16.“珍妙ちゃん”
シェバルツェ国第二王子のレオナールは、執務の気分転換にと城内を散歩していた。
護衛として連れているのはルーベンだ。
城内を連れて歩くなら、側近の中でルーベンが一番気楽だ、とレオナールは思っている。
アンリは事務官や外交官としてはとても優秀だが、口うるさい。
容姿が良く女性に人気があるのに、常に神経を尖らせてカリカリとしているので、そのせいで遠ざけられることも多いと聞く。
ただ、来るもの拒まず去るもの追わずのため、本人は振られても毎回気にしていない。
ウェスはとにかく戦闘センスの塊で、まだ幼いながらも、この国に彼に敵う相手はいないと言い切れるほどの実力を持っている。
けれど正直すぎるところがあり、他人とトラブルになることが多い。また、興味がない相手は名前すら覚えようとしないところがある。
アンリとウェス。
二人とも優秀な側近であることは間違いないのだが、レオナールは一日中一緒にいろと言われたら断るだろう。
それはもちろん、相手も同じ気持ちだとは思うのだが。
側近の中で最年長のルーベンは、手堅く真面目だ。
書類仕事もできるし、剣の腕も立つ。そして何より、レオナールへの忠誠心が誰よりも強い。
「……レオナール殿下、前方に段差があります。お気をつけください」
ルーベンがそう言って、段差のある場所までサッと移動する。とても低い段差だ。
忠誠心と言うより、過保護と言ったほうが正しいのだろうかと思いながら、レオナールは「分かった」と頷いた。
レオナールのことを考えすぎるあまり、ルーベンは暴走してしまうこともある。モルド村での、エマに対する言動がまさにそれだった。
(エマ……エマリスさま。今何をしているのだろうか)
レオナールは今世でのエマの姿を思い描いた。
黒に近い色の、肩の辺りまで伸ばされた艶のある髪。ローズクォーツのような淡いピンクの瞳。
王女の“エマリス”はレオナールと同じプラチナブロンドの髪に銀色の瞳だったので、容姿はとても似つかない。
そもそも、レオナールがモルド村へ辿り着いたことは奇跡のようなものだった。
エマに会う数日前、レオナールは不正を繰り返す伯爵に目をつけ、証拠を集めて伯爵家へ向かっていた。
ところが糾弾しようとする前に勘付かれ、逃げ出され、レオナールが側近たちの制止を振り切って一人で追いかけた。
そして伯爵が逃げ込んだのが、伯爵邸からそう遠くない、モルド村へ続く広い森の中だったのだ。
馬で追いかけたは良いが、自暴自棄になった伯爵はレオナールを待ち伏せていた。
そして腰の辺りを刺され、反撃に出たレオナールの剣は、伯爵の腕を掠めただけだった。
その騒ぎで馬は逃げ出し、レオナールはなんとか自分で傷口の手当てをした。
伯爵を探して森の中を歩き回り、ようやく村を見つけたと思ったところで、動けなくなってしまったのだ。
レオナールが目覚めたとき、すぐそばに一人の少女が膝を抱えて眠っていた。
まさかその少女が、前世で仕えていた王女だと誰が分かるだろうか。
(……あのときの完璧な礼を、俺は未だに覚えている。でもあのときも、まだエマとエマリスさまが結びつかなかった)
エマという名前に引っ掛かりを覚えたのは、おそらくレオナールの中の前世の記憶が呼び起こされる寸前だったからだろう。
レオナールには、最初から前世の記憶があったわけではなかった。
エマと出会い、それが前世を思い出す一つのきっかけとなったのは間違いない。
レオナールが完全に前世を思い出したのは、村の祭りでエマが踊った舞を見たときだった。
完璧で美しい舞を見た瞬間、レオナールは前世の記憶を一気に思い出した。
あまりの記憶の波に頭を揺さぶられ、よろめいて膝をつき、そのとき既に合流していた側近三人に心配されたほどだ。
(そして……俺が前世で教えた通りの、刃物を持った相手との戦い方。エマリスさまだと確信したとき、心が震えた)
かつて、“護衛騎士レオ”として“王女エマリス”に仕えていた人生。
結果的に謀反を起こした者にやられてしまったが、前世で過ごした日々はレオナールにとって、そう簡単に切り離せるものではなかった。
だから、エマの本音を暴いてまで王都に連れてきてしまったのだ。
(アンリから、俺が用意した職業を選ばなかったと聞いたときは、他に何かいい考えがあるんだなとは思ったが……。早く姿を見たいな)
レオナールがぼんやりとした思考で歩いている間も、ルーベンは常に周囲を鋭い目で睨んでいた。
すると、目に止まるものがあったらしい。
「……殿下、何やら騎士たちが集まっています」
「……ん?」
エマの姿を一旦頭の隅に追いやり、レオナールは訓練場へ視線を向けた。ルーベンの言う通り、騎士たちが集まって騒いでいる。
近付くにつれて、その会話が聞こえて来た。
「……いや〜、悔しいよなぁシルヴァン」
「いや、俺は別に……」
