14.使用人3日目の奇行
輝く太陽の下、真っ白なシーツがバサリと翻る。
「エマ……あんた、手際いいわねぇ」
「あはは、ありがと」
何枚ものシーツを干しながら、手際を褒められたエマは笑った。その向かい側で、同じ使用人のルシアが感心したようにエマを見ている。
「前もどこかで使用人をしてたの?」
「ううん、ただ家事が得意なだけだよ」
城の使用人として働き始めて、早くも三日が経った。
エマの教育係としてついてくれたルシアは同年代の少女で、この城で十三歳のときから働いているらしい。
平民だが、明るめの茶色の髪を持っている。最初は暗い髪色のエマを見て驚いていたが、普通に話してくれており、仕事の教え方も丁寧で分かりやすかった。
「洗濯が終わったら、お昼休憩を挟んで部屋の掃除ね。今日は個室だからまだ楽だわ……数はあるけど」
「そうだね。大広間は大変だと思った」
「でしょお?人手が足りないのよね〜」
エマは初日に大広間の掃除に当たり、とても疲れたことを思い出す。
大広間はパーティーのときなどに使用されるため、埃ひとつ見逃せばそれはもう怒られるのだ。
まだ働き始めて三日だが、人手不足だということはなんとなく気付いていた。
この城はエマが前世で住んでいた城より大きいが、使用人の数はとても少ないのだ。
けれど、その人手不足がエマにはありがたかった。
求人がすぐに見つけられたし、すぐにでも人手が欲しいということで、面接をしてその場で採用してもらえたからだ。
「みんな、仕事がきつくて辞めてくの?」
パン、とシーツを広げながらエマが問い掛けると、ルシアは「ん〜……」と唸る。
「仕事内容と給料が見合ってない、って人もいるだろうけど……それだけじゃないのよね。ま、そのうち理由は分かるわ。あたしたちは大丈夫だと思うし」
「?」
よく分からないが、ルシアは話す気がないようなので、エマはそれ以上聞かずに手を動かす。
「そうだルシア、お昼の時間なんだけど、今日は別の場所で食べるから」
「ん、了解。なになに?男?」
「違うよ。ちょっと用事があるだけ」
ニマニマと笑うルシアに苦笑しながら、エマは空を見上げる。
実はルシアの言う通り会うのは男性だけどと、思いながら。
昼休憩の時間になり、エマはルシアに別れを告げて歩き出す。
指定の場所が記された地図を確認しながら、細心の注意を払った。レオナールとの遭遇を避けるためだ。
(私としては、レオナール殿下に早く会いたいんだけど……アンリさまがなんだか可哀想だし……あ、遠目から姿を見るくらいならいいのかな?)
そんなことを考えながら歩いていると、時々視線を感じる。
同じ使用人や、衛兵、騎士など、みんなエマの髪色が気になっているのだろう。
エマが働き始めて三日。まだ目立った差別や嫌がらせはされていない。面接をしてくれた侍女長も、エマに対して普通に接してくれていた。
(……思ったより、みんな髪色を気にしてない……?でも、村で貴族の男は明らかに差別してたか……あ、思い出したらまたイライラしてきた)
あの男は結局どうなったのか、レオナールの傷はもう良くなったのかとエマが思考を巡らせていると、目的の場所に辿り着いた。
見たところ、普通の部屋のようだ。
軽くノックをすれば、中から返事が聞こえてくる。エマが扉を開けて中へ入ると、その人物は片手を挙げた。
「やっほ〜お疲れ。待ってたよ」
「お疲れ様です、ウェスさま。お待たせしてすみません」
エマの待ち合わせ相手は、レオナールの側近であるウェスだ。
ウェスはイスからひょいと立ち上がると、テーブルに置いてあった大きめの袋をエマに差し出してくる。
「はい、これに着替えて」
「……え?」
「着替えたら、この窓から外に出て。すぐ近くに騎士の訓練場があるから、そこに集合ね〜」
「え??」
わけが分からず疑問符を浮かべるエマの手に、ウェスは無理やり袋を渡す。そしてヒラヒラと手を振り、引き止める間もなく窓から消えていった。
「……え、どういうこと?」
エマは混乱したまま開いた窓を眺める。
この前「付き合ってよ」と言い出したウェスに、今日の昼にここに来るよう言われていたのだが、まだ何に付き合わされるのかは聞いていない。
エマは仕方なく大きな袋の中身を確かめると、服が入っていた。
服は白いシャツと黒いボトムスという普通のものだが、一つだけ明らかに異質なモノも入っている。
「……」
エマはため息を吐き出すと、覚悟を決めた。
ウェスはレオナールの側近で、おそらく貴族だ。ならば、従うしか道はない。
ごそごそと着替えてから、窓の外へと出る。言われた通り、すぐ近くに訓練場があった―――が、エマは思わず足を止めた。
(……騎士があんなにいるなんて、聞いてないんですけど……!?)
