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17.エマの立ち位置


『あれっ、エマリスさま。今日は珍しく早起きですね』


『……珍しく、は余計よ』


『はは、すみません。どうしたんです?俺を待っていてくれたんですか?』


『そ、そんなわけないでしょう!ただ……嫌な予感がして、自然と目が覚めたのよ』



 ―――パチ、とエマは目を覚ました。

 体をゆっくりと起こしながら、自然とため息が漏れる。



「……ああ、嫌な夢……」



 今見ていた夢は、前世の記憶だった。それも、命を落とす当日の記憶だ。


 エマはのそのそと準備を始める。

 いつも通り朝食を食べ、身支度をして小屋を出る。中途半端に耕したままの畑を横目に、森の中を歩き出した。


 最初は迷いがちだった王都へ入る道も、ここへ住み始めて一週間が経てば、見慣れた道になっていた。

 葉がカサカサと風に揺れ、色づいた花々が目に入る。澄んだ空気の満ちた森の中を歩くことは、エマにとって唯一気の抜ける瞬間だ。


 森を抜けると、川沿いに歩いて大きな橋を渡る。今日も大勢の人が行き交っていた。

 エマは上着のフードを被りながら、王都へ入る前のいつもの儀式―――門番のチェックを受ける。



「……おはようございます」


「ああ、君か。おはよう」



 今日の門番は、既に何度か会話をしたことのある男性だった。そのことにエマはホッと息を吐く。


(良かった……初めましての門番の人だと、大抵足止めを食らうから)


 まず第一声に、フードを取れと言われる。その通りにすれば、今度はエマの髪色をじろじろ見たあと、「何しに来た?」と高圧的な態度で言われるのだ。

 そこで、城で働く証であるネームプレートを見せると、偽造ではないかと疑われる。

 衛兵に確認が入り散々待たされた挙句、詫びの言葉一つなく王都へ入る許可が出る、というまでが一連の流れだ。


 今日の門番の男性は、初めて会ったときにこの一連の流れを丁寧な口調で申し訳無さそうにしてくれたため、エマの中で好感度は高い。



「規則だから、またネームプレートは見せてもらうよ」


「はい。確認お願いします」


「……よし、確認終わり。行ってらっしゃい」



 ネームプレートを受け取り、エマは笑顔で「行ってきます」と返事をした。



 王都へ入れば、毎回人の多さに圧倒される。門の付近には様々な店が軒を連ね、元気な客引きの声が飛び交っている。

 その先にある大きな広場を抜けると、今度は住宅や宿泊施設が増えてくる。さらにその先に見えるのが、エマの勤め先であり、レオナールが居住しているシェバルツェ城だ。


 そして面倒なことに、城の入口にも門番は立っている。



「……そこのお前、止まれ」



 例によって止められたエマは、素直に立ち止まる。王都で過ごすためには、“出来るだけ従順に穏便に”、が合言葉だ。



「お前のような底辺の人間が、城へ何の用だ?」


「……私は、使用人をしております」



 エマにこりと笑いながら、ネームプレートを見せる。いつもなら、門番はここで胡散臭そうな目をしながらも通してくれていた。

 けれどこの門番は、エマを嘲笑いながら門の前に立ち塞がっている。


 中央の道を挟んで反対側にももう一人門番がいるが、エマが止められていることには気付いていない。

 城へ早く入りたい人たちが列を成してもう一人の方へ流れているため、対応に追われている。



「あの、確認してください」


「ああ、見えてるよ。だが、お前みたいな女が、よく城で働けるなぁと思ってな」



 門番がニヤつきながら、じろじろとエマを見ている。

 その顔にネームプレートを投げつけ、門番の仕事をしろ、と言えたらどんなにいいかとエマは思った。思いながらも、笑顔は崩さない。



「では、通してください。もう一人の門番の方に、負担が掛かってしまっているようですので」


「あ?……ああ、いいんだよアイツは新人だから。大した役にも立たねぇしな」



 エマは心の中で門番を盛大に罵った。これ以上我慢していれば、そのうち口から暴言が飛び出してしまいそうだ。


(落ち着くのよ、私。出来るだけ従順に、穏便に……)



「……それにしてもお前、よく見れば良い体してんじゃねぇか。どうだ?今夜にでも相手してくれるなら、今すぐここを通してやるよ」



 その気持ち悪い笑みを見ても、城の門番らしからぬ言葉を聞いても、エマは必死で笑顔を貼り付ける。


(従順に、穏便に……。………誰にも見られてないところに連れ込んで、蹴り飛ばすくらいは許されるかな?)


