、一人が代表して扉を叩く。それから少しして「……はぁい」と眠そうな声が聞こえてくる。



「失礼いたします、オレリア殿下。おはようございます」



 扉を開けて侍女たちが中へ入り、エマもついていく。

 オレリアはベッドの上で体を起こし、目元をこすっていた。可愛らしいレースのあしらわれた夜着に身を包んでいる。


 一人の侍女が窓辺に進み、カーテンを開ける。別の侍女がクローゼットを開けてドレスを取り出し、他の侍女もそれぞれ自分の役割をしようと動き出した。

 統率のとれた素晴らしい動きだが、エマはもちろん何の指示もされていない。このまま指示を待つか、勝手に動き出すかのどちらがいいか考える。


(……指示は永遠にこない気がする。でも勝手に動いたら何かと理由をつけてオレリア殿下の前で叱られそう。それなら……)


 エマは視線を動かし、朝食の準備をしている侍女に目を付けた。



「お手伝いします」


「……」



 侍女はエマを一瞥したあと、舌打ちでもしそうな勢いで顔を歪ませた。着替え始めたオレリアをちらりと見てから、ようやく口を開く。



「紅茶を淹れて」


「はい。お任せください」



 よし仕事をもらえた、と思いながらもエマは紅茶を淹れる。茶葉は昨日と同じもののようだ。

 あっという間にオレリアは身支度を終え、朝食の席についた。侍女は壁際に一列に並び、大人しく待機している。

 その一番端に並びながら、エマはオレリアの部屋を観察していた。年相応の可愛らしい部屋だ。


 オレリアは少食のようで、すぐに食事を終える。口元をナプキンで拭きながら、大きな碧眼がエマを捉えた。



「……今日からよろしく頼むわね。情報共有はできているの?」


「もちろんです、オレリア殿下」



 エマが口を開くより先に、一人の侍女がそう答えた。今日の予定すら何も知らされていないが、そう言い出せる雰囲気ではない。

 この程度の嫌がらせでは証拠は残らないし、エマが訴えたところでオレリアに信じてもらえるかは分からない。

 そしてその前に、オレリアが新人侍女の虐めに関与しているのかどうか、はっきりとさせたかった。



「……みなさん、とても優しく教えてくださいます」



 エマが微笑んでそう言えば、侍女たちは目を見開く。一方で、オレリアは「そう、よかったわね」とだけ言った。

 その返答に、エマは確信を持つ。


(……侍女の虐めに、オレリア殿下の関与はないわね。たぶん、侍女経歴の長い四人が結託して、徹底的に殿下に隠しているんだわ)


 それが単なる娯楽のためなのか、新しい侍女が入ることに反対なのか、虐めの理由はエマには分からないが悪趣味であることは間違いない。

 それぞれが侍女として優秀に見えるだけに、とても残念な気持ちになる。


 どのように証拠を掴もうかと考えながら、エマは侍女としての初日の仕事を終えた。





 ***


 それから一週間が経っても、エマに対する地味な嫌がらせはひたすら続いていた。

 エマが傷付いた様子を見せないことが癇に障るのか、侍女たちの態度はだんだんと酷くなっていく。



「うわぁ」



 思わずそんな声が漏れたのは、ヘッドドレスが破かれた状態で床に落ちていたからだ。

 それを拾い上げたはいいものの、これでは使い物にならない。今からジャネットに新品を貰いに行くとしても、時間がかかってしまう。

 かと言って、オレリアの侍女として中途半端な格好で城内を歩くわけにもいかない。

 この前ルシアに聞いた話だと、オレリアが黒髪の平民を侍女に迎え入れたと噂が広まっているようなのだ。



「仕方ない……最終手段ね」



 エマは鞄から手芸用の小さなハサミを取り出すと、着ていた服の白い部分を躊躇いなく切っていった。






「あら、それどうしたの?」



 部屋に入るなり、オレリアがエマの手製のヘッドドレスに気付いた。侍女たちから余計なことを言うなとばかりに睨まれ、エマは笑顔を貼り付ける。



「すみません、着替え中に引っ掛けて破れてしまって……咄嗟に手元の布で作りました」


「自分ですぐ作ったの?器用なのね。選抜試験のときも……」



 そこまで言いかけて、オレリアは口をつぐんだ。首を傾げるエマをちらりと見ながら、少し小さな声で続ける。



「……訊いてもいいかしら。どうして選抜試験のとき、あなたは他の使用人たちと違うアップスタイルの髪型にしたのかしら?」



 このタイミングでその質問がくるとは思わず、エマは不思議に思いながらもすぐに答える。



「それは、オレリア殿下があの日……大人びた姿を望んでいるのではと、そう私が思ったからです」


「……!」



 この部屋を見れば、オレリアは可愛らしいものが好きだということがよく分かる。本人の顔立ちも、フリルをふんだんに使ったボリュームのあるドレスが似合うだろう。

 けれどあの日、オレリアは大人びた薄紫のドレスを着ていた。だから少しでも大人びて見えるよう、髪は全て纏め上げたのだ。


 エマの答えに、オレリアは少し頬を赤く染めながら視線を逸らす。



「……そのとおりよ。今度また大人っぽくなりたいときは、あなたに髪を任せてもいいかしら?」


「はい、お任せください」



 照れたような顔をするオレリアが可愛く思え、エマは自然と笑いながらそう答えた。

 けれど、この一連の流れは侍女たちによく思われなかったようだ。


 この日の帰り、エマは一人の侍女に呼び止められてしまった。



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