「バッカお前、あんな珍妙な子の相手させられて……」
「っていうか結局、あの珍妙ちゃんて誰だったんだ?」
「―――珍妙ちゃん?」
耳に届いた変な単語に、レオナールは思わず眉を寄せながら声を出す。
その瞬間、騎士たちの会話がピタリと止まった。次いで、すぐに騎士の一人がレオナールとルーベンの姿に気付いた。
「レ、レオナール殿下!ルーベンさま!」
騎士たちが一斉に姿勢を正し、レオナールに向かって頭を下げる。
似たような髪色の頭の騎士たちを眺めながら、レオナールはすぐに直るよう声を掛けた。
「……それで、珍妙ちゃん、とは何だ?ルーベンは知ってるか?」
「……いえ、初めて聞きましたが……。誰か説明してくれ」
腕を組むルーベンの威圧的な態度に、騎士たちが無言で視線を送り合っている。「お前が説明しろよ」「いやお前が」という声が聞こえてきそうだ。
ルーベンは身長が高く体格もしっかりしている。そしてそのつり目のせいで、常に不機嫌かつ威圧的に見えてしまうのだ。
意外と小心者で気遣い屋だけどな、とレオナールは思いながら、一人の騎士に目を付ける。
その騎士は、レオナールと目が合う直前にスッと視線を逸らした。相手を観察していることを悟られないようにする、上手な視線の逸らし方だった。
けれど、レオナールには通じない。
かつて同じ立場の騎士であったことがある以上、実力者を見抜くことは容易かった。
「……そこの君、良かったら教えてくれないか?」
その騎士の名前を、レオナールは知っていた。
将来有望な人間の名前は、その都度覚えている。けれど、この場で示すことはまだしない。
「はい、もちろんです。レオナール殿下」
レオナールが声を掛けた騎士は、紫の瞳に一瞬の動揺を滲ませながらも、すぐに笑顔を作る。
「つい先ほど、ウェスさまが訓練場へいらっしゃいました。そしてそのあとすぐ、頭にフードを被り、仮面をつけた正体不明の女性が現れたのです」
「……仮面?」
「そうです。そして私はウェスさまに指名され、その女性の仮面を外すべく試合をしました。結果、私は負けてしまいましたが」
正体不明の女性に負けた、と話しているその表情は、穏やかなものに見えた。
レオナールは、こっそりと目を掛けている騎士―――シルヴァンが負ける姿が想像できずに眉を寄せる。
「もしかして、ウェスがとんでもない条件の元で試合をさせたのか?」
「……いえ、私は相手の仮面を外せば勝ち、彼女は私に触れることが出来れば勝ち、という試合でした。ただ……」
そこでシルヴァンが言葉を区切る。何かを思い出したのか、その口元が僅かに緩んでいた。
「……ただ、彼女が転び、私は危ないと思い手を伸ばして支えました。その腕を、彼女が掴んだのです」
「なるほど、そういう“負け”か」
レオナールは納得した。そしてその仮面を被った奇妙な姿から、“珍妙”という単語が出たのだろう。
「……それで、その不審な女はどこだ?」
ルーベンの問いに、シルヴァンが首を横に振る。
「分かりません。気付けば彼女の姿は消えていました。私たち騎士は、彼女の顔も声も、名前すら知りません」
「……なんだと?見るからに怪しい女をお前たちは……」
「ルーベン。きっとウェスが、何か知ってるだろう」
騎士たちに食って掛かろうとするルーベンを、レオナールは止めた。ウェスが絡んでいるのなら、直接聞いた方が話は早い。
あの奇天烈な側近の少年は、常に“面白いか”“面白くないか”で行動をしている。
そんなウェスが巻き込んだということは、その正体不明の女性は、ウェスの“面白い”の部類に入る存在であるということだ。
(あのウェスに気に入られた、仮面をつけた珍妙な女性……。戻ったらすぐ、ウェスに聞いてみるか)
レオナールは騎士たちに会話を中断させてしまった詫びを入れてから、足早に執務室へと戻る。
そこには、いつものように神経を尖らせた顔で書棚を行き来するアンリと、ソファの上でのんびりとくつろぐウェスの姿があった。
レオナールが口を開く前に、ルーベンがウェスの元へ大股で近付いて行く。
「……ウェス!お前、どうしてすぐ殿下に報告をしないんだ!」
「やだなぁルーベンさん、そんなに眉をつり上げて……アンリさんじゃないんだから。どうしたんです?」
「仮面をつけた珍妙な女と、騎士を戦わせたそうじゃないか!」
ルーベンの言葉のあとに続いて、バサバサッ!と大きな音が響いた。
書棚の前でアンリが口を開けて立っており、手に持っていた本が全て床に落ちたようだ。
レオナールは首を傾げながらも、アンリからウェスへと視線を移す。
「それでウェス、その女性は誰なんだ?」
「あ〜、珍妙ちゃんですね!えーっと……」
ウェスは珍しく視線を彷徨わせたあと、頬をポリポリと掻きながら笑った。
「名前、忘れました!」
その悪びれる様子もない笑顔を見て、レオナールはため息と共に肩を落とすのだった。




