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11.側近:ルーベンの葛藤


 モルド村から王都まで、二時間ほどで到着した。


 途中何度か休憩を挟んでくれたのだが、ずっと同じ体勢で座っていることがエマにはなかなか辛かった。

 王女の人生のときは、もっと姿勢良く座っていられたはずだ。けれど、村娘として動き回る生活が馴染みすぎているようだった。


 馬車が停まったのは、王都に入る手前にある大きな橋の前だった。

 扉が開かれ、ムスッとした不機嫌な顔が現れる。



「……到着だ。ここからは徒歩で向かう」


「はい」



 そう言ってエマが馬車から降りるのと、ルーベンがスッと手を差し出すのがほぼ同時だった。

 行き場のない手を差し出したまま固まるルーベンを見て、エマは心の中で「やらかした!!」と叫ぶ。

 エスコートという存在を、すっかり忘れてしまっていた。



「す、すみません!エスコートをされ慣れていないので!」


「……王女だったんだろう」


「あ、はい。その通りなんですが……疎まれる王女だったと言いますか……」



 エマは自分で言っていて悲しくなる。

 ルーベンは眉を寄せていたが、それ以上深く訊く気はないようだった。

 すぐに身を翻すと、大きな歩幅でどこかへ向かって歩き出す。その手には、いつの間にかエマの鞄が握られていた。



「ルーベンさま、鞄は自分で持ちますので……」


「……君は、俺がレオナール殿下に任された客人に、荷物を自分で持てと言うような男だと?」


「そんなことは思っていませんが……では、よろしくお願いします」



 ああ、この人はまた面倒くさいタイプだ。

 そんな失礼な感想を抱きながら、エマは伸ばしていた手を引っ込める。


 大きな背中を小走りで追い掛けながら、エマは気付いた。

 王都へ続く橋を渡らず、その周囲を囲むように流れる川に沿って歩いている。……ということは、向かっている先は王都ではない。



「……」



 自然とエマの目は、ルーベンの腰に下がる長剣を映す。


(まさか、人気のない場所で斬られる……?でもレオナール殿下の客人って言ってくれたし、大丈夫だよね……?)


