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15.面倒くさいタイプ


 シルヴァンと対峙するように訓練場の中央へよろよろと移動したエマは、遠い目をしていた。


 どうしてこうなってしまったのか。

 レオナールのそばに近付きたくて、通過点に選んだ使用人として働けることになったのに、なぜか仮面をつけて騎士と戦うことになっている。



「ええと……準備が出来たら、合図をください」



 シルヴァンが言いづらそうに口を開く。

 丸腰の得体の知れない女相手に戦うことになったシルヴァンもまた、ウェスの被害者だった。


(……気は遣ってくれてる様子だけど……騎士としてのプライドもあるだろうし、手加減はしても確実に仮面を狙ってくるはず)


 エマの仮面が外れたところで、シルヴァンにはなんの関係もない。

 仮面が外れて困るのは、この場では当人のエマだけだ。素顔を晒せば、そのうち城内の使用人だと特定されてしまう。

 成り行きはどうあれ、下手な変装で騎士を巻き込んでいるこの状況は、レオナールの側近を目指しているエマにとっては不利な状況だ。


(ウェスさまの目的は何?付き合って、って言ったのは、この状況のことよね?)


 ウェスの思考は、いくら考えたところで分かるはずもない。そう諦めたエマは、小さく手を挙げて合図を出した。

 シルヴァンがそれを見て頷き、ウェスに視線を送る。



「んじゃ、仮面を外したらシルヴァンの勝ち、シルヴァンに少しでも触れられたら珍妙ちゃんの勝ちねー!よーい、始め!」



 “珍妙ちゃん”だなんてあんまりではないか。そう思いながら、エマは目の前の相手に意識を集中させた。

 シルヴァンはどう攻めようか考えているのだろうか、剣を握ったままエマをじっと見て動かない。


(前世のとき、レオが騎士たちと訓練している様子を何度も見た。だから、構え方で分かるけど……この人、だいぶ実力者じゃない?)


 体の重心、剣の握り方、視線。

 前世で“レオ”が言っていたことを、エマは思い出す。


 『試合開始の合図のあとって、個性が出るんですよね。先手必勝とばかりにすぐ斬りかかる者、逆に相手の出方を待つ者……』


 『どっちが優位なの?』


 『相手とそのときの状況にもよるので、どちらがいいとは言えませんね。ちなみに俺は自分から飛び込んで、剣を交えながら相手の力量を見てじわじわ追いつめるタイプです』


 『ああ……レオはそんな感じよね』



 シルヴァンは、相手の出方を待つタイプのようだ。

 けれどそういう慎重な相手ほど、気を抜いてはいけないと“レオ”に言われたはずだ。


 そして、エマはふと気付く。今のエマは丸腰で、見るからに警戒されるような出で立ちではない。

 この勝負もあってないようなもので、二人を囲む周囲の騎士たちは、誰もがシルヴァンの勝ちを確信しているように思える。

 仮面の外れたエマの素顔を見ようと、周囲に集まって来ているのだ。


 では、そんな警戒する必要のない相手(エマ)の出方を、どうして待っているのだろう。

 まるで、自分の実力ではすぐに踏み込めないと主張しているかのようだ。


 ―――『そうそう、実力がないと油断させておいて、一気に実力を出してくる面倒くさいタイプもいますからね』


 不意に思い出した言葉に、エマはハッとする。シルヴァンは、エマの油断を誘っているのだ。

 もしかしたら勝機があるのではと錯覚させ、油断を誘う。エマが少しでも動き出す瞬間を狙って―――確実に、仕留めるつもりなのだろう。



「……」



 お互いが、その場からじっと動かずに向かい合っている。

 ウェスは口元に笑みを浮かべているが、周囲の騎士たちはつまらないと思い始めたようだ。



「シルヴァン!何やってんだ、相手は丸腰だぞ!」

「そうだぞシル、負ければ騎士の名折れだぞ!」



 騎士たちの野次は、シルヴァンの耳に入っていないようだった。エマの動きを一つも逃さないよう、集中しているのが分かる。


(やっぱり……実力のある騎士なのね。そして私は、前世で実力のある騎士をずっと見てきた……それなら)


