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12.側近:アンリの憂鬱


 翌朝、思ったよりスッキリとした気分でエマは目を覚ました。


 簡素なベッドも、薄いシーツも、村での暮らしに比べれば快適だった。

 ルーベンが言っていた通り、生活に困らない家具は揃っており、食料庫には七日分ほどの食材が詰め込まれていた。その中から適当に選び、小さなキッチンで朝食を作り始める。


(軽く食べたら、少し森の中を散策して……あれ、そういえばアンリさまっていつ来るんだろう)


 首を傾げながら、エマは同じようにフライパンを傾ける。

 仕事を紹介してくれるとのことだったが、何時に来るとは言っていなかった。あまりここから離れない方がいいか、という結論に辿り着く。



 エマは朝食を終えると、クローゼットから服を取り出して着替えた。

 王子の側近に会うには失礼なほどにくたびれた服だが、もう今更だろうと諦める。



「……小屋の周りに、畑でも作ろうかな」



 口に出してから、いい考えだとエマは顔を輝かせた。

 何度も王都に買い出しに出掛けることは面倒だし、畑で作物を育てれば節約になる。

 エマは村でいつもしていたように頭にバンダナを巻き、一番土の状態がいい場所を選び雑草をむしり始めた。


(そうだ、畑を耕せる道具がないと……小屋のどこかにあるかな?なかったらお城のものを借りれたり……しないか。さすがに厚かましいわよね)


 何の種を蒔こうか、花も植えてみようか、と考えながらひたすら雑草をむしっていると、気付けばだいぶ時間が過ぎていたようだ。



「……何をやってるんです?」



 呆れたような顔をしたアンリが、エマの姿を見るなりそう言った。

 エマは雑草を掴んだまま、慌てて立ち上がる。



「アンリさま、すみません。本日は遠いところ、わざわざ足を運んでいただき……」


「そんなに畏まらなくていいですよ。ここはあなたの村に比べたら城から近いですし、庭みたいなものですから」



 そう言ったアンリの視線が、エマの手の雑草へ向く。



「……とりあえず、その雑草をどうにかしてください。それとも、このままここで説明を始めた方がいいですか?」


「いえ、片付けます。すぐに」



 抜いた雑草の山をササッと片付け、エマは玄関の扉を開ける。

 中へ入ったアンリは、一度部屋の中を見渡すように立ち止まった。



「……あのときの、ままですね」


「えっ?」


「いえ、なんでもありません。早速ですが本題に入りましょう」



 一度頭を振り、アンリがふわりと微笑んだ。

 改めて真正面から見ると、とても整った顔立ちだった。今の笑顔で間違いなく、多くの女性は虜になってしまうだろう。

 けれどエマがドキリともしないのは、すでにエマの心は別の人物に奪われているからだ。



「……はい。よろしくお願いします」



 アンリの話を聞こうと姿勢を正すと、黄土色の瞳がじっと向けられる。



「本当に不思議な方ですね、あなたは。土いじりを厭わない平凡な村娘かと思えば、拍手を送りたくなるほどの綺麗な姿勢を見せるんですから」


「それは……褒められていますか?」


「褒めていますよ。本題から逸れましたね、では……」


「あっ、すみませんその前にひとつだけ!」



 何枚かの書類をテーブルに広げたアンリの言葉を遮るように、エマは片手を挙げた。



「私に敬語は使わなくて大丈夫ですので。前世は王女でしたが、今はただの平民です」


「……ああ、気にしないでください。この言葉遣いは一種の防衛本能のようなものですから」


「防衛本能……ですか?」



 思わず問い掛けてしまったエマだったが、返ってきたのは完璧な笑顔だった。これ以上話す気はないらしい。



「……話を遮ってすみませんでした。続きをお願いします」


「はい。では、まずはこちらを」



 アンリがテーブルに広げたのは、三枚の書類だった。

 よく見れば、そこにはそれぞれの仕事内容と、仕事をするにあたり必要なことや給料などの項目が細かく記載されていた。


 エマはまず、仕事内容を確認する。

 花屋の手伝い、踊り子、畑仕事の手伝い。

 見事に前世の前世から今世に至るまでの、エマの得意なことが選び抜かれていた。


(……きっと選んでくれたのは、レオナール殿下ね)