 エマが思考を方向転換し始めたとき、背後から声が掛かった。



「―――通行の邪魔です。何事ですか?」



 聞き覚えのある声だった。エマが振り返ると、アンリが物凄く不機嫌そうな顔をして立っている。



「あ……」


「アンリさま!失礼致しましたっ!この女がですね、その……邪魔をしてきましてっ……!」



 エマの言葉を掻き消すように、門番が必死にそう言った。とんだ濡れ衣である。

 アンリは黄土色の瞳を細め、エマを見た。それから再度門番に視線を戻す。



「……彼女のプレートを見る限り、ただの使用人でしょう。門番のあなたが必要以上に構う存在ではありません」


「そ、そうですよね!仰る通りです!」


「なら、早く通しなさい。シェバルツェ城の門番は、人を通すだけの仕事すら出来ないのか、と噂を立てられますよ」



 アンリの威圧的な視線と容赦ない言葉を受け、門番は萎縮してしまったようだ。

 そのうちにアンリは門をくぐり、エマも一応門番に頭を下げてから後を追う。前を歩く背中に声を掛けようとして、エマは踏み止まった。


(……人通りの多い場所で、私がアンリさまに声を掛けるのはやめた方がいいわよね。私はただの使用人で、アンリさまはレオナール殿下の側近なんだから)


 今も、アンリは助けるような対応をしてくれたが、エマを庇うような助け方ではなかった。

 結果的にエマとしては助かったのだが、アンリは感謝されるためにしたことではないのだろう。

 思考を巡らせながら、今度人気のないところで会ったらお礼を言おう、とエマは考える。


 髪色の暗い、平民以下の価値の使用人。

 それが今のエマの立ち位置であり、レオナールのそばに立つために、越えなくてはならない壁なのだ。


 大きく息を吐き出てから、エマは背筋を伸ばして更衣室へと向かった。





「おはよう!エマ」


「おはよう、ルシア。何か良いことあったの?」



 更衣室へ入ると、ちょうど着替えをしているルシアがいた。にこにこと笑顔を浮かべている。



「ふふ、分かる?朝からレオナール殿下のお姿を見れたのよ」


「……えっ」



 ルシアの言葉にエマは着替えの手が止まった。その反応にルシアが目を瞬く。



「もしかして、エマもレオナール殿下狙いなの?」


「ね、狙う!?……ち、ちが、私は……」


「あはは、そんなに慌てなくても!使用人の中で、レオナール殿下狙いの人は多いわよ〜?」



 エマは思わず口をポカンと開けてしまった。使用人が王子を狙う。それは憧れのようなものではなく、本気で射止めるつもりという意味なのだろうか。



「……王都って、身分制度がないわけじゃないよね……?使用人は殿下とその……結婚とか、出来ないよね?」


「結婚!?それはさすがに出来ないわよ。みんなが狙ってるのは、レオナール殿下の愛人の立場よ」


「あ……愛人!?」



 衝撃的な言葉に、エマは声が裏返ってしまった。

 いつの間にレオナールは、愛人を囲うようになってしまったのだろうか。エマの心は途端に黒いモヤに包まれる。


(……逃がさないとか言っていたくせに。結局前世だって今世だって、必死に追い掛けるのは私だけなんだから)


 エマは白いエプロンの紐をぎゅっと結ぶと、荒んだ気持ちで今日の仕事へと取り掛かった。





 いつも通りの洗濯を終え、次の掃除場所へと向かう。エマの担当は一階の渡り廊下の掃除だ。

 土で汚れた廊下を箒で掃きながら、エマはちらりと視線をずらす。視線の先に、騎士の訓練場があった。

 仮面をつけて“珍妙ちゃん”と呼ばれながら騎士と戦わされた、あの訓練場だ。今もそこで騎士が訓練をしており、エマの内心は穏やかではなかった。


(……結局、あのあとウェスさまから何の接触もないし、正直無駄な試合をさせられたとしか思えなかったな……)


 エマは訓練場に背を向けながら掃き掃除を続ける。ようやくマシになったかと思えば強風が吹き抜け、大量の枯れ葉を連れてきた。



「……」



 今日は朝から良いことがないなと思いながら、エマは手を動かし続けた。

 すると、渡り廊下の先から見知った姿が現れた。アンリだ。


(アンリさま……今日はよく見かけるわね。あ、もしかして今、朝のお礼を言うチャンスじゃない?)


 アンリがエマに気付いたようだ。

 その目が見開かれ、何故か視線をエマから右、エマから右へと交互に移す。右方向に何かがあるらしい。

 それから、アンリはエマに向かって大きく追い払うような仕草を見せた。


(―――これは……もしかして、もしかすると……)


 エマの予感は当たっていた。

 アンリのすぐあとから姿を現したのは、レオナールだったのだ。


 プラチナブロンドの髪を見た瞬間、エマは腰の辺りの高さの塀を乗り越え、茂みの中に身を隠す。

 バクバクと暴れる心臓の音を聞きながら、エマはなんとも言えない気持ちになっていた。


(……会えた。レオナール殿下に、会えた。会えたのになんで、隠れなきゃいけないの……!)


 胸元をぎゅっと押さえながら、エマは出来る限り気配を消し、レオナールが通り過ぎるのを待つことになってしまったのだ。



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