訓練場には、何人もの騎士の姿があった。自主練をしている者、座って昼食を食べている者、談笑している者。
そしてその談笑している者たちの中心に、ウェスの姿があった。
すると、ウェスがエマに気付き大きく手を振る。
「来た来た、おーい!そんなとこで突っ立ってないでこっち!早く〜」
ウェスの声に、騎士たちの視線が一斉にエマへ向けられた。そして、一斉に目を見開いて固まる。
それはそうだろうなと思いながら、エマは観念してウェスの元へと歩き出した。
ヒソヒソと騎士たちの囁く声が耳に届いてくる。
「……誰だ?ウェスさまのお知り合いか……?」
「……背格好からして、女だよな?」
「……というか、あの仮面はなんだ……?」
そう。エマの顔は今、騎士たちからは見えていない。
頭にはすっぽりとフードを被り、顔は仮面に覆われている。白塗りの仮面で、開いた目元の周辺にはごてごてと派手な装飾が付いていた。
鼻のあたりと口元に呼吸のための穴が空いてはいるが、呼吸がしやすいとは言い辛い。
突然現れた異質な存在に、騎士たちが眉を寄せてざわつくのも無理はなかった。
一方で、ウェスは楽しそうな笑顔を浮かべている。
(私の正体を隠そうとしているんだろうけど……こんな格好でこれからさせられるのは何?)
エマは仮面の下で顔をしかめながら、ウェスの目の前で立ち止まる。
ウェスの周囲に集まっていた騎士たちが、若干距離を取ろうと離れていく。得体の知れないものを見る目をしていた。
「ちゃんと着替えたね。あ、声は出さなくていいよ。今から君は、正体不明の対戦相手だから」
「……」
―――対戦相手。
サラリと告げられた言葉に、エマの顔からサアッと血の気が引く。
騎士たちがまたざわつき始めた。
「対戦相手……?ウェスさまの、ですか?」
「違うよ、さすがにオレとじゃ勝負にならないから。シルヴァン、どう?」
シルヴァンと呼ばれた騎士が、ピクッと反応を示してからエマを見る。
「俺……ですか?さすがに初めて会った、視界の悪そうな仮面の珍妙な女性の相手はちょっと……」
「あっはは!珍妙って!」
ウェスは笑っているが、エマはとてもじゃないが笑えなかった。
変な格好をさせられた上に、騎士と戦わされそうになっているのだ。何の嫌がらせだろうか。
「ま、いいじゃん。ちょっとした余興だと思ってさ〜」
「はあ、ウェスさまがそう仰るなら……。というか、このお方の実力はどのくらいなんですか?」
「え?知らないよ。知らないから、知りたいなと思って」
騎士たちの間に、あの女は一体何者?という空気が漂い始めた。
エマは今すぐにでも走って逃げ出したい気持ちになったが、そうすればウェスが追い掛けてくるだろうと思い諦める。
けれど、このまま戦うわけにもいかなかった。なぜならば、エマは剣を握ったことは一度もない。
「……、……!」
声を出さなくていいと言われたため、エマは必死に身振り手振りで訴えた。
ウェスの腰の剣を指差し、握って振り下ろす動作をしてから、両手で大きくバツ印を作る。
「え?なに?……やっぱり見れば見るほど君、珍妙だね〜」
「……ウェスさま。もしかして彼女、剣を扱えないのでは……?」
ケラケラと笑うウェスに、シルヴァンがエマの伝えたかったことを言ってくれる。エマは大きく何度も頷いた。
「ええ?剣使ったことないの?……でも、あの動きができたのかぁ……」
最後にボソリと付け加えたウェスは、じゃあこうしよう、とポンと手を叩く。
「シルヴァンはあの仮面を狙って攻撃する。で、君はそれをひたすら避ける。なんなら素手で反撃しても良い。どう?」
「……」
「あ、使うのは練習用の偽物の剣だから。当たればそれなりに痛いけど〜」
呆然と立ち尽くすエマに、シルヴァンが同情の視線を向けてくる。周囲に集まってきていた騎士たちの目も、「可哀想に……」と言っていた。
ウェスが練習用の剣をシルヴァンに向かって投げてから、エマの肩をポンと叩く。
「じゃ、頑張って!素顔を晒したくなかったらね!」
仮面の裏で、エマは表情を無くす。
無邪気に笑うウェスの頭に、悪魔のツノが見えたような気がした。