 ルーベンから少し距離を取って移動していると、小さな橋が見えた。その先に続くのは森だ。

 エマは警戒を続けながら、森の中へ足を踏み入れるルーベンについていく。

 お互いに無言のまましばらく歩き続け、ポツンと建っている小屋が目に入ったとき、エマはようやく理解した。



「……ここが、君の拠点だ」



 ルーベンはエマを一瞥すると、小屋の扉の鍵を開け、その鍵を手渡してきた。じっと見つめるその目は、エマの反応を観察しているのだろう。


 確かに、エマは王都に部屋を用意してもらえるものだと思い込んでいた。

 けれどアンリは、“必要最低限の生活”としか言っていなかったのだ。


 王都にやって来たばかりの、何の後ろ盾も職もない、ただの村娘。

 その辺で野宿しろと言われても仕方ないのに、屋根のある場所を用意してもらえるだけでもありがたい。



「ありがとうございます。助かります」


「……狭い小屋だが、生活できる家具は揃っている。森の中だが、危険はないはずだ」


「そうですね、私にとっては王都の方が危険です」



 黒に近い髪に、みすぼらしい服。この姿で王都に入れば、間違いなく心無い言葉でぐさりと刺されるだろう。

 もしかしたら、その辺りを気遣ってもらえたのかもしれない。



「このあとは、私が好きに生活する感じでしょうか?」


「……いや、今日のところはこれで終わりだが、明日はアンリが来る。そこでいくつか職を紹介する予定だ」


「えっ!仕事まで用意してくれたのですか?」


「……用意したわけじゃない。少ない選択肢を与えるだけだ」



 その中の希望の仕事に就けるかどうかは、エマ次第ということらしい。それでも、一から自分で探すよりはだいぶ助かる話だ。



「……私のような、ただの村娘に親切にしてくださり、ありがとうございました」



 ぺこりと頭を下げれば、ルーベンは顔をしかめた。



「……君とは、もう二度と会うことはないかもしれない。だから、一つだけ訊いてもいいか」


「はい。なんでしょうか」


「本当に、ただの村娘がレオナール殿下の近くまで上り詰められると?」



 目を見れば分かる。これは、バカにするような質問ではなく、純粋な興味を持った問い掛けなのだと。

 それならばと、エマは正直に答える。



「分かりません。分かりませんが、私はレオナール殿下のそばで役に立ちたいと、強い意志を持ってここへ来ることに決めました」


「……」


「前世で私は、何度もあの人に救われたのです。だから、今度は私が護りたい。……殿下のそばへ辿り着けるまで、私から諦めるつもりはありません」



 エマの答えを、ルーベンがどう受け止めたのかは分からない。

 ただ短く「……そうか」と言い、少しだけ微笑んでくれたように思えた。



「レオナール殿下の手当てをし匿ってくれた君に、以前失礼な態度を取ったことを謝ろう。……申し訳なかった」


「いえ。信じてもらえないのは当然です。気にしないでください」



 エマは苦笑する。特殊な事情がなければ、自分の前世を誰かに話そうとは思わない。そう簡単に信じてもらえないことが分かっているからだ。

 ルーベンは、また短く「……そうか」とだけ言った。見た目通りの硬派な側近だ。



「……ルーベンさま」


「……なんだ」


「もしまた会えたら……そのときはどうか、笑顔を見せてくださいね」



 エマの言葉に、ルーベンは面食らったようだ。信じられない言葉を聞いたとでも言うような顔をしている。



「……考えておく」


「はい、楽しみにしています」



 ぎこちない動きで去っていく後ろ姿を見送ってから、エマは新しい自分の家の中へ入った。






***



「……ただいま戻りました、レオナール殿下」



 ルーベンが部屋に入ると、レオナールはパッと顔を輝かせた。この場に女性がいれば、間違いなく卒倒していただろう。



「ルーベン、待っていた。エマはどうだった?元気だったのか?」



 答えを聞くのが待ち切れない、とばかりにレオナールが立ち上がり、積み上がっていた書類がバサリと崩れ落ちた。

 近くにいたアンリが「殿下ぁ!」と声を荒げる。



「何をしてくれるんですか、あなたは!ああもう、書類がぐちゃぐちゃに……!」


「うるさいアンリ、押し付けられた書類よりエマの方が重要だ」



 必死に書類を掻き集めるアンリに対し、レオナールの態度はひどいものだ。それを笑って見ているウェスは、もっとひどいかもしれないが。



「恋をすると周りが見えなくなるって言いますしね〜」


「恋?俺の気持ちは恋なんて簡単なものじゃない。エマ……いやエマリスさまは、俺に……」


「あっ、その先の話は長くなりそうなので結構です!」



 バッサリと笑顔で断ったウェスは、これでもレオナールの側近だ。

 まだ十五歳の少年だが、戦闘センスがずば抜けて優秀で、レオナールが直々に声を掛けて雇っている。


 一方、戦闘に関して不得手なアンリは、主に外交や書類仕事に関してレオナールを支える側近である。

 見目麗しい美青年であるが、側近の中で一番レオナールに振り回され、常に疲弊している。


 そして最後の側近であるルーベンは、アンリとウェスを足して二で割ったような役割を担っている。

 普段は補佐として仕事を手伝い、何かあれば護衛として剣を抜くのだ。



「……あの娘ですが……」



 ルーベンが話し出すと、レオナールはつらつらと“エマリス”の素晴らしさを語っていた口をすぐに閉じる。

 尊敬する主君の変わりように複雑な気持ちを抱えながらも、ルーベンは言葉を続けた。



「……俺が思っていたよりずっと、強かな心を持っているようです」



 その言葉に、アンリとウェスが顔を見合わせる。レオナールは嬉しそうに笑った。



「だろう?彼女は前世でも今世でも、強い輝きを放っている。だから俺はこの人生でも、彼女を……エマを捨て置くなんてことは、絶対にできない」



 レオナールが前世で護っていたという王女は、今世では村娘として過ごしていた。

 けれど、その言動や気遣いに、確かに王女としての気品が見え隠れしていることに、ルーベンは気付いていた。

 だからこそ、この歪な村娘と王子の関係がどうなっていくのかと、側近たちの頭を悩ませるのだ。



「……小屋の引き渡しは済みましたので、俺の役目は終わりです。あとは明日、アンリが仕事を紹介する予定です」


「分かった。それでエマは、俺に何か言っていたのか?」



 とても無邪気な顔で、レオナールがルーベンに訊ねる。

 つい先程の会話を思い出しながら、ルーベンはどこまでエマの言葉を本人に伝えてもいいものかと考えを巡らせた。



「……そう、ですね……殿下のそばで、役に立ちたいと言っていました」



 無難な言葉だけを伝えれば、レオナールはとても嬉しそうに顔を綻ばせる。少し前までは、なかなか見られなかった表情だった。



「そうか。なら俺は、エマが歩むと決めた道にある障害物を、少しずつ取り除けるよう頑張るかな」


「その前に落とした書類を拾ってくれませんかね、殿下?」


「アンリの仕事を盗むのは悪いだろ?」


「俺の仕事は書類拾いじゃありませんけどね!」


「あはは、アンリさんが今日も怒鳴ってる〜」


「お前も笑ってないで手伝え、ウェス!」



 目の前で繰り広げられる、いつもの日常。

 けれど、確実に以前とは変わってきているということを、ルーベンは認めざるを得ないのだ。


 ―――『もしまた会えたら……そのときはどうか、笑顔を見せてくださいね』


 エマの言葉を思い出したルーベンは、いずれもう一度会うことになるのではないかと、そんな予感がしていた。



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