 エマは唐突にシルヴァンに向かって走り出す。予想通り、シルヴァンはすぐに動いた。


 一気に距離を詰められ、シルヴァンがその手の剣を横に振る。

 仮面を狙って振るわれたその切っ先を、エマは受け止めるすべを持たない。

 ―――が、全力で避けることはできる。


 エマは立ち止まった瞬間、わざと地面を後ろに向かって蹴った。それにより、体が後ろに倒れていく。

 周囲には、急に立ち止まった勢いで後ろによろけたように映っただろう。



「!」



 シルヴァンの剣が、風を斬る音と共にエマの頭上を横に通り過ぎていった。

 そして目を見開いているシルヴァンの片手が、倒れる寸前のエマの腕を掴む。


 ―――その瞬間、エマはフッと口元を緩ませた。


 騎士たちの野次がピタリと止まり、静寂に包まれる。沈黙を破ったのは、パチパチと乾いた拍手の音だった。



「そこまでだね〜、はい、お疲れ」



 ウェスがにこりと笑みを浮かべると、騎士たちの間に動揺が走った。



「これは……?無効試合か?」

「見事にすっ転んでたもんな……」

「シルヴァンもさすがに、追い打ちをかけるなんてこと出来なかったか」


「なーに言ってんの?よく見なよ、珍妙ちゃんの勝ちでしょ」



 え!?と騎士たちが声を揃えて叫ぶ。

 多くの視線が、エマの手を―――シルヴァンの腕を掴んでいる、その手を捉えた。



「………“シルヴァンに少しでも触れられたら”……」

「………“珍妙ちゃんの勝ち”……」


「え……ぇえええええ!?」

「それってアリですか!?シルが可哀想すぎる!」



 ガヤガヤと盛り上がる騎士たちを、シルヴァンがちらりと一瞥する。

 はあ、とあからさまなため息を吐いてから、エマの腕をぐいっと引いた。



「……ケガは、ありませんか?」



 エマはこくこくと何度も頷いてから、シルヴァンの腕を指差し、頭を下げた。


(倒れないように助けてくれたのに、咄嗟に腕を掴んでしまってごめんなさい―――って、そう私が思っているように伝わったらいいんだけど)


 もちろん、実際にはエマは勝てるよう計算して動いたのだ。

 わざと倒れるようにして剣を避け、エマが女性であることを気にしていたシルヴァンなら、黙って倒れるのを見ているなんてことはしないだろうと、そう判断した。

 予想通りにシルヴァンはエマの腕を掴み、エマはそのシルヴァンの腕を掴み返したのだ。



「顔を上げてください。負けたことなら、気にしていませんよ」



 頭上から振ってきた声に、エマはホッとして顔を上げる。

 けれど、シルヴァンの紫の瞳は妖しく光っていた。思わずヒュッと息を飲む。



「どうやらあなたは……俺と同じタイプのようだ」



 小さくそう呟くと、シルヴァンは騎士たちの元へ戻って行った。

 ねぎらいの言葉を掛けられ笑っているシルヴァンの背中を見ながら、エマの心臓はドクドクと脈打っている。


(わ……わざと転んだってバレた……?)


 シルヴァンと入れ替わるようにして、ウェスが小走りでやって来た。



「珍妙ちゃん、付き合ってくれてありがとね〜。面白いものが見れたよ」


「……」


「仮面、避けられて良かったね。やっぱり君には興味が湧くなぁ……それじゃ、今のうちに戻りな。お疲れ〜!」



 トン、と背中を押され、エマは何も言えずに来た道を戻った。ドッと疲れが押し寄せてくる。

 窓を乗り越え、先ほどの部屋に戻り、使用人の服に着替える。エマは仮面を外し大きく息を吸いながら、同じように息を吐き出した。


(……私、一体ここで何をやってるんだろう……?)


 レオナールに近付くどころか、遠ざかっているような気がしてしまう。

 会いたいな、と口から言葉が零れ落ちそうになり、エマは頭を振った。


(自分で決めた道でしょ、エマ。少しずつでもいいから、レオナール殿下に向かって進み続けるの)


 両頬をペシッと叩いて気合いを入れ、エマは部屋を出た。



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