 この三つの仕事ならば、出自はあまり問われない。エマの髪色も考慮して選んでくれたのだろう。

 続いて給料の欄に目を走らせてみると、踊り子が一番高い。けれど、これは人気になった場合だ。


 踊りや舞なら自信があるが、他の踊り子を差し置いて、村出身で髪色の暗いエマが人気になることはないだろう。もし運良くなれたとしても、嫌がらせをされる様子が目に浮かぶ。


(仕事内容とお給料を考えると、無難なのは花屋ね。前世の前世で花屋の娘だったことは、レオナール殿下は知らないはずだけど……私のことを、よく分かってくれてる)


 レオナールを思い出し、エマは笑みが零れた。そんなエマをアンリが不思議そうに見ている。



「どうしました?いい仕事がありましたか?」


「……はい。決めました」



 エマは三枚の書類を揃え、アンリに差し出してにこりと微笑んだ。



「この中に、私が望む仕事はありません。―――なので、自分で探します」



 目を丸くしたアンリは、しばらくその場を動かなかった。






***



 城内を歩くアンリは、誰が見ても怒気を纏っていた。

 使用人は見てみぬフリをして素通りし、衛兵は触れれば爆発するとばかりに怯えた目でその姿を追っている。


 そんなアンリの背中を、臆することなく叩いた少年がいた。



「やっほ〜アンリさん!今日も面白いくらいに怒ってますね!」


「……ウェス」



 ゆっくりと振り返ったアンリの目が、同じ側近であるウェスを捉えてギラリと光る。

 ウェスはケラケラと笑いながら、頭の後ろで手を組んだ。



「もー、そんなんだからアンリさん、恋人にすぐ振られちゃうんですよー。極上の容姿に釣られても、中身は沸点が低くて実年齢より老けた男だなんて……」


「誰のせいで沸点が低いと思ってる?誰のせいでいつも疲れてると……」


「どうしてオレを見るんですか?アンリさんがいつも怒って疲れてるのは、殿下のせいでしょ?」


「……」



 とてつもなく不敬な発言だが、事実も含まれるためアンリは肩を竦めるしかなかった。

 もちろん、ウェスもアンリを怒らせる原因の一因である。

 もう一人の側近であるルーベンは、ウェスに比べればだいぶマシだ。融通が利かないところが残念ではあるが。


 さらに、いつもよりアンリが苛ついていることには理由がある。



「それで、あの子が何かしたんですか?」



 ニヤリと笑いながら、ウェスが核心を突く。

 “あの子”とは、もちろんレオナールが執心中の村娘、エマのことだ。

 アンリはウェスに叩かれた背中を擦り、再び歩き出しながら口を開く。



「……何かをしたわけじゃない。何もしなかった」


「え、どういうことですか?」


「レオナール殿下が選んだ仕事を、全て拒否した」



 苛つきを隠そうともせず、早口でそう言ったアンリの言葉に、ウェスは「へぇ〜」と何故か楽しそうに笑っている。



「それで、報告したあとのレオナール殿下の反応はどうだったんです?」


「……特に何も。一瞬眉を寄せていたが、すぐに“分かった”とだけ……」


「あはは、なんだか面白いですよね、あの二人」


「面白くもなんともない」



 アンリはピシャリと言い放つ。とんだ無駄足を踏まされた気分だった。

 一人で村に残ると言い張ったレオナールを迎えに行ったときも、今も。

 たかだか前世で仕えた人物を、今世でも気に掛ける必要はあるのかとさえアンリは思う。


 レオナールとエマの間で前世に起きた出来事の全てを、アンリたち側近は知っているわけではない。

 ただそれを聞いたところで、今のアンリの行動に関わってくるとは思えなかった。

 だから余計に、突然現れたエマという異質な存在を、アンリはそう簡単に受け入れることができないのだ。


(よりによって―――この、大事な時期に)


 アンリは深いため息を吐きながら、押している仕事のために城内を駆け回るのだった。





 ―――そして、三日後。


 少しだけ落ち着いた気分で城内を歩いていたアンリは、ピタリと足を止めた。

 気のせいだろうか。今通りすがった女性の使用人が、とても見覚えのある顔をしていたのは。


 機械人形のようにゆっくりと振り返れば、相手も振り返ってアンリを見ていた。

 ピンク色の瞳がアンリを捉え、その使用人がにこりと笑う。



「―――こんにちは、アンリさま」



 白いヘッドドレスの下で、黒に近い髪が揺れていた。



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