22.侍女選抜試験①
第一王女オレリアの侍女選抜試験の当日、エマは朝からそわそわとしていた。
決して緊張をしているからではない。数日前にアンリから言われた言葉が、頭の大半を占めているからだ。
―――『重要なことを伝え忘れていました。あなたが使用人であることは、レオナール殿下にもうバレていますので』
いつもの使用人の服に着替えながら、エマはレオナールの姿を思い出す。
(いつバレたんだろう。どこかで姿を見られた?それともアンリさまたち側近の誰かから?……ああ、早く殿下と話したい)
村を出たあの日から、エマは一度もレオナールと話せていない。使用人として働いていることが知られてしまったなら、早くその理由をレオナールに伝えたかった。
エマは側近を目指し、これから徐々に立場を上げていくつもりでいると、そう笑って伝えたかった。
ヘッドドレスを着けると、サラリと揺れる黒髪が目に入る。よくここまで黒に近い髪色で産まれたな、とエマは自分で感心してしまう。
この色は、この世界で優遇される色ではない。それでもエマは、前世のプラチナブロンドの髪色より、今の髪色の方が好きだった。
(色が暗いほうが、落ち着く。……レオは、黒混じりの灰色の髪だった)
前世の護衛騎士レオは、その髪色のせいで理不尽な目に遭っていた。そして王女エマリスは、少しの興味からレオに手を差し伸べたのだ。
「……」
「エマ、大丈夫?緊張してるの?」
いつの間にか隣にいたルシアに顔を覗き込まれ、エマは現実に引き戻された。
「だ、大丈夫。少し昔を思い出してて」
「昔?村に住んでいたってときのこと?」
エマが村出身だと知っているルシアが、そう言って首を傾げる。「うん、そう」と笑って誤魔化しながら、エマは村にいる家族のことも思い出していた。
定期的に手紙のやり取りはしているが、この侍女選抜試験に合格したら、一度報告で村に帰ろうと思っていたところだ。
「よし、それじゃあ行ってくるね」
「頑張って、エマ!」
ルシアに手を振りながら、エマは指定されている部屋に向かった。
試験の内容は当日明かされることになっているが、実技だということだけ聞いている。
目的の部屋に辿り着いたが、周囲に他の使用人の姿は見えない。
試験開始時間よりだいぶ早く着いてしまったが、もう部屋の中に何人かいるかもしれないと思い、エマは扉に手を掛ける。
(―――人の気配がする)
小さな物音と、誰かがくすくすと笑うような声が耳に届いた。エマは一度手を止める。
(他の使用人?それとも、もしかして……)
エマが考え込んでいると、背後から足音が近付いて来た。「ねぇ、ちょっと」と声を掛けられ振り返れば、女性の使用人が立っている。
「扉の前に突っ立ってると邪魔でしょ?何、あんたも侍女の試験を受けるつもり?」
見たところ、明るい茶髪からしてそれなりの身分のようだ。エマをじろじろと見て鼻で笑うと、その使用人は追い払うような仕草をする。
「どきなさい。私が最初に入るわ」
「……どうぞ」
エマがすぐに扉を譲ると、使用人は満足そうに笑う。躊躇いなく扉を開いて中に入ったかと思えば、すぐに小さな悲鳴が響いた。
「ひっ!……オレリア殿下……!」
その言葉を聞いて、エマは心の中で「やっぱり」と思った。試験はもうすでに、始まっているということだ。
エマは一度深呼吸をしてから、開け放たれたままの扉へ近付く。その扉を軽くノックしてから口を開いた。
「失礼いたします」
そう言ってから頭を下げ、部屋の中へ足を踏み入れる。静かに扉を閉め、エマは再度頭を下げてから扉横の壁際へと移動した。
そこで侍女の控えの姿勢をとってから、ようやく部屋の中の状況を確認する。
部屋の中央に、装飾の派手な椅子がある。そこに腰掛けているのが第一王女オレリアなのだろう。
緩く巻かれたプラチナブロンドの長い髪に、大きな碧い瞳。光沢のある紫のドレスは、まだ少女であるオレリアに色気を纏わせていた。
オレリアの背後には、侍女が四人並んで立っている。それぞれ不快そうな顔でエマを見ていた。
そして、オレリアたちとエマの間に一人、先ほどの使用人が顔を真っ赤にして震えながら立っていた。
その目が睨むようにエマを見ているが、さすがにオレリアの前で罵声を口にすることはなかった。
エマが涼しい顔で立っていると、扉から残りの使用人たちが四人続けて入って来た。皆がオレリアを見て立ち止まり、慌てて頭を下げている。
最後に入って来た侍女長のジャネットは、オレリアに向かって手本のようなお辞儀を見せた。
「……オレリア殿下。既にいらしているとは存じ上げませんでした。遅くなり申し訳ございません」
「いいえ、ジャネット。ひとまずはみんな指定時間より前に来ているわ」
とても可愛らしい声だった。今のところ、エマの中でオレリアがきつい性格だということに結びついていない。
レオナールによく似た容姿を思わずじっと眺めてしまっていたエマは、綺麗な碧眼と視線が絡む。
「……そこの壁際のあなた。名前は?」
「はい。エマ・ウェラーと申します」
「そう。出身は?」
「モルド村です」
オレリアの背後に控える侍女たちが、途端にニヤニヤとし始めた。侍女候補の使用人たちは眉をひそめている。
ところが、意外なことにオレリアは表情を変えずにエマを見ていた。
内心ドキドキとしながら次の言葉を待っていると、オレリアは他の使用人へ視線を向ける。
「他の候補者たちも、それぞれ名前と出身を教えてちょうだい」
最初に部屋に飛び込んだ使用人が、我先にと手を挙げて名前を言った。他の四人も順に名乗ったが、全員が王都出身の下級貴族のようだ。
オレリアやその侍女たちが地位で選抜するようなら、エマは真っ先に落とされるだろう。
けれどジャネットから聞いた話によれば、選ばれるのは最も虐めがいのある人物だ。
(……あれ?ってことはもしかして、私は完璧な侍女の対応をしなくても選ばれる?)
ついそんな考えがエマの頭に浮かんだが、慌てて脳内で首を振る。あまりに使えない侍女の印象を持たれても困るからだ。
オレリアの侍女となり、レオナールとの接点を作る。これが次のエマの目標であり、希望なのだ。
オレリアはエマを含めた六人の侍女候補を見渡したあと、ジャネットに視線を移す。
「……ジャネット、始めてちょうだい」
「はい。この試験では、あなたたちにはオレリア殿下の身の回りのお世話を実際にやってもらうわ。まずは殿下のドレスに合わせて髪型を整え、髪飾りを選んでちょうだい」
侍女候補が一人ずつオレリアに対して試験を行うと時間がかかるため、オレリアの侍女四人、そしてジャネットがそれぞれオレリアに扮して加わることになった。
オレリアは紫色のドレスを着ており、侍女たちとジャネットは同じ紫の布を上半身に纏う。誰が誰の髪をセットするかは、早いもの勝ちとなった。
「オレリア殿下、ぜひ私にやらせてください!」
最初にエマを押しのけた使用人が、素早くオレリアの背後に移動した。他の四人は同じようにオレリアの侍女たちの背後に移動し、エマは一人取り残される。
エマは別に誰でもよかったのだが、結果的にジャネットの髪をセットすることになった。
「……侍女長、よろしくお願いします」
「ええ、よろしく」
いつもと同じジャネットの毅然とした態度が、エマにとっては居心地が良かった。オレリアの髪を触るより、気楽なのは確かである。
(オレリア殿下は、光沢のある紫のドレス。体に沿った細身のデザイン……ということは……)
エマは実際のオレリアの姿を見ながら、頭の中で似合う髪型を考える。その中から一つの答えを見つけ、口元を綻ばせた。
(よし、使う髪飾りも決めた。とことんアレンジを楽しもう)
花屋の娘だった人生のとき、アレンジを考えて花束を作っていたことを思い出しながら、エマはうきうきと手を動かし始めた。




